チカーノという言葉を聞く機会が増えた。チカーノ・ラップ、チカーノ・ムービーなど。それではチカーノの文学は、どうなっているのか? 気になって探してみたら本書が見つかった。
『ギターを抱いた渡り鳥 チカーノ詩礼賛』。著者によれば、
本書は、チカーノ詩の代表的なものを網羅的に読解し、わが国におけるチカーノ詩研究の基礎づくりをもくろむ
といっても、学術書ではない。チカーノ文学を読み解くには、その書き手が帰属するカトリック・スペイン語文化の知識が必要だという配慮から、紀行とロードノヴェルのかたちで、北米とメキシコの国境地帯の歴史や文化を紹介し、そのあいだにチカーノ詩が挟まれる。読み物としてもおもしろい。
さて、チカーノ=chicanoとはなにか? これはメキシコ系アメリカ人のことで、メシカ=mexica(アステカの意味)から派生したメシカーノ(メシカ人)=mexicanoが訛ってできた言葉という説が有力らしい。
もともとチカーノは差別語だったのだが、1960年代の後半から「民族の自尊心とルーツを再確認する呼称」として使用されるようになった。メキシコが北米との戦争に敗れて、国土を割譲したのが1848年なので、チカーノの歴史はそのころから始まることになる。
では、チカーノ詩を見ていこう。
わたしはホアキン 混乱の世界で道に迷い
アングロ白人社会の
渦にはまり
法令に戸惑い
態度で侮辱され
搾取で抑圧され近代社会によって粉々にされた
わたしの父は
経済の戦いに敗れ
文化生存の苦しみに負けずに
勝ちのこった
いま!
わたしは選ばねばならない肉体的な飢えと表裏一体の
精神の勝利を
取るかそれとも
アメリカ社会の神経症や
魂の不毛と表裏一体の
腹いっぱいの飯
をとるか
(ロドルフォ・〈コーキィ〉・ゴンサレス『わたしはホアキン』の冒頭)
ロドルフォ・〈コーキィ〉・ゴンサレスは、1928年に北米のデンヴァーで生まれた。季節労働者の両親に育てられ、高校を卒業してボクサーになった。その後、バーを営みながら政治活動を始める。
著者の解説によると、『わたしはホアキン』(1967年)は長篇の叙事詩で、北米の社会で差別されるチカーノの現状から始まり、コロンブスがやって来る前のメキシコの先住民の時間へ遡って、ヨーロッパによる征服、メキシコの 最後の先住民文明・アステカ帝国の滅亡をたどり、メキシコのスペインからの独立、そしてメキシコ革命を経て、また、いまのチカーノの現状へと戻る。
チカーノ詩としては、よく読まれているテキストで、チカーノを研究するために欠かせない文献だという。表題の「ホアキン」は、19世紀半ばのカリフォルニア州で社会の矛盾と戦ったホアキン・ムリエスタから取られたようだ。
俺がやって来るとここに奴らがいた
ちっぽけなランチョでトウモロコシを作ったり、
牛や馬を育てたりしていた
薪を焚く匂いや汗の匂いがぷんぷんしていた
奴らは誰が自分たちより偉いと分かると見えて
帽子を取って
胸のあたりに持っていき
俺の前で目を伏せるもっとマシな生活がしたいといった気概もなくて
土地を自分のモノにしたいといった欲もなく 皆で土地を共有していた
連中を追い出すことなど朝飯前だった
臆病者で 根性なしときてるから
小難しいことが書いてある書類一枚見せて
連中に言ってやった 税金を立て替えてあるんだ
直ちに払え でなきゃマニャーナまでに出ていけ
俺と俺の手下の者どもがその紙切れを
すべての家族にこれみよがしに見せてるうちに
端っこがすっかりぼろぼろになってしまったっけ
(グロリア・アンサルドゥア「こきたねぇ奴ら」より)
グロリア・アンサルドゥアは、1948年に南テキサスで生まれた。そこは数世帯のチカーノの家族が集落をつくる貧しい土地で、アンサルドゥアも子供のころから農作業を手伝った。そのなかで彼女は向学心を燃やして、大学院まで進んだ。
アンサルドゥアは、自分のチカーノとしての体験だけでなく、歴史学、言語学、社会学、心理学などを援用して、オリジナルな作品をつくった。代表作は『ボーダーランズ』(1987)。
彼女はレズビアンであることを告白して、国境地帯で対立する文化に「セクシュアリティの偏差をつけ加えることで、単純なステレオタイプ化した国境風景を差異化する」。著者はそのスタイルを「インターリンガリズム」と命名する。彼女の詩は、英語からスペイン語へ、エッセイから詩へと自在に移動していく。
著者は、チカーノ詩の可能性を、こう考える。
チカーノ詩とは、メキシコ系アメリカ人だけのものではなく、周辺に追いやられたアメリカスの人びと、あるいはアジア、アフリカの「ストリート」から生まれる詩と地続き(ボーダーレス)で繋がるはずのもの
境界では常に新しいものが生まれている。アメリカ発のグローバリゼーションが常態となり、新たな境界が創り出されようとしている現在、チカーノ文学は刺激的な存在だ。僕の直感のアンテナは、びくびく震えている。
お勧めの本:
『ギターを抱いた渡り鳥 チカーノ詩礼賛』(越川芳明/思潮社)