辺野古混迷の〝元凶〟
2009年8月30日の第45回衆議院議員選挙。
その1ヵ月前の7月19日、民主党の鳩山代表(当時)は、海兵隊の普天間飛行場の移設先について「最低でも県外」と大見得を切った。
この発言を前提に、民主党は選挙公約にも「米軍再編の見直し」を掲げ、同党は史上最多の308議席を獲得して政権の座に就く。
沖縄県でも4つの選挙区すべて、民主党、社民党、国民新党の野党系が議席を独占した。
ところが翌10年5月になると、鳩山政権はあっさり方針を転換し「県内移設」を示す。
あきれたことに、沖縄県に謝罪に訪れた鳩山首相は、あの発言は党としての見解ではなく自分の個人的意見だったなどと弁解し、〝学べば学ぶにつけて〟沖縄に駐留する海兵隊の重要性が分かり、県外あるいは国外に出すという結論にならなかったと述べた。(「朝日新聞デジタル」2010年5月4日)
自分は勉強不足だったから、あのような軽率な空手形を切ったというのだ。
米国と何らすり合わせもせず、そもそも安全保障の実情も沖縄に駐留する米軍のこともロクに勉強せず、ただただ目前の選挙で勝ちたいがために、結果的に沖縄県民の心をもてあそび利用しただけだった。
鳩山氏は就任から9ヵ月余りで、首相の座を追われることになる。
この無責任で軽はずみな鳩山発言が、普天間移設問題を一気にこじれさせ、今に至るまで混迷させる元凶となったことは、疑いようのない事実である。
発言は玉城氏の集会
この無責任な民主党政権の中枢メンバーが、そのまま現在の立憲民主党の中枢にいることは、以前に書いた。
では鳩山氏はあの7月19日、どこで、この「最低でも県外」という、無責任な発言をしたのか。
琉球新報の取材班が綴ったルポ『普天間移設 日米の深層』(青灯社)は、次のように記している。
衆院選を約1カ月半後に控えた同年7月19日。民主党公認候補(当時)の玉城デニーの応援演説をするため、沖縄市民会館で登壇した党代表・鳩山由紀夫(当時)は、ホールを埋め尽くした聴衆を前に、県民の大きな期待を感じていた。熱気と高揚感が会場を包んでいた。米軍普天間飛行場の返還・移設について触れた。
「県民の気持ちが一つならば、最低でも県外の方向で、われわれも積極的に行動を起こさなければならない」。さらりと出た言葉だったが、県民の心をつかむには十分だった。
民主党が勢いを増す象徴的な場面だった。同党は衆院選で県内4選挙区中、玉城を含む公認2候補を当選させる。普天間移設の「最低でも県外」は、多くの国民から事実上の公約として捉えられた。
鳩山氏があの無責任な「最低でも県外」発言をしたのは、名護市などを含む沖縄3区の民主党公認候補に内定していた玉城デニー氏が主催した集会だったのである。
この〝さらりと出た〟詐術的な発言で民主党は勢いを増し、玉城デニー氏は衆議院議員に初当選した。
このとき民主党の代表代行の筆頭を務め、政権獲得後にあっさり辺野古移設を決定した際の民主党幹事長を務めていたのは、玉城氏が〝政治の師〟と仰ぐ小沢一郎氏である。
その小沢氏が、玉城氏擁立の後ろ盾となり、今度は自分たちが移設を決定した辺野古への「移設反対」を唱え、沖縄県知事選を取り仕切っているのだ。
「しんぶん赤旗」のウソ
ところで、「オール沖縄」を主導する日本共産党が、機関紙「しんぶん赤旗」で、いつものごとく有権者を欺く記事を掲載しているので指摘しておきたい。
同紙8月27日付には、「玉城さんに期待」という大きな見出しのもと、共産党議員ら5人が玉城デニー氏へのエールを寄せている。
その右上トップには参院会派「沖縄の風」議員である糸数慶子氏が、「姿勢が一貫 信頼できる」と題して、冒頭からこう書いている。
民主党政権が米軍普天間基地の「県外」移設の公約を破って辺野古移設(新基地建設)を容認した時、玉城デニーさんはきっぱりと民主党を離れ、県民の立場にたちました。
これはまったく事実と異なる。
2010年5月に民主党政権が辺野古移設を容認したあと、玉城氏は民主党を離れるどころか、翌年2月には民主党の沖縄県連幹事長に立候補までしている。
この代表選では、玉城氏は国会議員でありながら地元の信望を得られず、県議の新垣安弘氏に敗れ落選した。
周知のとおり民主党内では内輪の権力闘争が激化しており、玉城氏は2年以上たった12年7月になってから、消費税問題を理由に小沢一郎氏らと歩調を合わせて民主党を離党したのである。
その離党の経緯については、ほかならぬ玉城氏自身が「離党届」と題してブログに理由を綴っている。
2009年、政権交代が実現した選挙において私、玉城デニーは「県民の生活が第一」を実現するための、継続的な社会保障と年金の制度、子ども手当の実現や、格差を解消して経済振興を活発にさせるための政策などを掲げ、皆様から当選をさせていただきました。(玉城デニーホームページ)
玉城氏の初当選の最大の要因だった「最低でも県外」の基地問題は、まるでなかったことのように一切スルーしているのに驚く。
玉城氏は、
「4年間は消費税を上げずに税の仕組みと財政を立て直す」と約束したマニフェストが、「社会保障と税の一体改革を急がせるため」に、充分な党内議論を尽くさず、(中略)党内合意を踏まえられないまま、結果として自民・公明・民主の3党合意を優先した結論にしてしまった。(同)
から、民主党を離党すると述べている。辺野古の〝へ〟の字も出てこない。
糸数議員や「しんぶん赤旗」は、沖縄の有権者に対して、よくもこういう嘘を平然と語れるものだと思う。
自分の主催した集会で党代表だった鳩山氏が「最低でも県外」と発言。それで当選しながら、8ヵ月後には辺野古移設を容認。玉城氏は離党もせず。
その移設容認した政党の幹事長だった小沢氏を師と仰ぎ、その容認した政党の中枢にいた人々の支援を受け、今度は「辺野古移設反対」で県知事選に立候補する。
結局これらの人々は、「辺野古移設反対」というデリケートな問題を、都合に合わせて大々的に出したり、撤回したり、隠したり、また出したり。
そのときどきの政局のなかで、自分たちの当選・党勢拡大の道具に使ってきただけではないのか。
「沖縄県知事選のゆくえ」シリーズ:
沖縄県知事選のゆくえ①――県民の思いはどう動くか
沖縄県知事選のゆくえ②――立憲民主党の罪深さ
沖縄県知事選のゆくえ③――すっかり変貌した「オール沖縄」
沖縄県知事選のゆくえ④――「基地問題」を利用してきた人々
沖縄県知事選のゆくえ⑤――「対話」の能力があるのは誰なのか
沖縄県知事選のゆくえ⑥——なぜか180度変わった防衛政策
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