ジャン・ジュネの作品を手に取ったのは、おそらく中学生のころだった。実家の近くにある、町の小さな本屋の、狭く薄暗いフロアに置かれた本棚に並んでいたのだ。『泥棒日記』だったとおもう。ジュネの代表作である。
『泥棒日記』は、ひとりの作家が泥棒のことを書いた作品ではない。泥棒が、泥棒のことを書いた作品だ。中学生にきちんと読めたかというと、いま考えれば心許ない。ただ、ジュネがどういう作家であるかは感じ取ることができた。彼は、僕がそれまで読んできた作家とは、まったく違う作家だった。
ジュネはフランスに生まれ、親に捨てられて養護施設で育った。成長すると、生きるために泥棒を繰り返し、刑務所に収監される。そこで文学と出会い、才能が開花した。彼の才能を惜しんだサルトル、ジャン・コクトーなど、世界文学に名をはせた人々が嘆願書を出し、囚われの生活から救い出した。
ジュネは、孤児であり、犯罪者であり、ゲイだった。フランス社会のなかでは、まったくのマイノリティーだ。それが文学を手にしたことでプラスに転じた。幾重にもマイナスを背負った男の書く文学を、世界はこぞって称賛した。
『嘘つきジュネ』は、この作家が老境に入ってから亡くなるまでの、ほぼ10年の様子を、深い交流のあった作家タハール・ベン・ジェルーンの手で書いたものだ。
ある日、突然、タハールのもとに電話があった。
ジャン・ジュネという者だが、あなたの本を読んだ。ぜひ会いたいんだが……。お昼を食べる時間はあるかな
タハールは、まだ作家としてのキャリアを始めたばかりの若者で、ジュネとは30歳の年の開きがあった。世界文学に登録された作家からの、この誘いを断る理由が見当たらない。さっそく出向いて行って、そこからジュネとのつきあいができた。
本書の面白さは、表題から推測できるように、ジュネという人物のいいところも悪いところも包み隠さず描き出しているところだ。彼は愛すべき人柄を持っているが、人を利用する。裏切ることもある。タハールは、それをまのあたりにしてきた。
しかしタハールにとって、ジュネとの10年の交流は、彼の作家としての成長に大きな影響を与えた。それは作家として、どのように世界と向き合うかといった本質的なことを学ぶ機会になったのだ。
ジュネは、誰とでも親しくなるタイプではない。つきあう人間は選ぶ。眼鏡入れのなかに、数少ない人の電話番号のメモを保管している。それが彼のつきあいのすべてなのだ。光栄にもタハールは、その数人のひとりになった。
僕が意外でもあり、考えさせられもしたのは、ジュネが文学を好きではなかったらしいことだ。彼は、いう。
書くことは裏切ったあとで人がもっている最後の手段なんだ。口で交わす約束の言葉を捨てるときに人に残されるものだ。刑務所から出るために、あるいは家族がないっていうことを忘れるために、書くんだ
つまり、ジュネは生きるために書いたのだ。作家には2種類ある。職業としての作家と、生き方としての作家だ。彼は後者だった。生きるためには書くしかなかった。書くことで自由を手にし、パンとワインを得た。また、社会的な影響力も得た。
書くことを除けば、自分はただの捨て子であり、前科者であり、ゲイでしかない。そのことを彼は身に染みて分かっていた。だから、結局、晩年まで文学を手放すことはなかった。喉頭癌を患って、人生の終章へのカウントダウンが始まっているなかでも、彼は書き続けた。
ジュネの遺作は、パレスチナの人々への愛に満ちた大作『恋する虜』だ。これを読むと、彼が文学者でしかありえなかったことが、よく分かる。分厚い本なので、まだ読んでいる最中だが、いずれこのコラムで取り上げる予定である。
彼は、いう。
パレスチナ人にわたしが彼らについて書いたことを、あるいはたんにわたしの名前だけでもいい、利用してもらえるのなら、わたしは満足だ
わたしのテクストとわたしの名を彼らに贈るんだ
ご期待ください。
お勧めの本:
『嘘つきジュネ』(タハール・ベン・ジェルーン著/岑村傑訳/インスプリクト)