少子化が問題になって久しいが、この議論を見るときにいつも違和感を覚えていたことがある。それは、少子化になると、社会保障などの制度が壊れてしまうから、何とか手を打たないといけないという意見だ。
これは転倒した議論である。そもそも社会の制度は、人に合わせてつくられなければならない。制度に合わせて人をつくろうとするのは、衣服の大きさに体の大きさを合わせようとするようなものだ。
だから、少子化になったのなら、過去につくられた制度を維持するために人口増を図ろうとするより、少ない人口に見合った制度をつくるのが道理ではないか。もっとも少子化の原因が、子供は持たない、という人の選択ではなく、子供を持つことができない、という社会の側にあるとすれば、対策を講じなければならないが、それはまた別の話だ。
僕は、日本人が子供を持たない選択をして、少子化になるのであれば、それに合わせた国創りをするべきだと考えてきた。ところが、多くの意見は、過去の制度を維持するために手を打たなければならない、とするものだ。人口減に合わせて、国の在り方を見直そうという議論をする人は、あまりいない。
不満におもっているとき、書店のパトロールをしていて、『下り坂をそろそろと下る』の表題を眼にして読んでみた。すると、著者の平田オリザ氏は、僕と同じようなことを考えていることが分かった。
彼は、日本は三つのことを受け入れなければならないという。
一つは、日本は、もはや工業立国ではないということ。
もう一つは、もはや、この国は成長せず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。
そして最後の一つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。
この認識にもとづいて、平田氏は、自身の持ち分である演劇を武器に、地方のあちこちで新しい試みに乗り出す。たとえば、兵庫県の豊岡市。城崎(きのさき)温泉で有名な城崎町などを抱える町だ。
温泉街の町外れに兵庫県立城崎大会議館という施設があった。1000人を収容できるコンベンションセンターなのだが、稼働率が低く、寂れるばかり。解体して駐車場にでもするしかないと考えられていたところ、当時の市長がふと、「劇団やダンスのカンパニーに貸し出してはどうか」と閃いた。
ちょうどそのころ講演会に呼ばれた平田氏は、「城崎温泉アートセンター化構想策定委員会」のアドバイザーになり、舞台芸術のアーティスト・イン・レジデンス(アーティストを一定期間地域に招聘し、活動の環境を提供する事業)に特化した「城崎国際アートセンター」ができた。
6つのスタジオ、22人が宿泊できる施設(自炊もできる)を完備したこのアートセンターは、審査に合格すれば、無料で最大3ヵ月まで利用できる。近くには温泉があって、滞在するアーティストは、100円で温泉に入れるパスがもらえる。
豊岡市がこのような英断を行ったのにはわけがある。城崎温泉は、志賀直哉の短篇小説『城崎にて』で全国に知られるようになった。つまり、もともと文化によって町おこしが行われてきた。そこで積極的に仕掛けをつくり、新しい『城崎にて』を創り出そうということだ。
試みは成功しつつあって、開館から3年目の2016年には、13ヵ国・40団体から利用の申請があり、世界でも有数のクリエイターたちが集まってきている。彼らは、地元の小中学校で授業を行ったり、レジデンスの成果を発表したりする。
つまり、城崎の子供たち、市民は、いながらにして世界レベルの文化を体験できるのだ。これは平田氏の企てのひとつでもある。日本は文化立国にならなければいけない。そのためには、人々が一流の文化に接してセンスを磨くことだ。
「城崎国際アートセンター」を仕掛けた市長は、「ここでいいのだ。豊岡でいいのだ」が口癖だという。ニューヨークや東京に出ていかなくても、世界レベルの文化と出会うことができて、人として精神的に満たされた生活を送ることができれば、それに越したことはない。
日本の地方が、あるいは地方の人々が、みな、そうなれば、日本という国は、長い下り坂をそろそろと下っていけるのではないか。
ただ、ことは、そう単純ではない。平田氏は、こうも語っている。
下り坂を下っていくことには、寂しさがつきまとう。いまだ成長型の社会を望んでいる人は、この寂しさと向き合うことを避けようとしている人々である。一方で、「成長は終わった、成熟型の社会、持続可能な社会を創ろう」
という方たちもまた、この「淋しさ」をないものとして素通りしているように私には思える。それでは、問題は何も解決しない。
平田氏の考える問題の肝は、下り坂を下る寂しさに、どう耐えるかなのだ。この本は提言というより、実践家の活動報告である。読み終えて、彼の問いかけをきっかけに、僕もじっくり『あたらしい「この国のかたち」』を考えてみたいとおもった。
お勧めの本:
『下り坂をそろそろと下る』(平田オリザ著/講談社現代新書)