現証がちゃんとある
登場するのは、80代、90代。なかには100歳を超えた方もいる。
『聖教新聞』で大好評を呼んでいる連載企画「ブラボーわが人生」から18編が、要望に応えて書籍化された。
ページをめくりながら、まず目に飛び込んでくるのは、おひとりおひとりの大きな写真。
どの顔も美しく、喜びと慈しみに溢れ、そして力強い。人生の最終章を、こんな表情で生きられるとしたら、人生とはなんと素晴らしいものなのだろうと実感する。
いずれも、戦争をくぐり抜け、戦後の貧しい時代を生き抜いてきた「庶民」である。
かつて草創期の創価学会を、世間の心ない人は「貧乏人と病人の団体」と嘲笑した。それに対し、第2代会長の戸田城聖氏は
貧乏人と病人を救うのが本当の宗教だ
と誇り高く応じた。
本書に登場する人たちも、まさにそれぞれが過酷な宿命に喘ぐ中で、創価学会にめぐり合った。
しかも、今からは想像もつかないほど旧習と偏見が根深かった時代。
今度は信仰をはじめたことで、ある人は村八分にされた。ある人は夫に先立たれて子どもと実家に帰ろうとしても、敷居をまたぐことを拒まれた。
折伏に歩けば、塩をまかれ、水をかけられた。自分の身の上をあざ笑われた。
それでも信仰を貫くことができたのはなぜか。ひとつには自分たちが体験としてつかみ取った、信仰への揺るぎない確信があったからだ。
人に会わせると折伏はうんとできます。みんな喜んで体験を語ってくれますよ。創価学会にはどんな悩みにも、こたえられる現証が、ちゃーんとある。だからすごいんですよ。(本書『ブラボーわが人生』より)
「地涌の菩薩」の自覚
刮目すべきことは、この草創の庶民たちがいずれも教学を学び、法華経に照らして、日蓮の御書(遺文)に照らして、目の前の不遇や理不尽を悠然と見おろし、未来の勝利を確信していたことだ。
「此の経を持たん人は難に値(あ)うべしと心得て持(たも)つなり」((御書一一三六ページ))。信心した時に教わった御文なんだな。ああそうだったんだと思ってよお。(同)
こう語ったのは、教育の機会にも恵まれず読み書きが苦手で、御書に仮名を振ってもらって学んだという茨城の93歳の婦人である。
創価学会が強いのは、戸田会長が「剣豪の修行」と譬えた強靭な教学があるからだ。
またどの人も、自身の宿命と戦い、無理解の暴風雨に耐えて勝ち越えてこられたのは、先輩同志の励ましがあったからだ。
なによりも第3代の池田会長を自分の「師匠」と決めたことが、わが人生への自覚を根底から変えた。
弟子は、師匠と使命を分かち持ち、師匠と同じ自覚と責任に立って、師匠の行動に続いていく。前時代的な上下の関係でもなければ、権威にひれ伏すような盲従でもない。
法華経には、悪世末法に無数の「地涌の菩薩」が躍り出て、法華経を広宣流布することが説き示されている。
大難につぐ大難を勝ち越えた日蓮は、門下に対して師弟の覚悟をこう綴った。
日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか(『日蓮大聖人御書全集』1360ページ)
この「地涌の菩薩」の自覚が、創価学会の師弟を貫いている。
「絶対幸せになってみせる」
人生、うれしい時もあれば悲しい時もある。肝心なのは、どう乗り越えていくかだ。それで人の値打ちが決まると思うよ。(本書)
これは、青森の95歳の母の言葉である。彼女はこう言う。
どんな悩みでも立ち上がることのできる信心だ。池田先生が何よりの手本です。絶対幸せになってみせる。それ一本で努力したのしゃ。今に見ろ、今に見ろと題目あげたよ。(同)
残酷なまでの宿命に喘いでいた人たちが、創価学会の信仰によって生きる希望と意味を見出した。
そして、創価の師弟として生きようと決意し、自分もまたまぎれもない「地涌の菩薩」なのだと自覚した時、背負ってきたあらゆる苦悩の意味が変わった。
自身の苦悩を解決していく実証で、仏法の偉大さを証明してみせよう。
宿命に負けずに生き抜いていく姿で、人間というものの力を伝えていこう。
法華経に説かれる「地涌の菩薩」は、釈尊よりも尊貴な姿をしている。その清浄な菩薩が、苦悩に喘ぐ衆生を救うために、あえて悪業を持って悪世末法に生まれる。
薬王よ。当に知るべし、是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我滅度して後に於いて、衆生を愍(あわ)れむが故に、悪世に生まれて、広く此の経を演(の)ぶ。(法華経法師品)
小説『新・人間革命』第30巻(下)の「あとがき」で、池田会長は「地涌の自覚」こそが「宿命の転換」を可能にすることを記している。
つまり、「宿命」と「使命」とは表裏であり、「宿命」は、そのまま、その人固有の尊き「使命」となる。ならば、広布に生き抜く時、転換できぬ「宿命」など絶対にない。
皆が、地涌の菩薩であり、幸福に生きる権利がある。皆が、人生の檜舞台で、風雪の冬を陽光の春へ、苦悩を歓喜へと転ずる大ドラマの主人公であり、名優であるのだ。
この『ブラボーわが人生』に登場するすべての人が、まさにこの大ドラマの名優そのままである。
どの人も、故郷のなまりでとつとつと、わが人生を語る。行間から、ご本人たちの弾けるような笑い声が聞こえてくる。
文字になったその言葉が読む者の心を揺り動かすのは、取材した記者自身の明朗な人間的魅力と、圧倒的な筆力の賜物でもあろう。
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