【書評】佐藤優著『21世紀の宗教改革――小説『人間革命』を読む』

ライター
本房 歩

 この数年、著者の佐藤優は精力的に創価学会や公明党に関する著述に取り組んでいる。それらのなかで、とくに2つのことを強調している。
 1つは、公明党がこれまでとは異なり、税制や外交、安全保障政策といった国の中枢にかかわる意思決定権者に加わったこと。
 もう1つは、日本で誕生した創価学会が本格的に「世界宗教化」していること。
 本書『21世紀の宗教改革――小説『人間革命』を読む』を読むと、この現在進行形の2つの出来事が、あたかもコインの裏表のような関係にあるということがよくわかる。

勝利したのは公明党

 本書は、月刊誌『潮』2015年12月号から18年10月号(休載号あり)までの連載に、加筆修正してまとめられたものだ。
 月刊誌上での連載がはじまった時期は、ちょうど国会で平和安全法制整備案が可決・成立(15年9月19日)した直後にあたる。
 この平和安全法制の議論から成立の経過について、佐藤はこう評価している。

 公明党に所属する国会議員は、連立与党という現実の枠内で最大限の努力をして、自衛隊を恣意的に動かそうとする勢力を封じ込めることに成功したのである。フルスペックの集団的自衛権を望む人々からすれば、今回採択された平和安全法制は「欠損品」である。
(中略)
 政治の世界では、常に取り引きや妥協が必要とされる。憲法で定められた個別的自衛権を超える集団的自衛権の行使はないという根本を押さえたという点で公明党は勝利した。ただし、現実の政治力学を考慮するとそのことを、あからさまに表現することは差し控えなくてはならないというところなのだろう。(本書)

 当初、米国や日本政府の一部、あるいは自民党の一部は、あきらかにフルスペックの集団的自衛権の容認をもくろんでいた。2014年5月、唐突に安倍首相から提起されたこの動きに対し、公明党は少数政党ながら理詰めで与党協議の主導権を握り、閣議決定とその後の法案を、憲法9条と従来の個別的自衛権の範囲内に押さえ込んだ。
 しかし、「集団的自衛権の一部行使を容認する判断をした」と〝成果〟を主張する安倍首相のメンツを潰さない配慮をし、あえて必要以上には、官邸や自民党との見解の相違を声高に主張しなかった。

近隣諸国の反応

 そのこともあってか、まるで公明党が平和の理念を捨てて〝憲法違反の集団的自衛権〟の法制に加担したかのように誤解している人が少なくない。
 またさまざまな思惑からそうした見方に便乗し、支持母体の創価学会執行部が〝池田先生の理念を捨てた〟等と、意図的に喧伝・煽動している者たちもいる。
 民主党(当時)や日本共産党などは〝戦争法案〟〝徴兵制がはじまる〟と連呼し、この法案が通ればすぐにでも日本が戦争に巻き込まれるかのように訴えて国民の不安を煽っていた。国会前ではSEALDsのメンバーが中心となってデモを繰り返していた。
 だが近隣諸国から見ても、この平和安全法制は危惧すべき〝戦争法案〟などではなかった。それは法案成立直後の15年9月から10月にかけて、安倍首相の親書を携えて訪問した公明党の山口代表に対し、韓国も中国も国家元首が会見に応じたことに明らかだろう。11月にはソウルで日中韓の首脳会談が3年半ぶりに実現している。
 あれから3年余が経ち、日本は戦争になど参加していないし、日中関係はこれまでになく親密なものになっている。一方のSEALDsは法案成立阻止という目的を果たせず解散し、国民の支持を失った民主党も空中分解してしまった。
 佐藤優は2014年7月の閣議決定の時点から一貫して、公明党が「名を捨てて実を取った」という評価を変えていない。

 公明党は、平和を創るために生まれ、平和を守るために活動し続ける存在だ。公明党は、現実の政治の場で、しっかりとその責務を果たしている。今後もしっかりと公明党を支持していくことが、そのまま現実の平和を維持することにつながる。(同)

