沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第6回 空手普及の功労者(下)船越義珍

ジャーナリスト
柳原滋雄

東京で空手普及に尽力

沖縄出身の富名腰義珍(ふなこし・ぎちん 1868-1957)は、「船越義珍」として空手界に広くその名を残している。
幼少時は虚弱体質で気弱な性格だったといわれるが、10代の初めに同級生の父親で首里手の大家だった安里安恒(あさと・あんこう 1828-1914)に師事して克服した。当時はまだ空手修行は夜陰に乗じて秘密裡に行われていた時代で、毎夜提灯をぶらさげて安里宅との夜道を行き来した。

 安里先生の門人は当時私一人だった。

と回想している。さらに安里の親友であった糸洲安恒(1831-1915)にも師事し、富名腰の空手における師匠は2人である。
自著『空手道一路』によると、

 2人とも私にとってなくてはならなかった先生

といい、

 安里先生が丈高く、肩幅広く、眼光爛々としていかにも古武士の風格を具えておられたのにくらべて、糸洲先生は身長は普通だが胸が非常に厚く、そのために体躯はちょうど樽のような感じであった。

と回想している。

船越義珍

船越義珍

富名腰は独学で小学校準訓導の資格をとり、19歳で教壇に立って以来30年以上にわたって沖縄の地で教鞭をとった。1922(大正11)年、54歳のときに文部省主催の「第1回運動体育展覧会」で沖縄県を代表して公相君(クーサンクー)の型を演武。講道館の嘉納治五郎館長などから請われるままに東京に残り、後半生のすべてを首都東京での空手普及に注ぐことになった。その功績を称え、「日本空手道の父」と称されることもある。
当初東京での普及活動は経済苦に見舞われるなど楽なものではなかったが、1924年に慶応大学で初めて空手部が開設されたことを嚆矢として、東京大学、早稲田大学、拓殖大学、法政大学、中央大学など首都圏の主要大学を足場に普及に努めた。
日本で最初の空手教本といわれる『琉球拳法 唐手』が発刊されたのは1922年11月のことで、著者名は改名前の「富名腰義珍」である。
当時、船越の空手歴は40年をすぎたころで、50代半ばという年齢は、沖縄空手界の長老からすると、これから空手の境地が大きく開かれる前に東京で普及に当たったことを残念がる声も聞かれる。もしもっと花開いた段階で普及に当たっていれば、いまとはまったく違う形になっただろうとの思いからだ。

船越が出版した唐手に関する最初の書籍(復刻版)

船越が出版した唐手に関する最初の書籍(復刻版)

さらに社会の指導階級となる大学生を対象に普及に努めたことは、その後短期間で空手の広がりをもたらす効用があった半面、学生ならではの4年間という時間的制約のもとでカリキュラムを編成する必要も生じ、勢い指導内容が沖縄における地道で息の長い稽古方法とは正反対の、促成栽培的な側面が強くなった点はいなめなかった。
若年世代の修練者たちは、沖縄伝統空手に特徴の古流の型を反復する地味な稽古法に満足せず、実際に対人で技を試そうとする自由組手に走りがちで、さらに柔道・剣道のような試合形式を模索する動きも強まった。
そうした動きが高じた結果、船越自身が指導にさじを投げ出した時期もあったようだ。

「空手に先手なし」の思想のこす

空手の型はほとんどが受けから始まるため「空手に先手なし」の思想が広く知られる。この言葉で有名になったのも、船越義珍である。
70歳をすぎた1939(昭和14)年、船越は豊島区雑司ヶ谷に日本最初の本格的な空手道場を新築、「松濤館道場」と命名した。現在の本土空手4大流派の一つ、松濤館流はすでに1935年に創設されていたが、世界に広がる松濤館空手はこのとき事実上スタートした。

船越義珍の顕彰碑(沖縄県立武道館そば)

船越義珍の顕彰碑(沖縄県立武道館そば)

1938(昭和13)年に刊行された仲宗根源和著『空手道大観』に、船越は「空手道20か条とその解説」と題する文章を掲載。その第2条に「空手に先手なし」が置かれている。
船越が東京に出る前年の1921年、皇太子時代の昭和天皇が外遊の途中で沖縄に立ち寄った。その際の沖縄での3つの印象のうちの一つが唐手の妙術と語ったのを後に聞いた船越は、自身が首里城正殿前での御前演武を指揮した経緯があったため、感極まった気持ちになったと『空手道一路』に記している。
平成に入り、2018年3月、天皇は任期中最後の沖縄訪問で、初めて与那国島を訪問するとともに、本島・豊見城市の「沖縄空手会館」を初訪問し、地元の空手家長老らの演武を見学した。
日本が誇る沖縄発の武術を、両天皇が時をへだてて現地で拝観したことになる。
船越義珍の顕彰碑は、現在、那覇市奥武山町(おおのやまちょう)町の沖縄県立武道館そばの「沖宮」入口に設置されている。

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。