琉球古武道に取り組んだ上地流空手家
上地流空手でおよそ半世紀の武歴をもつ上地流久場川修武館の金城政和(きんじょう・まさかず 1952-)館長は、空手と同時期に古武道を始めた。
自身の上地流空手の師匠であり、古武道では平信賢の直弟子でもあった箕輪剋彦(みのわ・かつひこ 1929-2003)から、「いつか必ず身になるから僕に騙されたつもりで古武道もやりなさい」と勧められたことがきっかけだったという。
最初は半信半疑で積極的に取り組む気持ちになれなかったものの、動作に自然と腰が入るようになってからは面白さに気づいたと振り返る。
そこまで2~3年くらいかかりましたね。古武道はもともとしょうりん系(空手)の人が多かったのですが、上地流で古武道に取り組んだのは当時1割もいなかった時代です。月水金は空手、火木は古武道を練習していました。
以来、50年。いまではカナダを中心に、アメリカ、オーストラリア、インド、香港など、金城の伝える古武道は海外にも広がった。「古武道はこれから伸びていく分野」と胸を張る。
平信賢の孫弟子に当たる金城は、弟子を大事に育てることで知られる。昨年夏に沖縄で開かれた第1回国際大会でも、自らの弟子や孫弟子たちの多くが入賞した。2人の息子も古武道の練達者だ。
立派な弟子たちも育ってきているので、ひと安心ではあります。
演武ではエークを使うことが多い。棒、サイ、トンファー、エーク、ヌンチャク、鎌、鉄甲、スルチン、ティンベーの9種類の武器をひととおり使えるようになるには15~20年くらいかかるとも。
さらに「棒を使った演武はごまかしが利かない」とも。棒だけでも、信賢先生が残した型が18種類くらいあります。私の師である箕輪先生ですら全部を覚えてはいませんでした。でも平先生は『琉球古武道大鑑』で全部残してくださった。
古武道の先達が亡くなるたびに親族にお願いするなどして、これまで多くの武器を収集してきた。集めた武器は棒が120本、ヌンチャクが800くらい、計1000点ほどが自室に保存されているという。
なかには中国から持ち帰った250年前のサイや、喜屋武朝徳が愛用したとされる丸みをおびた貴重な棒の複製も含まれる。
空手と古武道は車の両輪
又吉系の団体である一般社団法人・全沖縄古武道連盟の平良吉雄(たいら・よしお 1935-)会長は、空手歴60年(剛柔流)、古武道歴も50年近い。
棒術の盛んな県南部の八重瀬町(やえせちょう)の出身で、村棒とよばれる棒術が数百年の伝統をもち、それぞれの村ごとに異なる型も存在したという。
古武道の場合、自分を防御するために身近な道具を使って始まっているので、それぞれの地域で独自に発生した経緯があります。首里士族もやっていましたが、もともと庶民の生活の中から生まれたものです。
若いころから棒術が好きだったと語る平良会長は、「古武道は好きでないと続かない。あくまで基本は空手ですから、空手をやって古武道を習う人がほとんど。古武道をやってから空手に入る人はむしろ少ない」と説明する。
同連盟の親川仁志(おやかわ・ひとし 1954-)理事も、
空手をやっている人は古武道の飲み込みが早いです。古武道そのものが、鍛錬具の役割を果たしますから、特に空手の鍛錬具で鍛えるということがなくても腕の力などが自然と身につくメリットがあります。
と効用を説明する。
親川理事は喜屋武朝徳の直弟子の一人、仲里常延(なかざと・じょうえん 1922-2010)から直接教わった空手家だ。幼少のころから空手を始めると同時に、自身の祖父から古武道の手ほどきを受けたと語る。又吉系の棒術の使い手としても知られる。
全沖縄古武道連盟では棒、サイ、トンファー、エーク、ヌンチャク、鎌の5種の武器を取り扱う。又吉古武道の創始者であった又吉眞光の子、又吉眞豊(またよし・しんぽう 1921-1997)が同連盟の初代会長を務めた。
(サーター)アンダーギー(球状の揚げドーナツ)を手土産に、よく型を直しに来てくれました。
平良会長は、初代会長が沖縄市にある自分の道場をときおり訪問した様子をそう回想した。(文中敬称略)
【連載】沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流:
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