僕は10代の半ばから小説を書き始めた。最初はごく普通の小説を書いていたが、やがてヨーロッパの前衛文学の影響を受け、前衛的な作品に手を染めるようになった。22、3歳のころ、『Mariee’s sample』という作品を書いた。
Marieは、マリーという女性の名と、フランス語の花嫁(Mariee)のダブルミーニングで、ある男の妻になった女性を描いた。ただ、さっき断ったように前衛的な作品で、普通の小説ではない。マリーというひとりの女性の持ち物を写真に撮り、それにキャプションをつけて、カタログ雑誌のように読めるつくりだった。
そのなかのひとつは、マリーの下着を撮り、男と彼女の会話を書いた。これは我ながらなかなかいい出来だとおもい、当時、定期購読して雑誌『試行』の主宰・吉本隆明氏に電話をした。
かなり前衛的な作品を投稿したいのだが、というと、「うちはなんでも受け付けますよ」というので、大きな額に入れた下着の写真(キャプションは男女の会話)を、近所の米屋から宅配便で送った。それが前衛作家としての、僕のピークだった。
作品は『試行』に掲載されることなく(僕が主宰だったとして、そういう作品を送りつけられたら、たぶん困惑しただろう)、僕は、いろいろと文学的な事情も手伝って、また、ごく普通の小説を書くようになり、数年後にある出版社の新人文学賞をもらって作家になった。
デビューしてからも、ふとしたおりに『Mariee’s sample』のことを思い出し、いつかまた、ああいう作品をつくることになるかもしれない、と考えることがあったのだが、このあいだ『MONKEY』のバックナンバーを読んでいて、「あっ」とおもった。
『MONKEY』は、翻訳家の柴田元幸氏が責任編集をしている文芸誌だ。僕は外国語ができないので、アメリカ文学を読むのに柴田氏の世話になっている。彼の翻訳は、その作品がもともと日本語で書かれているような錯覚を起こさせる。秀逸なのだ。
その人物が文芸誌を創刊したとあっては、文学好きなら知らない顔はできない。早く手にしたいとおもいながら、無精な性格なので購入するまで時間がかかった。アマゾンで注文して、うちに届いたのを、すぐ開いた。そのとき、「あっ」とおもったのだ。
『MONKEY』Vol.8「特集:2016年の文学」――冒頭にトルコの作家・オルハン=パムクの「事物の無垢」(抄)が載っている。「事物の無垢」は、「1970~80年代のイスタンブールを仔細に描いた博物館のような小説」で、作者は「この小説の姉妹編ともいうべき博物館をイスタンブールに開く構想を進めていた」。
そして、イスタンブールの人々の写真や彼らが使う日用品などを収集し、「無垢の博物館」を開いた。「事物の無垢」(抄)は、この博物館の公式カタログともいうべき本の抄訳である。
僕が「あっ」とおもった理由は分かっていただけただろう。これは言葉を換えていえば、「やられた」となる。僕は、博物館に陳列されているはずの、人物写真や猫の置き物や糸巻きやレジスターなどを眺めながら、うーんと唸っていた。
オルハン=パムクは、小説としての博物館を開いたのだ。僕の『Mariee’s sample』のアイデアをさらに発展させると、こうなるのではないか。「無垢の博物館」が開館したのは2012年だという。ああ、こんな作品がつくりたかった。
そんなことをおもいながらページをめくっていくと、2016年の文学の見取り図を提示する座談会がある。柴田氏も含め作家や翻訳家や外国文学者などが、世界文学の現在を語っている。
柴田 世界では今、小さい意味では家族、もうちょっと大きくなって共同体、そういうものが西洋化によってだんだん壊れていき、その中で、どういうかたちで新しいものが作れるか、再生できるかが文学でも大きな関心事になっている気がする。
そう。僕も、いまは構築の時代に入っているとおもう。
うん? スティーブ=エリクソンの掌編小説とトークショーの採録がある。あいかわらずエリクソンの作品は幻想的だけど、トークショーでは礼儀正しく普通にしゃべっている。僕も書く物と会ったときの印象が違うといわれたことがあるけれど、ホラー小説の作者がホラー小説の登場人物みたいだとは限らない。
タイの作家・プラプダー=ユンのことは初めて知った。こういう出会いも、文芸誌を読む愉しみのひとつ。
自国/海外の本で、日本の読者に読んでほしい本を一冊教えてください。
日本の本で、自国/海外の読者に読んでほしい本を一冊教えてください。
――このアンケートもおもしろいぞ。
ほかにも、いい小説や詩やエッセーがいろいろある。この文芸誌は、趣味のいいセレクトショップだ。僕は最近、文芸誌を読まなくなったが、『MONKEY』は愛読者になりそうな予感がする。
お勧めの本:『MONKEY』Vol.8(スイッチパブリッシング)