小説を読むようになったころ、手に取ったのは、最初のうちはヨーロッパの近代小説だった。やがてモダニズムの作品に親しむようになって、気づいたらアバンギャルドへたどりついていた。
いちばん気に入ったのは、フランスのヌーボーロマンだ。代表的な作家であるアラン・ロブ=グリエの作品を追いかけた。彼の作品で手に入るものは、すべて読んだ。といってもフランス語は読めないので、翻訳されたものに限る。
最新作や未訳の作品は、文芸誌などに紹介されるコラムなどで情報を得て、どのようなものかを想像する。それだけでも、へー、そんな小説を書いたのか、と早く読みたくてうずうずした。
20数年前、シンポジウムで韓国を訪ねたとき、参加者から、このあいだロブ=グリエが来ていた、彼はダンスがうまかった、と聴いて、会いたかったというおもいと、ダンスがうまかったというのが意外で、その人に詳しい話を教えてもらった。
アメリカのアバンギャルドを読むようになったのは、いつのころからだろう。気に入った作家は、ドナルド・バーセルミだった。手にしたきっかけは憶えていない。しかしロブ・グリエのときと同じで、翻訳された作品は、ほとんど読んだ。
もうひとり、気になる作家がいた。リチャード=ブローティガンだ。彼の代表作『アメリカの鱒釣り』は、本屋でぱらぱらと読んで、いつか読む作品のリストに加わった。しかしどういうわけか、現在に到るまで読んでいない。
実は、そういう本は珍しくない。買っても、読もうとおもいながら埃をかぶっている本もある。僕は本との出会いは大切にしているので、これはとおもったものは、買うか、いつか読むリストに入れる。しかし読む時期は、決まっていない。
このあいだアマゾンを眺めていたら、『ブローティガン 東京日記』というタイトルが眼に留まった。日本に来てたんだ、とおもいながら、ぽちっとやった。本屋なら手に取って、中身をぱらぱら見て、買うかどうかを決めるのだが、アマゾンは反射的にぽちっとやってしまう。くせものである。
でも、いい本であれば問題はない。そして、この本は、いい本だった。冒頭の「はじめに」で、叔父が第二次大戦で日本人から受けた傷がきっかけになって死んだことが語られる。この出来事のせいでブローティガンは、日本人は悪魔的な生き物だとおもい、憎んでいた。
18歳で俳句と出会って、日本人が文明的で憐み深い感情を持った人々である、と知った。すべては戦争のせいであると分かった。日本の絵画と絵巻物を見て感銘を受け、仏教を学んだ。ついに日本へ行かなくてはならないと悟った。
『ブローティガン 東京日記』は、1976年5月13日の東京から始まる。文章は日記というよりも詩である。たとえば――
東京/一九七六年六月十一日
ぼくが今朝早くに
手紙に書いた
五つの詩が
パスポートを入れているのと
おなじポケットにある 詩とパスポートは
おなじものなのだ
ブローティガンの詩は、彼のいる世界への扉を開く。彼は、新宿の中華料理店の前で寝ている猫を眺め、退屈な東京の夜に泊まっているホテルの内部をひとりで探索する。また、長良川河畔の黒テント劇団の芝居が終わったあと、素に戻った女優たちを見、あるときは不眠症と時差ボケのことを考える。
タクシーの運転手
ぼくはこのタクシーの運転手が好きだ
まるで生きることに意味がないみたいに
東京の
暗い通りをかれはとばしてゆく
ぼくもおなじように感じているんだ
報われない恋
ちょっとたちよる
陰気な詩を書く
出てくる
生きることが
そのくらい簡単だったらいい
日記の文章は6月30日で終わっている。この日にブローティガンはアメリカへ帰ったのだ。ゆるく、少しダークな感じ――『ブローティガン 東京日記』の全体的な印象だ。彼は、日本で何を見て、何を感じたのか。これが彼の最後の詩集である。
お勧めの本:
『ブローティガン 東京日記』(リチャード・ブローティガン著/福間健二訳/平凡社)