第56回 正修止観章⑯
[3]「2. 広く解す」⑭
(9)十乗観法を明かす③
②思議境とは何か(2)
ところで、ここに十法界の区別の根拠が示されていることが見て取れるであろう。それは衆生が諸法(自己を含むすべての存在)をどのように見るかによるといわれる。つまり、諸法を有(永遠不変に実在する固定的実体)と見ると六道となり、空(固定的実体のないこと)と見ると声聞・縁覚となり、仮(固定的実体はないが、諸原因・条件に依存して仮りの存在として成立していること)と見ると菩薩となり、中道(空と仮のどちらか一方に偏[かたよ]らず、両者を正しく統合すること)と見ると仏となると説明されている。
ここでは、「見る」といっているが、「見る」ことは衆生の一切の行為を集約して表現したものであり、ただ単に「見る」だけにとどまるものではない。衆生の生き方全体が「見る」ことに深く関わっているのである。たとえば、六道の衆生は諸法を有としか見ることはできないし、また有と見ることにおいて六道の衆生のあり方が成立しているのである。有と見ることは、対象が永遠不変に実在するものと捉え、その対象に必然的に執著することを意味する。そこで、六道の衆生のあり方が成立するのである。六道の衆生は煩悩に駆り立てられて対象に執著するが、彼らは対象を有と見ているのである。 続きを読む