アナスイのコレクションを眺めていると、なぜか、創作の意欲を刺激される。あるとき、デパートですばらしいワンピースを見て、思わず「欲しい!」とおもった。僕には、女装癖はない。だから、純粋にアートの作品として、欲しいとおもったのだ。
しかし、隣にいた妻は、私には似合わないわ、という。いや、君のためじゃなく、僕のために買うんだ。彼女の頭の上に、大きな「?」が浮かんでいた。だから、これは画を買うのと同じなんだ。僕は、作品として、このワンピースが欲しいんだ。
妻は、値札を見て、無理、と一言いった。いや、画よりも安い。でも、画じゃないもの。これ、大きな額縁に入れて壁に飾って置いたら、仕事が捗る。妻は首を振りながら売り場を去った。
だったら、作品集を買おう。僕はアマゾンでアナスイのコレクションを集めた本はないか調べた。あった。『THE WORLD OF ANNA SUI』。値段はワンピースの30分の1。買いだ。これなら妻にも文句はいわせない。本である。ワンピースではない。何より安い。
わくわくしながらページをめくる。断っておくが、自分がその服を着ている様子を想像しているわけではない。服そのものの在り方を鑑賞している。繰り返すけれど、僕に女装癖はないし、妻のブラジャーをこっそりつけてみたこともない(あまり否定すると、逆に疑われます?)。
ファッションジャーナリストのティム・ブラウンの取材をベースにして、モッズ、パンク、グランジ、ロックスター、ヒッピー、スクールガール、アメリカーナ、サーファー、ノマド、ヴィクトリアン、レトロ、アンドロジニー、フェアリーテールの、13のテーマで構成されている。
こうしたテーマの作品のあいだに、アナスイ本人の文章が挿入されている。彼女はアメリカの中産階級の中国人家庭に育った。子どものころからデザインすることに関心があった。
少女は、すべてを自分のベッドルームから始めるのではないかと思う。自分の好きなようにデザインできるのがベッドルームだから。
少女・アナスイのベッドルームのテーマは、バービーだった。シーツもカーテンもバービー。次はホットピンク。部屋中をピンクに塗った。母は自分の服を手作りした。娘のアナも余った布で、靴カバーやバッグをこしらえた。
また、母が愛読していたファッションや映画の雑誌を読み尽くし、特に『LIFE』に登場するジャッキー(ケネディ大統領の妻)、そして女優のエリザベス・テーラーがお気に入りだった。彼女たちのヘアスタイル、ファッションに憧れた。
小学校1年生のとき、すでにファッションデザイナーになることを宣言した。雑誌に載った、アンディー・ウォーホールの記事やおしゃれなブティックの写真、クリスチャンディオールの広告などを切り抜いて、大切に箱へしまってあった。それはのちにアナスイのインスピレーションの源になる。
最初に服を売ったのは1981年。当時、彼女はあるスポーツメーカーで働いていたが、友人とブティックショーのブースをシェアして、5枚の服をつくった。注文が入って、『TIME』に広告が出た。
上司は、個人的な仕事を辞めるように忠告したが、注文には応じないといけないから、というと、あっさり解雇された。ファッションデザイナー・アナスイが誕生した瞬間である。
彼女はニューヨークのダウンタウンにあるアパートを拠点にして仕事を始める。やがて友人が助言をくれた。
君の世界にみんなを招き入れない限り、君のことをほんとうに理解してもらうことは難しい。一番簡単な方法はショップを開くことだ。
アナスイは自分のショップを持った。1997年に彼女のブティックは大きく成長した。日本の伊勢丹と取り引きの契約をしたのだ。このあと、彼女は世界のアナスイになっていく。
本を開くと、アナスイの独自な世界が広がっている。ヴィンテージで、甘く、しかもダーク。
私は郊外で生まれ、ポップカルチャー、連続ホームコメディー、ロックンロールスター、映画スターを見ながら育ったアメリカ人だ。私はマスメディアが放ったものをすべて吸い上げた。そして、アメリカ人として、アメリカのファッション産業をサポートできるアメリカンデザイナーになりたいといつも思っていた。
そうはいっても、アナスイの作品には、どこか東洋の匂いがする。それが彼女のオリジナリティだ。
この本は、かつてアナスイが、自分のコレクションをつくるとき、インスピレーションの源とした雑誌の切り抜きのように、小説家としての僕を刺激してくれるとおもう。
参考文献:
『THE WORLD OF ANNA SUI』(東京美術)