戦争遂行と宗教政策

 佐藤がここまで公明党の平和主義を確信するのは、支持母体である創価学会が戦後いかなる方法で平和を実現しようとしてきたかを、深い視点から理解しているからである。
 そのことを、佐藤が本書において、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長が綴った小説『人間革命』の第1巻に即して考察したセンスは、さすがというしかない。
 第1巻は、1945年7月3日の戸田城聖の出獄の場面からはじまる。戦時下、軍部政府は総動員体制を維持するため宗教統制を強め、国家神道を国民に強要していた。
 創価教育学会の初代会長・牧口常三郎と、理事長の戸田城聖(のちの第2代会長)は、自らの宗教的信念を貫いて神札の強要を拒否し、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕・投獄されていた。牧口は44年11月に獄中で死去している。
 戸田が釈放された翌月、2つの原子爆弾が投下され、日本は無条件降伏した。戸田は焦土と化した国土に、誤れる思想・宗教に導かれた国民の悲惨な末路を見る。
 民衆の真の幸福のために日蓮仏法の広宣流布を決意した戸田は、会の名称を創価学会と改めた。牧口の一周忌の席で、戸田は獄中で地涌の自覚に立ったことを述べ、広宣流布への決意を披瀝する。
 46年が明けると、戸田は数人の同志を対象に法華経の講義を開始した。ここまでが第1巻の概要である。描かれているのは戦後の学会再建の1年だ。
 戦後、GHQが出した最初の指令は国家神道の解体を命じるものだった。あの無謀で残酷な戦争へと国民を駆り立て、遂行する大きな原動力となったものが国家神道であり、政府の宗教政策だったことをGHQはよく理解していた。
 そうした戦前戦中の国家権力の宗教への介入、国家神道を通じた狂気じみた〝洗脳〟がなぜ可能だったかといえば、国民が宗教や信仰に無知であり、個人を自立させナショナリズムを超克するような宗教――牧口と戸田がもっていたような宗教――をもっていなかったからである。

〝暗部〟の質的な転換

 一夜にして価値観が崩壊した戦後、怪しげな宗教が雨後の筍のように乱立した。あるいは日本共産党は共産主義革命を叫び、目的のためにはテロさえ容認する暴力路線へと本性をむき出しにしていった。
 これに対して創価学会はどのような道を選んだのか。それを一言で表しているのが、第1巻の「はじめに」に記された小説『人間革命』の主題であろう。

 一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。(『人間革命』第1巻)

 池田会長は、このほど完結した『新・人間革命』第30巻(下)の「あとがき」で、この主題が『新・人間革命』にも共有されていたことを綴っている。
 力ある信仰の実践によって、一人一人が自身の「宿命」を「使命」と捉え直し、自身の幸福と他者の幸福を創出し続ける人間へと変わっていくこと。それは言いかえれば、自身が背負っている暗部さえも自他共の幸福を実現する財産へと質的に転換させていく生きかたである。
 人は他者や環境との時々刻々と流動する関係性の網の目のなかで、互恵的・相互依存的に生きている。自身を質的に転換させはじめた人間は、当然、縁する他者の生きかたにも質的な転換を及ぼすことになる。
 もちろん、同じ信仰に導くことで他者の生きかたを転換する場合もある。しかし池田会長は常々、家庭でも職場でも地域でも、まずは自分が一人、太陽のように輝いていくことが大切なのだと指導している。
 自分の人間革命していく姿と生命力をもって、信仰の有無や差異にかかわらず、縁する人々の善性を開花させていくことを創価学会は重視しているのだ。
 だからこそ、一人一人の人間革命が、その人々の属する地域や社会を変え、やがて一国、全人類の宿命の転換をも可能にするのである。
 創価学会が信仰の対象とする日蓮の漫荼羅本尊には、「梵天」「帝釈」「天照大神」等の神々のほか、「鬼子母神」「十羅刹女」といった本来は悪鬼魔民であった存在まで記されている。それは十界のすべての衆生が善性を開花させた姿であり、いわば人間や社会の暗部さえ絶妙に価値へと転換させた姿である。
 異教の神々は異教の神々のまま、悪鬼魔民は悪鬼魔民のまま、民衆の幸福に寄与する働きへと転換されている。
 それはまた、社会の多様性を認め、異なる価値観との対話と合意形成をはかり、〝誰も置き去りにしない〟で、社会の万人の幸福をめざそうとするSGIの姿にも重なって見える。

