本屋をパトロールしていたら、柴田元幸さんの翻訳した本が眼に留まった。何だか、つい最近も同じことがあったなとおもいながら、手に取った。『コーネルの箱』。ジョゼフ・コーネルというアーティストの作品について、詩人のチャールズ・シミックが書いた本らしい。
柴田さんが翻訳しているのだからおもしろいのだろうが、こちらにも予算というものがあって、すべて買うわけにはいかない。ぱらぱら捲っていたら、マルセル・デュシャンと交流があった、という記述を見て、すぐレジへ持って行った。
デュシャンは、20世紀の芸術を変えたアーティストだ。しかも僕は10代のころ、この人の作品に魅せられて、熱烈なファンになった。当時はすでに小説のようなものを書き始めていたが、デュシャンのアートを文学に導き入れることはできないか、と真剣に考えた。
その結果、写真に詩のような言葉をつけ、額装した作品を小説と称するようになった。ま、誰も受け入れてくれませんでしたけどね。でも、あれは、僕の文学の青春だった。面映ゆいけれど、懐かしい。
ジョゼフ・コーネルは、アートの世界では知る人ぞ知る存在なのかも知れないが、僕にとっては未知のアーティストだ。とおもってページを開くと、冒頭にコーネルの小伝がある。このあたりが柴田さんの翻訳のいいところ。気が利いている。
コーネルは、1903年にハドソン河の畔にある町で生まれた。父は毛織物の製造会社でセールスマンから始めてデザイナーになるものの、息子が14歳のときに病死した。母は読書家で映画のシナリオを書くほどだったが、苦しい家計を支えるために内職をし、コーネルをフィリップス・アカデミーという学校へやった。
しかし彼は定められた単位を取れずに卒業できなかった。家族のために織物会社に勤め、セールスマンとして働いた。1931年、あるギャラリーを訪れて、シュルレアリストのオブジェや絵画を見た。
数週間後、コーネルは「モンタージュ」と称するコラージュを持って、再びギャラリーを訪ねた。翌年のシュルレアリスム展には、コーネルの作品も並んだ。このころから彼は、箱を使った作品を作るようになった。
やがてコーネルはデュシャンと出会い、マックス・エルンストやロベルト・マッタなど、著名なアーティストと交流するようになる。だんだん名声は高まるが、創作活動は衰え、1972年に自宅で亡くなった。
小伝を読んでみると、コーネルはアートに関する専門的な教育を受けていない。彼は、絵も描けないし、彫刻も作れない。では、どのような作品を作ったのか? 手製の木箱に、古い書物やポスターや小物を配置し、オブジェにしてあるのだ。
ひらたい言い方をすると、箱庭のようなものである。僕は、ふと盆栽をおもいうかべたが、そういう作品だ。本に掲載されている図版の写真からは、箱の大きさは分からないが、それほどおおきなものではないだろう。
しかし不思議なことに、箱を見ているうちに、そこに小宇宙があるような気がしてくる。シミックの文章は、ときとして散文詩のようで、作品を解説するのではなく、その世界をさらに広げていくような趣きがある。これはおもしろい。
コーネルは、古書店やアンティークショップを回って作品の素材を集めていたという。どこからこんな作品を作ろうと思い立ったのだろうか。人がおもいつかないことをおもいつく。こういうのを才能というのだろう。
自分が何をやっているのか、コーネルは自覚していたか? 一部はイエス、だが大部分はノー。(中略)彼が好むものに、他人は誰一人興味を示さなかった。シュルレアリスムは彼に、雑多な古物を収集する変わり者以上の人間になる術を教えてくれた。(中略)畢竟コーネルの営みは、直感の営みに過ぎないのだから。
僕も若いころに、この水準の作品を作っていれば、もしかしたら注目されたかも知れない。でも、いまとは違う小説を書いていただろうし、違う生涯を歩んでいただろうな、と勝手な妄想をする。
本書には、34点の図版が収録されている。箱の写真を眺めているだけでも愉しい。やはり、柴田さんの選ぶものはおもしろい。
お勧めの作品:
『コーネルの箱』(チャールズ・シミック著/柴田元幸訳/文藝春秋)