むかしは翻訳者で読ませる本、というのがあった。ロシア文学なら神西清(じんざい・きよし)、フランス文学なら生島遼一(いくしま・りょういち)。最近そういう人は少なくなったが、いないわけではない。僕がこの人の翻訳ならと手に取るのは、アメリカ文学の柴田元幸さんだ。
図書館をパトロールしていたら、新刊コーナーに「柴田元幸編・訳」の本があった。タイトルを見ると、『英文創作教室』とある。著者はレアード・ハント。まだ読んだことはないけれど、名前は知っている。アメリカの小説家だ。
英語を学ぶための本だろうか? でも、柴田さんの翻訳なら、単なる学習書ではないだろう。そうおもいながら手に取ってみたら、やはり、違った。
3・11の震災をきっかけに、作家の古川日出夫が「ただようまなびや」というワークショップを立ち上げた。2015年にそこへ招かれたハントが創作教室を開いた。
受講生に文章を書かせて、講師である彼が添削し、推敲した文章と見比べる。その推移を見ていると、ハントがいい教師であると分かる。実際、彼はアメリカの大学で創作プログラムの教授をしている。
まず、彼は受講生の文章を否定しない。褒める。これは物を教えるうえで大切なことだ。実は、僕も大学で文芸創作の授業を持っているのだが、まず、褒めないことには始まらない。
僕の授業では、学生同士の合評をし、僕が添削する。それにはルールがある。
まず、受講生がその作品を完成した労力を称賛する。次に、いい点を褒める。それから率直な感想を述べる。最後に、改善点を指摘する。この順序が逆になれば、受講生の耳も心も閉じてしまう。
ハントの講評・添削を見ていると、ほぼ同じことをやっている。勘違いしないで欲しい。僕は自分がいい教師だといいたいのではない。ハントも受講生の耳と心を開くのに、いろいろ苦労を重ねてきたのだといいたいのだ。
さて、彼は、ほかにも工夫をしている。何もないところから書き始めるのは難しい。そこでテーマを設けている。
①今朝起きてから目に入ったものを描写しよう。
②写真から物語を
③君の人生、君の経験、君の物語
④悲劇のあとに書く
受講生は、テーマに従って、それぞれの物語を語り出す。それがプロの作家の眼を経て、練り直され、新しい姿になる。この過程を見ているだけでも、創作の秘密を垣間見るようで興味深い。
少なくとも、僕は、レアード・ハントという作家に関心を持ったし、彼の小説を読んでみたいとおもった。
全体は3部構成になっていて、最後の3部は受講生と同じテーマで、ハントをはじめ、プロの作家たちが書いた作品を掲載している。これはけっこう作家にとってはきつい。つまり、お手本になる作品を書かないといけない、という制約があるのだ。
しかしプロの作家たちは、それぞれの役割を果たしたようにおもえる。なるほどと頷く作品が並んでいる。でも、文章や技術の巧拙はあっても、やはり、書かれた小説は、作者の作品であることに間違いない。その人にしか書けないものになっているのだ。
かつて中央文壇と地方文壇があった。中央文壇では、いわゆるプロの作家が活躍した。地方文壇では、同人誌を中心にしてアマチュアの作家が活躍した。しかしもう僕はこの図式は通用しないとおもっている。
たとえていえば、大手の出版社で活躍する作家たちは、大学病院の研究医である。地方の同人誌で活躍する作家たちは、町医者である。そこには役割の違いがあるだけで、作家としてのヒエラルキーの違いがあるわけではない。
ただ、町医者も、最先端の知識や技術の習得に励まねばならない。時代遅れになっては、患者がかわいそうだからだ。
『英文創作教室』は、レアード・ハントなどは、作家本人の英文とともに柴田元幸さんの対訳が掲載されている。僕は、英語はほとんどだめだが、これを読んで随分と勉強になった。柴田元幸ファンには、ぜひ、読んで欲しいものだ。
お勧めの本:
『英文創作教室 Writing Your Own Stories』(レアード・ハント著/柴田元幸編・訳/今井亮一・福間恵ほか訳/研究社)