僕は、グルマン(健啖家)ではあるが、いま流行のグルメ(美食家)ではない。知る人ぞ知るレストランに何年も先の予約を入れたり、旨いものを求めて辺境に足を運んだりすることはない。
ジャンクフードも好きだし、小腹が空けばスーパーの沢庵でお茶漬けもかきこむ。いたって普通の食生活を送っている。ただ、食べるのは好きで、旨いものには必ず手が出るし、TVのグルメ番組などは好んで見る。
実は、本でも、食について書かれたものは読んでいて愉しい。もっとも、こっちのほうは、文章の好悪がはっきりしているので、グルメといえるかもしれない。不味い文章は、まったく食指が動かないのだ。
その僕の、文学的な味覚を満足させてくれる作家の1人に吉田健一がいる。亡くなってかなりたつので、若い読者には、あまり知られていないかもしれない。でも、日本の現代文学に堂々とした地歩を築いた文学者だ。
マス・メディアでは二世タレントが人気だが、いまならこの人も「二世」の名を冠されるだろうか。歴史の教科書を開くと、戦後の日本を率いた名宰相として吉田茂が登場するが、健一は彼の子息だ。
外交の世界で活躍した父とともに、ヨーロッパやアジアの各地で暮らし、イギリスのケンブリッジ大学で学ぶ。文学を志したとき、恩師から、だったら母国へ帰ったほうがいいといわれて日本に戻った。そして、文学者としてのキャリアを翻訳からはじめ、やがて批評家になり、小説も書くようになった。
この作家が、無類の酒好き、かつ、グルメで、数々の食についての文章を残している。そのなかでも、『私の食物誌』は名作だ。
1971年、59歳の年に、『読売新聞』で連載したもので、長浜の鴨にはじまって、京都の筍、金沢のごり、日本の米にいたるまで、日本各地のうまいものを取り上げ、縦に歴史、横に文化を論じる。
まず、文章を味わってほしい。たとえば、こんな調子――
日本では広島のが牡蠣というものではないかとこの頃は考えるようになった。この貝もただ漠然と貝の肉というものが我々に聯想させるものに止まらなくて独特の匂いも味も舌触りもあり、広島のを食べていると何か海が口の中にある感じがする。(広島の牡蠣)
どうです? 読んでいるだけで、広島の海が口に広がるのを感じませんか? あるいは、こんな一節――
東北の雪が降り続く間、囲炉裏を囲んでの無聊を凌ぐ為に作られたものにはその丹精に甲斐あらせるだけのものがある筈である。まだ外は雪でも茶受けに出されたものが囲炉裏の火の色に照応する。東北の味噌漬けはそういう味がするものなのである。(東北の味噌漬け)
うーん、おのずと東北の風土が伝わってくる。
さらに、こはだに触れた、こんな文章――
こはだの味のことを考えていると東京、であるよりも江戸というものの印象が多少は変わって来る。曾ては三百年の伝統しかない町が町と言えたものだろうかと思い、それで江戸の文明というのが何か全国的な風な具合にしか説明出来ないものの気がしていたがこはだを前にしては三百年足らずの期間でも日本の中心だった町はやはりそのことが町の性格にも影響するのではないかと考えたくなる。まだ鮪ならば上等な田舎の食べもの、或いは荒々しい所を旨く残した洗練と見ることが出来る。併しこはだは都会のものであって、それに就いては江戸でこはだで鮨を作り始めたのが江戸時代の中期を過ぎてからのことであるのが思い出される。江戸の歴史というのは維新以後に大分手を入れられたようで、その挙句に忘れられ、今では元禄が何だか派手な時代だった位のことしか知られなくなっているがこはだの味一つからしても江戸時代というものは改めて充分に学び直す必要がある感じがする。(東京のこはだ)
これは、こはだを通じた都市論であり、江戸文化論だ。著者は、「思い出すままに旨い食べもののことを書いている」と述べるが、全体として、食による日本文化論として読むことができる。
さて、酒。
『酒宴』という短篇小説がある。銀座の飲み屋で出会った酒造会社の重役に招かれて、大阪の灘にある工場で酒造りを見学し、神戸の料理屋で酒宴となる。
そこに同席した社員たちは、いずれも酒豪だ。工場で見た四十石入りや七十石入りのタンク並みと見紛うばかりと思っていたら、彼らの姿がタンクに変じた。宴席は山の上の草原になった。そして、自分は巨大な蛇になって、タンクを枕に酔って横たわっている。
ストーリーだけを紹介すれば、何とも荒唐無稽なほら話なのだが、これも文章がいい。
酒田の初孫という酒はもっと軟らかに出来ていて、味も淡々として君子の交わりに似たものがあり、それでいて飲んでいるうちに何だかお風呂に入っているような気持ちになって来る。自分の廻りにあるものはお膳でも、火鉢でも、手を突き出せば向こうまで通りそうに思われて、その自分までが空気と同じく四方に拡がる感じになり、それが酔い潰れたのではなしに、春風が吹いて来るのと一つになった酔い心地なのである。
僕は下戸で酒がだめなのだが、こんな心地には憧れる。
吉田健一は、金沢の町を描いた小説『金沢』で名高いが、食についての文章もすぐれている。彼は、酒食もまた文学の対象になりうるし、文章そのものが、ご馳走であり、銘酒となりうることを示した作家といえる。
お勧めの本:
『私の食物誌』(吉田健一著/中公文庫)
『金沢・酒宴』(吉田健一著/講談社文芸文庫)