「人生と信仰」を語る
作家の佐藤優氏と、お笑い芸人「ナイツ」の土屋伸之・塙宣之の両氏という、かなり異色な取り合わせの鼎談である。
今さら記すまでもないが、佐藤氏は外務省で在ロシア日本大使館勤務ののち国際情報局で主任分析官を務め、2002年にいわゆる鈴木宗男事件に連座するなどして逮捕・起訴された(13年執行猶予満了)。
この捜査の内幕を綴った著書『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』で、05年に第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞。以降、作家として驚異的な勢いで著作を出し続けている。
同志社大学大学院神学研究科を修了し、日本最大のプロテスタント宗派・日本基督教団に所属するキリスト教徒であることも有名。
対するナイツの2人は、創価大学の落語研究会で1学年違い(塙氏が上級生)で出会い、塙氏が卒業した直後に漫才コンビを結成。03年に漫才新人大賞を受賞。08年から3年連続してM-1グランプリの決勝に進出した。
塙氏は史上最年少で漫才協会の理事に就任し、現在は副会長。土屋氏は常任理事を務めている。16年の芸術選奨大衆芸能部門で文部科学大臣新人賞に輝いた。ご存知のとおり芸人のはなわ氏は塙宣之氏の実兄である。
本書ではこの両者が、互いの生い立ちや人生の逆境、さらには仕事やお金、外交、友情、夫婦といった多彩なテーマで語り合っていくのだ。
軽妙なトークで編まれているが、交わされる話はなかなか深く真剣である。
そして、もうおわかりのように、この本はクリスチャンと創価学会員の著名人同士の鼎談なのである。異なる信仰をそれぞれ篤く信じる双方が、終始一貫して〝人生と信仰〟を語り合っている。
ゴルバチョフ訪日の秘話
興味深い話はいくつも登場するが、筆者が個人的に印象に残ったものを一つ。
佐藤氏がモスクワの日本大使館に勤務していた1990年の、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長とソ連(当時)のゴルバチョフ大統領の会見についてのくだりだ。
85年にソ連の新しい指導者として登場したゴルバチョフは、ペレストロイカと呼ばれる改革を断行し、戦後の冷戦を終結に導いた人物。
90年、ゴルバチョフは初代大統領に就任する。だが、ソ連の国家元首はそれまで一度も訪日しておらず、領土交渉など懸案を抱えた日本政府はゴルバチョフの訪日をなんとか実現させたいと奔走していた。
90年7月、ゴルバチョフは訪ソした日本の衆議院議長との会談に臨んだが、話は数分で決裂して、もはや訪日は絶望的な状況になる。
それが、直後に会見した池田会長とは、予定を超えて1時間以上にわたる打ち解けた親密なやりとりが続き、ゴルバチョフ大統領は訪日の意向を明言したのである。
現在に至る北方領土交渉の入り口をつくったのは、1991年4月のゴルバチョフ(当時・ソ連大統領)訪日でした。そして、そのときの訪日は、前年の「池田(大作)・ゴルバチョフ会談」がなければ、実現していなかったものでした。(『創価学会を語る』佐藤優・松岡幹夫/第三文明社)
私はかつて、「日本外交が池田会長に助けられているのはれっきとした事実である」と書いたことがある。(『佐藤優の「公明党」論』第三文明社)
行き詰まりをチャンスに転じる
思いもかけない投獄によって外務省を追われた佐藤氏は、本来なら職務として黙秘するしかなかったモスクワでの見聞を、世に公表しようと決意する。
私は元外交官として、池田・ゴルバチョフ会談の事実を歴史的証言としてきちんと残したいと考えました。(『人生にムダなことはひとつもない』)
このとき、佐藤氏は自分の証言が〝創価学会寄りの言説〟などと批判・黙殺されないための戦略として、まず新潮社の出す月刊誌で秘話を公表したのだ。
新潮社が発行する一部の雑誌は、かつてさかんに創価学会に対する攻撃的な記事を掲載してましたね。その新潮社の月刊誌で、私はあえて池田SGI会長とロシア・ゴルバチョフ大統領との会談の秘話を発表しました。さらに詳細な原稿は、翌年の総合月刊誌『潮』に書いています。(同)
本書の語らいは全編にわたって、ある意味すがすがしいほど真正面から直球で、創価学会と池田会長について言及している。
ただ、それが少しも余計なプロパガンダ臭を感じさせないのは、佐藤氏とナイツの2人が本気でそれぞれの信仰を人生の基盤に置いて、堂々と生きているからだろう。
そして両者に共通するのは、不運に見える障壁や挫折に見舞われても、それをチャンスに転じて、結果的に自分らしい人生を切り開いていることなのだ。
その意味では、本書は〝本当の意味で信仰を持つとはいかなることか〟ということを、赤裸々に語り合った一冊だといえる。