自分自身の人間革命に挑む
世の多くの宗教では、人間を超えたものとして神仏が説かれる。聖なるものと人間は「上下」の関係になる。
聖職者はその聖と俗のあいだに介在することで、やはり信徒に対し、宗教的に特別な地位に立つ。
ところが、創価学会における「師弟」とは、そのような上下の関係ではない。
師は権威ではなく、人間としての生き方を示すモデルであり、弟子は理想と責任感を分かちもって、その生き方を継承する。
人間革命という言葉が示すとおり、師が範を示したように信仰を生きかたと振る舞いに具現し、自分という人間を変革していく。
その蘇生した人間に、触発された次の1人、また1人が続いていく。
1人の人間における偉大な人間革命は、やがて社会、国、そして世界の宿命をも転換していく。これが、創価学会という宗教の理念である。
釈尊自身、弟子たちに対して「友よ」と呼びかけた。仏法本来の師弟は平等な水平の関係であり、創価学会の師弟も、いわば究極の〝善友〟の関係だと池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は語ったことがある。
小説『新・人間革命』では、創価学会の第3代会長となった山本伸一が、師・戸田城聖と不二の心で、世界に平和と幸福の道を開く激闘が綴られている。
山本伸一、すなわち池田会長に触れあった人々は、それぞれが自身の抱える困難や苦悩を乗り越え、会長を模範とした生き方に目覚めていった。
月刊誌『潮』に連載されている「民衆こそ王者――池田大作とその時代」では、国内外の膨大な会員たちの証言によるオーラル・ヒストリーのかたちで、池田会長の足跡が検証されている。
ヨーロッパのSGIの基盤を築いた人々を追ったシリーズに、フランスの婦人部員パスカル・ベライッシュさんの、こんな言葉があった。
地区婦人部長のパスカル・ベライッシュは「私たちや、私たちの後の世代の人々が、池田先生に会う機会がないとしても、すでに池田先生が、恩師の戸田先生についてなさってきたことがお手本であると思います」と語る。「つまり『師匠の指導を自分の生活で形にしていく』ことによって、師匠の心に触れることができる、ということです。具体的には、同志を大切にすること。自分自身の人間革命に挑むこと。社会の現実の中で実証を示していくこと。仏法における弟子の戦いとは、これ以外の何物でもないのです」(『潮』2017年5月号)
受け継がれる〝師の心〟
この「私たちや、私たちの後の世代」が「すでに池田先生が、恩師の戸田先生についてなさってきたこと」を学ぶテキストこそ、小説『新・人間革命』になるのだと思う。
描かれているのは、第3代会長に就任した1960年から、21世紀の旭日をのぞむまでの40年間。
全30巻の長大なドラマが描き出すのは、恩師・戸田会長の心を心として、弟子である池田会長自身が同志を尊敬し、守り、1人の人間としてどれだけの仕事がのこせるかの限界に挑み続け、複雑極まる社会の現実の中で、世界の誰も想像しえなかった実証を示してきた記録でもある。
また、その池田会長の励ましを受け、日本と各国の幾千万の人々が、他者を大切にし、自分自身の人間革命に挑み、生活の上で、社会の中で、幸福と勝利の実証を示すことに立ち上がっていった記録でもある。
師弟は不二である。不二なればこそ、私もまた、恩師の心を抱き締めて、世界を駆け巡り、「平和と幸福の大河」を切り開いてきた。「源流」の偉大さを物語るものは、壮大な川の流れにほかならない。(『新・人間革命』第1巻「はじめに」)
その意味でも、『新・人間革命』は現在の読者はもちろんだが、なにより未来の読者のために書きつづられた書物なのだと思う。
SGIは、各国で着実に水かさを増している。ごく近い将来、地球全体で見れば、日本の創価学会員よりも、各国のSGIメンバーのほうが多くなる時代がやってくる。
そこに集う、池田会長に会う機会のなかった人々こそが、21世紀から未来への「広宣流布」の主人公なのだ。
それら新しい人々は、この『新・人間革命』をとおして「師の心」に触れ、それを抱き締めて、それぞれの国、それぞれの人生の舞台で「平和と幸福の大河」を開いていくことになる。
文学としての『新・人間革命』
そして、それはなにも創価学会という一宗一派のなかだけに閉じた話ではない。
じつはそこに、『新・人間革命』が〝文学〟として綴りのこされた重要な意味があると思う。
創価学会の信仰には、日蓮大聖人の御書、あるいは法華経という、根本の聖典がある。
しかし同時に、創価学会の永遠のテキストとなる『新・人間革命』が、小説という文学作品として書かれたことで、それは宗教やイデオロギーを超えた普遍的なものとして、世界の民衆に開かれたものになった。
あのフランスの婦人部員が語った、池田会長と同じ心で「同志を大切にすること。自分自身の人間革命に挑むこと。社会の現実の中で実証を示していくこと」という生き方は、たとえ宗教が異なっても、あるいは信仰をもっていなくても、誰しもの生きかたとして可能なのである。
この10月27日、28日の両日、上海にある中国の名門・復旦大学で、第10回「池田思想国際学術シンポジウム」(主催=復旦大学・創価大学、後援=中華日本学会)が開催され、中国国内の53大学・学術機関から160人の研究者が集った。(創価大学HP「News」2018年11月04日)
創価学会があえて布教をしていない中国本土で、北京大学を筆頭に、数十の名門大学に池田大作思想研究の機関が設置されている。こうした名門大学を会場に、日中関係が冷え込んだ時期でさえ、中国各地はもちろん海外から研究者が集まって熱心にシンポジウムが重ねられてきた。
復旦大学でのシンポジウム初日の基調講演に登壇した、北京大学の賈蕙萱(かけいけん)教授は、北京大学池田大作研究会の初代会長を務めた人物だ。この日、賈教授が語ったのは「人間革命の思想と実践」についての調査報告だった。
世界第2位の経済大国となった中国は今や、池田会長の思想、すなわち「人間革命の思想」の研究が、世界でもっとも広がっている国でもあるのだ。
このほど完結を見た小説『新・人間革命』は、いよいよこれから世界で広く読まれ、名実ともの〝世界文学〟となって、人類に大きな影響を与えていくことであろう。
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