オリンピック空手との差別化
沖縄県の翁長雄志知事(2018年8月8日に逝去)が大会実行委員長をつとめた「第1回沖縄空手国際大会」が、今年(2018年)8月2日から5日までの4日間、那覇市と豊見城市で開催された。
沖縄空手の伝統型の演武を競技対象とするもので、海外から560人以上の選手を迎え、日本国内650人(うち沖縄県内が470人)と合わせて1200人を超える過去最大規模の大会となった。
「第1回」と銘打たれているものの、過去にも似たような大会は県の主催で何度か開催されている。今回は県に加え、県内主要空手4団体を束ねる「沖縄伝統空手道振興会」が名を連ね、さらに特筆すべきことは、流派別に分かれて開催されたことだ。
沖縄3大流派の「首里・泊手系」「那覇手系」「上地流系」の空手3部門に加え、古武道についても「棒」と「サイ」にわけ、計5部門で開催された。
さらに各部門において、男女別、年齢別(少年、成年Ⅰ、成年Ⅱ、シニア)の計8競技(全40競技)で開催された。
沖縄県では2016年4月に文化観光スポーツ部内に「空手振興課」を新設。前年9月に東京五輪の追加種目の候補として空手が提案されたことを受けた措置だったが、翌年8月には空手が正式種目として決定された。
さらに2017年3月には、豊見城市に沖縄空手会館が完成の運びとなり、今回の大会は、「空手発祥の聖地」で行う国際大会を内外にアピールする重要な位置づけの大会となった。
これまで連載でふれてきたとおり、オリンピックや国民体育大会で行われる空手は「競技空手」であり、ルールのない実践攻防を前提とする沖縄伝統空手とは、明確に区別される。
2020年の東京五輪以降のオリンピックで空手競技が正式種目として採用されるかどうかは未定だが、今回沖縄で開催された大会は、奇しくもオリンピックとオリンピックの間の年にスタートし、「すみ分け」を鮮明にするものとなった。
海外からの参加選手が多かったのは、アメリカ(100人)、インド(83人)、アルゼンチン(53人)の順で、日本を含め50カ国・地域から集った。
試合の最終結果は、40競技のうち7つで外国人選手が優勝し、残りの優勝者の多くは沖縄県勢となった。ちなみに外国人の優勝した競技種目は以下のとおりだ。
首里・泊手系 成年Ⅰ男子 フランス
〃 シニア男子 フィリピン
上地流系 成年Ⅱ男子 ロシア
〃 成年Ⅰ女子 アメリカ
古武道(サイ) 成年Ⅰ男子 ドイツ
〃 成年Ⅱ男子 ロシア
〃 シニア女子 カザフスタン
残りの33競技はすべて日本人が優勝し、地元の沖縄タイムス紙は、翌日付の1面トップで「県勢31人頂点」と報じた。
課題を残した第1回国際大会
この大会で最も大きな課題となったのは審判のあり方だった。沖縄伝統空手はもともと、競技空手は審判受けを狙うあまりオーバーアクションに走りやすく、空手の武術性を失わせると批判してきた立場だ。それだけに競技空手と差別化しなければ、大会開催の価値は薄れてしまう。
また競技運営そのものに不慣れな愛好家も多く、沖縄伝統空手の理念に基づく公平・公正な審判が可能かどうかが焦点となったことは容易に想像できる。
同じ一つの型でも、「首里・泊手系」や「那覇手系」などでは3~4種類の型が動画(「型動画」第1回沖縄空手国際大会)でアップされた。審判講習会も合計12回に及んだという。
5部門のうち最も参加選手の多かった「首里・泊手系」で、主審を務めた大城功・副理事長(沖縄小林流空手道協会)はこう語る。
私たちは競技空手とはあくまで差別化していかなければならない立場。沖縄伝統空手の試合で最も重視されるべきは、アテファ(強い突きの威力)ができているかどうか、チンクチ(筋肉と関節を引き締める動作)、ムチミ(体のしなり)ができているか、また型のそれぞれの動作の意味を理解した動きになっているかなどで、それらが判断の基準になりました。今回は審判員がいちばん勉強になったと思います。個人的な感想では、外国選手は概して型の理解が少ないように感じました。また、日本選手を含め、首里手本来の呼吸の使い方(下腹の締めなど)の基本的な部分が意外とできていない人が多いように感じました。
一方、本土から取材に来たメディアの中には、今回の審判の基準が理解できずに戸惑った人もいたようだ。また観戦した愛好家の中には、日本人を有利にするかのように、公正なジャッジが行われていないと感じた人もいた。実際試合を観戦しても、7人の審判員で裁きつつ、4-3の僅差の結果が意外に多く見られた。また、「組手ではなく型の競技とはいえ、本来的に、伝統空手は競技に走るべきではなかった」との意見も耳にした。
もう一人、閉会式で講評を述べた審判専門部会の大城信子部長(首里・泊手系の部)は、講評の最後をこう結んだ。
第2回に皆さんと再びお会いできることを願っています。
だが現状、次の大会がいつ開かれるかは定かでない。
地元紙の琉球新報は8月3日付の社説で、
県によると、次回大会は未定とのことだが、第1回大会の盛会を見れば、継続が空手振興の大きな力となることは間違いない。
とわざわざ活字にし、次回の継続的な開催に期待を寄せた。
もともと1981年の国体問題で「競技」と「伝統」に2分された沖縄伝統空手界が、大同団結して開催された今回の大会――。運営準備の過程で、30数年前の確執が尾を引いたのか、深刻な意見の食い違いが生まれる場面もあったと聞いている。多くの点で教訓を残した大会であったことは間違いない。
一切の関連行事が終了した翌8日、翁長知事の急逝が報じられた。もともと1日の開会式と7日の閉会式後のパーティーで知事自身が主催者として挨拶する予定であったが、いずれもかなわないまま、一切の行事終了を見届けるかのように逝去された。
沖縄空手界においては、県庁内に空手振興課を新設し、沖縄空手界の殿堂ともいえる沖縄空手会館の落成に立ち会った知事だった。ご冥福をお祈りしたい。
【連載】沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流:
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