10月27日より岩波ホールなどで上映が始まったインド映画『ガンジスに還る』(英題:HOTEL SALVATION/2016年/インド)。ガンジス河畔に広がるヒンズー教の聖地バラナシを舞台にした、生死をめぐる家族の物語が好評を博している(映画評リンク)
この映画の監督・脚本を務めたシュバシシュ・ブティアニは、インド・コルカタ出身。27歳(撮影時は25歳)の若手監督だ。どうしてバラナシを舞台に選んだのか。なぜ家族や〝生死〟をテーマにしたのか――。新進気鋭の若き監督に話を聞いた。(フリーライター 藤澤 正)
――監督が初めてバラナシを訪れた経緯と、映画製作に挑んだ理由についてお聞かせください。
ブティアニ かねてより訪れたことがない土地に行ってみたいと思っていた私は、友人の結婚式がインド南部のケーララやデリーなどで行われるタイミングで、国内各地をめぐる旅行を実行しようと決めました。そしてケーララから北上し、最終的にバラナシに辿り着いたのです。
バラナシに到着して、現地の人々に話しかけたりしながら街のなかを散策していると、ある施設のことを耳にしました。それが、人々が解脱を目指すための施設である「ムクティバワン(解脱の家)」だったのです。私は強い関心を抱き、すぐにそこを訪れました。
事務所の外にある掲示板には、施設内でのルールが書かれており、管理人はとても丁寧に施設の概要を説明してくれました。彼は身振り手振りが異常に大きく、とても早口で、ヒンズー教の思想や哲学を饒舌に語ってくれたのです。
私はすっかりムクティバワンの魅力に取りつかれ、そこで生活をする人をはじめ、さまざまな関係者に話を聞くことにしました。
そのなかで、ある男性が自分の父親をムクティバワンへ連れて来るのにどれだけ苦労したかを語ってくれた話がとても印象に残り、その後の2、3ヵ月は彼と彼の父親のことで頭がいっぱいになりました。そうして、ムクティバワンをめぐる物語を書いてみようと思ったのです。
――監督はニューヨークで映画製作を学ばれました。故郷を離れ、外国で生活した経験が映画のテーマ選びに与えている影響はありますか?
ブティアニ 映画を製作し、それを広く世界に発信するためには、まず何よりそのテーマや物語が私自身の心に訴えかけるものでなくてはなりません。矛盾するように聞こえるかもしれませんが、私はそう考えています。実は、子どもの頃の私は、映画といえばハリウッドかボリウッド(インド・ムンバイの映画産業全般を指す俗称)だと思っていました。恐竜や宇宙、壮大な恋愛を題材にした映画しか観たことがなかったんです。ところが、ニューヨークに渡り、世界中の映画を観るようになって、私の考え方は変わりました。映画といえども、スペクタクルな物語でなくてもいい。もっと自分にとって身近で、人々の生活に根差した映画を作ってもいいんだと考えるようになったのです。その時から、インドで生まれた物語や、個人的なつながりを感じる映画に強く惹かれるようになりました。
本作のひとつの大きなテーマは〝家族愛〟であり、愛ゆえに引き起こされる葛藤だと思っています。私自身はバラナシで生活をしたこともなければ、ムクティバワンに家族を連れていったこともありません。ただ、父親ダヤと息子ラジーブ、そして孫娘スニタの三世代の葛藤がどんなものであるかは理解できます。なぜなら、家族愛というのは普遍的だからです。そこに、私はこの物語と自分自身との身近さを感じています。
――本作を撮影する上で、監督が特に意識したことは何でしたか?
ブティアニ 映画を観終わったあと、観客の方々のなかに、思索するための〝余韻〟が響くようにということを意識しました。そのためには、登場人物の心の揺れ動きや、それを映し出す些細な表情など、日常のなかに潜む〝劇的〟な瞬間をフィルムに刻む必要があります。
解脱をするための施設というと、どこか大それたことのように聞こえるかもしれません。ただ、ムクティバワンでの生活は、とてもゆったりとしたものです。食事をし、薬を飲み、洗濯をする。そして、昼食のあとは昼寝をして、友人たちと話し、また食事を取って1日が終わる。この繰り返しなのです。
私が表現したかったのは、そのようなゆったりとしたテンポが生み出す雰囲気であり、まさにそのなかに人々の〝生〟があり〝死〟があるということでした。バラナシでは〝死〟は特別な出来事ではなく、あくまで日常の一部に過ぎないのです。
本作のいくつかの場面には、遺体が火葬場に運ばれて行く様子が背景として映り込んでいます。しかし観客はきっと、それがセンセーショナルな出来事だというふうに捉えないはずです。なぜならば、運ばれる遺体はあくまで背景に過ぎず、物語の展開にこそ関心を引かれているはずだからです。
――確かに、バラナシでは〝死〟が日常に溶け込んでいますね。
ブティアニ バラナシは色彩豊かな街です。壁や建物、扉はどれも色とりどりで、さまざまな紋様も見ることができます。〝死〟は日常の一部――。このことを表現するために、私が本作で試みた視覚的な仕掛けのひとつは〝死〟に色を持たせるということでした。多くの国の葬送の儀式では、黒や白といった単色が用いられます。ところがバラナシは違います。色とりどりの街が〝生〟を豊かにしているように、映像に意識的に色を取り込むことで、〝死〟にも彩りが与えられるのではないかと考えたのです。
ガンジスやバラナシ、ムクティバワンを舞台にし、生死をテーマに選んだ時点で、それはつまりヒンズー教の深遠な哲学や思想を題材にすることになります。ただ、私はそうした哲学や思想を、映画のなかで大きな声で語ろうとは思いませんでした。それらがどういったものであるかを言葉で明かしたとすれば、物語はとても陳腐なものになってしまうし、退屈になってしまうからです。
――本作を通じて、監督自身の心境に何か変化はありましたか?
ブティアニ まず、自国が育んできた文化への理解は以前よりも深まったように思っています。また、撮影中には父親ダヤの疲れや、息子ラジーブの葛藤、孫娘スニタの息苦しさをしばしば感じました。これらのことからは、家族であったとしてもそれぞれの抱える問題に思いを馳せ、何かしら行動する時には、これといった正解はないということを学んだように思います。それは、異なる世代とうまく付き合っていくためにはどうすればいいかという問いでもあります。
さらに、誰かに親切にすることをためらっているうちに、その人は亡くなってしまうかもしれない。だからこそ、家族をはじめ自分にとって大切な人に対しては、常に優しい自分でいなければならないということも学びました。
私たちは、自分たちが思い描く〝解脱=自由〟を手に入れられるよう、日々の生活のなかでこそ努力をしなければならないのです。
『ガンジスに還る』公式サイト
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