連載エッセー「本の楽園」 第72回 ドキュメント レム・コールハース

作家
村上政彦

子供のころ建築家に憧れた。伯父が建設会社を営んでいた影響もあったかも知れない。何もないところに一から物を築き上げていく仕事が魅力的に思えた。ところが僕には色弱という視覚障害があって、ある種類の色の区別がつかない。
建築家は、電気の配線図などを見ることができなくてはならず、そのために色の区別は必要で、色弱には務まらない。同じように、手旗信号などの色を見分けることができなくてはならない船員にもなれない。実は、船員も憧れの職業だった。
建築家にも、船員にも、なれない。これは、けっこうショックだった。母に文句をいった憶えがある。すると、「おまえはテレビ・ドラマの見過ぎだ。産んでもらっただけありがたいと思え」と鼻で笑われた。なんとハードボイルドな母親か。
慰めか詫びの言葉を予想していた僕は、苦々しい思いで、母の無神経さを恨んだ。いまにしておもえば、半分は母のいったことが正しい。産んでもらっただけありがたい。しかしテレビ・ドラマの見過ぎ、はいまだに納得がいかない。
僕はテレビっ子だったが、そんなドラマは見た記憶がない。母にしてみれば、芝居がかったことをいうな、といいたかったのだろう。まあ、その気持ちも分からないではない。うちは母子家庭で、母が必死に家計を支えていた。建築家だの、船員だの、どうでもいいから、早く自立しろとおもっていたのか。
そんな経緯があって、僕は、建築家と船員になることを諦め、小説家をめざすことになった。小説を書くことが生業となって30年を過ぎるが、後悔はしていない。いや、充実した半生を送ってきたとおもう。つまり、これは色弱のおかげともいえる。
ただ、いまになっても建築家には特別な感情を抱く。もう憧れはしない。しかし強い関心がある。そのひとりにレム・コールハースがいる。知らない読者のために、彼を追ったノンフィクション『行動主義 レム・コールハース ドキュメント』から略歴を引く。

 レム・コールハース 建築家、思想家、脚本家。
1944年アムステルダム生まれ。幼少期をインドネシアで過ごす。ジャーナリスト、脚本家として働いた後に、建築家への転身を決意。ロンドンのAAスクールで建築を学ぶ。1972年にニューヨークへ渡り、滞在中に記した著書『錯乱のニューヨーク』で、マンハッタンの成り立ちをゴーストライターとして解き明かし、建築の実作なくして建築界へ華々しいデビューを遂げる。
1975年にOMA(Office for Metropolitan Architecture)を設立。以来、住宅から都市計画まで、さまざまな規模のプロジェクトを手掛け、作品ごとに世界を読み取る自らの手法を世に問うてきた。1995年にはハーバード大学教授に就任。同年著書『S,M,L,XL』出版。
常に挑戦的なアイデアに満ちて建築界の話題をさらってきた。広く思想界の巨人として、今も世界を挑発し続けている。

著者はコールハースに出会ったとき、気難しく、面倒な人物だとおもったらしい。ところが親交を重ねるうち、彼の才能に惹かれ、ドキュメント本をつくりたい、と申し入れた。本人は、あっさり、「いいよ」と承諾した。これが苦労の始まりだった。
その後、ニューヨークにいるコールハースに仕事の段取りを説明しようと連絡を入れたところ、彼は、ドキュメント本のことをすっかり忘れていた。著者はロサンゼルスまで追いかけて、どういう本をつくるのか説明した。
2002年に取材が始まった。とりあえずコールハースのスケジュールを確認しようと、ロッテルダムの事務所に尋ねるが、彼は世界中を飛び回っていて、しかもその日程が固まっていない。1週間ぐらいしたら定まるからといわれ、待っていたら、すぐに1ヵ月が過ぎた。
ひとまず、周辺から取材を始めることにして、事務所や現場などコールハースのいるところへ駆けつけ、彼がどのように仕事を進めるかを見た。関係者には話が聴けた。しかしなかなかコールハース本人へのインタビューができない。まとまった時間が取れないのだ。
コールハースは、「飛行機に乗って移動し続ける一定の知的階層」を「キネティック(運動性)・エリート」と名づけていたが、彼自身がそうだった。「建築家は有名になればなるほど能力が下がっていく」と自身を戒めていたらしいが、時代は彼を求めた。
何ヵ月も待ち続けて、ようやくアポイントメントを取り、ロッテルダムまでやって来たら、「今日は帰る」という。著者の忍耐もここまでだった。機嫌が悪くなった。当然である。どうしても取材に応じてもらうと迫った。
コールハースは、ふたつの案を出した。翌日の朝、7時からロッテルダムの事務所で。翌々日の朝、ロサンゼルスのビーチで。彼は後者を選びたがっている。著者は譲歩して、ロサンゼルスのビーチを選んだ。
その貴重なインタビューは、本書の最後に収まっている。一節だけ引いておこう。

 今、世界では異なる経済、文化、宗教の間ですさまじい統合と対立のプロセスが起こっている。それを解釈するためのある方法がまかり通っているわけだけれど、それは単にアメリカが描いている絵でしかない。アメリカは、ひとつの標準で世界を覆おうとしているんだ。
今起こっているのは、これまで見たこともないほどのスケールの乱気流という現象なんだ。僕にとってのグローバリズムは、そうした乱気流の中で建築をつくること。これこそ最もエキサイティングなものだ。そこでは、干渉できる領域がすさまじくたくさんあり、すさまじい才能を可動することができ、野心をすさまじく行使することができる。そして文化間ですさまじい交換が起こる。

本書は3部に分かれている。1部はコールハースにインタビューするまで。2部は彼と一緒に仕事をしている関係者の話。3部がコールハースのインタビュー。3部には著者の汗と涙が飛び散っている。こんな人物を取材の対象に選ぶと大変だろうなとおもう。
それでも、この本が出版されたことで著者の苦労は報われた。まさにドキュメント。レム・コールハースの走り回る足音が聴こえてくる。

お勧めの本:
『行動主義 レム・コールハース ドキュメント』(瀧口範子著/TOTO出版)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。