大学で文芸創作のクラスを担当していて、学生に小説の書き方を教えている。いい小説を書くには、まず、すぐれた小説を読むことだ、というと、すぐれた小説とはどういうものですか? と質問を受ける。
そのときの僕の答えは単純である。文学全集を読みなさい。
世界のすぐれた小説の水準を知りたければ、世界文学全集を読めばいい。日本のすぐれた小説の水準を知りたければ、日本文学全集を読めばいい。読んでいくうちに、すぐれた小説とはどういうものかが、実感として分かる。すぐれた小説を書くには、そこへ近づくことだ。
僕の生まれた家は貧しかった。両親は大学を出ていない。本などとは縁のない家庭とおもわれるだろう。しかし実際は違った。僕はお祖母ちゃん子だったのだが、彼女が小学校もろくに出てないのに、本を大切にする人だった。
といっても、自分はほとんど読み書きができない。でも、いや、だからか、本は大切だといって、僕に読ませるために、さまざまな本を買って本棚に収めていた。僕が初めて触れた活字の本は、子供のための世界文学全集だった。これで僕は小説を読む楽しさを知った。
中学を卒業するころ、すでに小説家になろうと決めていた。高校に入ると、授業が退屈でしかたない。小説を読みたい、書きたい、という気持ちがつのった。そして、親に、僕は小説家になるから、そのための勉強を独学したい、大学へやったと思って、しばらく見守って欲しいといった。
当然のように親には反対された。けれど、高校を中退して、独りでクリエイティブ・ライティングの独学を始めた。このとき、勉強の中心になっていたのが、まず、世界文学全集と日本文学全集を読むことだった。
毎日、図書館へ通って全集を読み耽った。僕にとって、ドストエフスキーも、カフカも、ジョイスも、フォークナーも、クラスメイトだった。笑い話のようだが、彼らと競い合うような気持ちで、つたない文章を書いた。
でも、この勉強は無駄になっていない。自分のなかに、すぐれた小説、すぐれた文学の基準を身につけることができた。背伸びをして、そこへ近づこうとすることで、少しずつ成長できたとおもうし、このとき身につけた感覚は、いまも生きている。
小説家としての僕は、文学全集に育てられたといってもいい。だから、残念におもうことは、近年、大手の出版社が文学全集を出さなくなったことだ。池澤夏樹氏が個人編集で世界文学全集を出したのは例外である。
出版社が文学全集を出さなくなったのは商業的に引き合わないからだ。かつては少しばかり採算が取れなくても、文学全集を出すのは文芸出版社の責任のようなものだったが、そういう風潮もなくなりつつある。
そういうわけで、『文学全集を立ちあげる』のような企画は、大いに歓迎したい。これは架空の文学全集を出すための会議を採録したもの。丸谷才一(小説家)、鹿島茂(学者)、三浦雅士(批評家)の3人が鼎談のかたちで、世界文学と日本文学を縦横に評価し、語り尽くす。
方針は、かつての求道的な文学全集ではなく、いま読んでも愉しい、世界文学の新しい動向を反映した文学全集。とはいっても、文学全集は、選りすぐられた「文学的キャノン」=「偉大な文学作品としてその価値を権威者によって認められた作品群」なので、これまで世に出た文学全集とまるで違うというおもむきにはならない。
ただ、読んでいて愉しいのは、話者らが開陳する文学的なゴシップや比較文化論的な逸話、あるいは作家論、作品論だ。
たとえば、ジェーン・オースティンは、結婚を経験せずにうまく結婚を描いた女流作家だった。また、ヘンリー・ジェイムズは、性愛の経験をせずに男女関係を描いた作家だった。ディヴィッド・ロッジは、「ヘンリー・ジェイムズは想像力と情報によってセックスを書いた」といっているらしい。へー、とおもう。
また、フランス文学とイギリス文学を論じたところで、フランスの社交界にはイギリスの社交界の影響が色濃いという。それはフランス革命で貴族たちがイギリスに亡命して、競馬、テニス、自転車、海水浴などを持ち帰ったからだ。なるほど、とおもう。
あるいは、江戸文学に詳しい石川淳が、山東京伝が長生きして西洋文学に触れたら、かなりいい小説を書いただろう、といったという。ふむ、一つの見識だ。
そして、白樺派はストーカー。ほー。
プロ野球のファンが、打順や守備をめぐって、いろいろ意見をたたかわせる。4番は、このバッターだとか。先発は、このピッチャーだとか。同じように、僕も、トルストイとカフカが1巻なの? とか、いつの間にかつぶやきながら読んでいた。これは愉しい。
ある詩人が、「文学全集が家にあるだけで、文学と交際している気になれた」といった。なかなか文学全集が出版されない現在、こういう本を読んで、文学と交際しようじゃないですか。
おすすめの本:
『文学全集を立ちあげる』(丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士著/文春文庫)