連載エッセー「本の楽園」 第51回 チカーノ詩礼賛

作家
村上政彦

チカーノという言葉を聞く機会が増えた。チカーノ・ラップ、チカーノ・ムービーなど。それではチカーノの文学は、どうなっているのか? 気になって探してみたら本書が見つかった。
『ギターを抱いた渡り鳥 チカーノ詩礼賛』。著者によれば、

 本書は、チカーノ詩の代表的なものを網羅的に読解し、わが国におけるチカーノ詩研究の基礎づくりをもくろむ

といっても、学術書ではない。チカーノ文学を読み解くには、その書き手が帰属するカトリック・スペイン語文化の知識が必要だという配慮から、紀行とロードノヴェルのかたちで、北米とメキシコの国境地帯の歴史や文化を紹介し、そのあいだにチカーノ詩が挟まれる。読み物としてもおもしろい。
さて、チカーノ=chicanoとはなにか? これはメキシコ系アメリカ人のことで、メシカ=mexica(アステカの意味)から派生したメシカーノ(メシカ人)=mexicanoが訛ってできた言葉という説が有力らしい。
もともとチカーノは差別語だったのだが、1960年代の後半から「民族の自尊心とルーツを再確認する呼称」として使用されるようになった。メキシコが北米との戦争に敗れて、国土を割譲したのが1848年なので、チカーノの歴史はそのころから始まることになる。
では、チカーノ詩を見ていこう。

 わたしはホアキン 混乱の世界で道に迷い
アングロ白人社会の
渦にはまり
法令に戸惑い
態度で侮辱され
搾取で抑圧され

近代社会によって粉々にされた
わたしの父は
経済の戦いに敗れ
文化生存の苦しみに負けずに
勝ちのこった
いま!
わたしは選ばねばならない

肉体的な飢えと表裏一体の
精神の勝利を
取るか

それとも
アメリカ社会の神経症や
魂の不毛と表裏一体の
腹いっぱいの飯
をとるか
(ロドルフォ・〈コーキィ〉・ゴンサレス『わたしはホアキン』の冒頭)

ロドルフォ・〈コーキィ〉・ゴンサレスは、1928年に北米のデンヴァーで生まれた。季節労働者の両親に育てられ、高校を卒業してボクサーになった。その後、バーを営みながら政治活動を始める。
著者の解説によると、『わたしはホアキン』(1967年)は長篇の叙事詩で、北米の社会で差別されるチカーノの現状から始まり、コロンブスがやって来る前のメキシコの先住民の時間へ遡って、ヨーロッパによる征服、メキシコの 最後の先住民文明・アステカ帝国の滅亡をたどり、メキシコのスペインからの独立、そしてメキシコ革命を経て、また、いまのチカーノの現状へと戻る。
チカーノ詩としては、よく読まれているテキストで、チカーノを研究するために欠かせない文献だという。表題の「ホアキン」は、19世紀半ばのカリフォルニア州で社会の矛盾と戦ったホアキン・ムリエスタから取られたようだ。

 俺がやって来るとここに奴らがいた
ちっぽけなランチョでトウモロコシを作ったり、
牛や馬を育てたりしていた
薪を焚く匂いや汗の匂いがぷんぷんしていた
奴らは誰が自分たちより偉いと分かると見えて
帽子を取って
胸のあたりに持っていき
俺の前で目を伏せる

もっとマシな生活がしたいといった気概もなくて
土地を自分のモノにしたいといった欲もなく 皆で土地を共有していた
連中を追い出すことなど朝飯前だった
臆病者で 根性なしときてるから
小難しいことが書いてある書類一枚見せて
連中に言ってやった 税金を立て替えてあるんだ
直ちに払え でなきゃマニャーナまでに出ていけ
俺と俺の手下の者どもがその紙切れを
すべての家族にこれみよがしに見せてるうちに
端っこがすっかりぼろぼろになってしまったっけ
(グロリア・アンサルドゥア「こきたねぇ奴ら」より)

グロリア・アンサルドゥアは、1948年に南テキサスで生まれた。そこは数世帯のチカーノの家族が集落をつくる貧しい土地で、アンサルドゥアも子供のころから農作業を手伝った。そのなかで彼女は向学心を燃やして、大学院まで進んだ。
アンサルドゥアは、自分のチカーノとしての体験だけでなく、歴史学、言語学、社会学、心理学などを援用して、オリジナルな作品をつくった。代表作は『ボーダーランズ』(1987)。
彼女はレズビアンであることを告白して、国境地帯で対立する文化に「セクシュアリティの偏差をつけ加えることで、単純なステレオタイプ化した国境風景を差異化する」。著者はそのスタイルを「インターリンガリズム」と命名する。彼女の詩は、英語からスペイン語へ、エッセイから詩へと自在に移動していく。
著者は、チカーノ詩の可能性を、こう考える。

 チカーノ詩とは、メキシコ系アメリカ人だけのものではなく、周辺に追いやられたアメリカスの人びと、あるいはアジア、アフリカの「ストリート」から生まれる詩と地続き(ボーダーレス)で繋がるはずのもの

境界では常に新しいものが生まれている。アメリカ発のグローバリゼーションが常態となり、新たな境界が創り出されようとしている現在、チカーノ文学は刺激的な存在だ。僕の直感のアンテナは、びくびく震えている。

お勧めの本:
『ギターを抱いた渡り鳥 チカーノ詩礼賛』(越川芳明/思潮社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。