世界宗教化した理由

 創価学会は「一人の人間における偉大な人間革命」を「一国の宿命の転換」「全人類の宿命の転換」につなげるために、少なくとも2つのことを地道に成し遂げてきた。
 1つは仏教に基づく〝ナショナリズムを超克する世界市民主義〟を、日本のみならず各国の広範な民衆に流布していくこと。
 もう1つは、日本において支持政党である公明党を国家の政権運営に参画できるまでに育て、刻々と変化する国内外の多様な利害や思惑のなかで合意形成を図り、平和のために今できる最善を尽くすことである。
 そして、これらが各国の社会からのSGIへの期待と信頼につながったからこそ、「世界宗教化」を可能にした。
 創価学会は平和や生命尊厳という明確な理念を掲げて一人一人の会員の社会への参画を促しながらも、けっして教条的な原理主義に流されない。それぞれの国の保守的な価値観とも衝突することなく、しかしナショナリズムを超えて、人々をより視野の広い世界市民へと押し上げようとする。
 平和安全法制が成立した同じ2015年、イタリア共和国では14年間の審査を経て、首相が列席して国家とイタリアSGIの宗教協約が締結された。カトリック以外で国家と宗教協約を結んでいる宗教宗派は12しかない。今やイタリアにおける宗派人口は、1位がカトリック、2位がイスラム、3位がプロテスタント、4位がSGIである。
 本書で佐藤は『人間革命』第1巻を丹念に読み解くことによって、これら与党化と世界宗教化の種子ともいうべきものが、創価学会の戦後の再建の出発時から、すでに戸田城聖によって蒔かれていたことを明らかにしようとした。

 戸田氏の〈広宣流布への胎動は、始まっている〉という宗教的直観が、池田氏の下で、〈仏教史上初めての世界広宣流布の大道〉という形で実ったのである。(本書)

批判者たちの思慮の浅さ

 あの戦後の廃墟のなかから、創価学会はどこまでも「一人の人間における偉大な人間革命」を基軸に、日本と世界の「宿命転換」をめざしてきた。
 会員たちは、信仰に理解のない家族や近隣、地域社会とも、だからこそ対話と信頼の醸成に努めてきた。
 冷戦下、池田会長自身が中国や旧ソ連の首脳と対話し、信義を結び、権力の巨大な暴力性を鎮静させ、民衆の幸福の方向に転じさせてきた。
 公明党は巨大勢力である自民党と連立を組みながら、合意形成して政治を進め、一方で偏狭なナショナリズムが台頭し暴発しないようシリアスな攻防戦に挑んでいる。

 一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。

 自民党との連立や平和安全法制をどう受け止めるのも勝手だが、この創価学会を貫く最重要の哲理を見落として、あるいは一知半解にわかった気になって、学会や公明党が何か変質したかのように批判中傷している人々がいるのは、あまりにも思慮の浅い的外れなことだというしかない。
 同時に、プロテスタントのキリスト教徒である著者が、このように現在進行形で進んでいる創価学会の世界宗教化、21世紀における宗教改革の本質を、戸田会長と池田会長の師弟が貫いた「人間革命」という理念に鮮やかに見出していることに、まさに創価学会が普遍的な人類の宗教へと成熟している時代を実感するのである。
 本書の末尾に佐藤はこう記して筆をおいている。

〈一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする〉という池田大作先生の言葉を、歴史的現実の中で具体的に表現していくことが、筆者にとって、生涯の重要な課題になると考えている。

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