日本社会の動向を決する公明党と創価学会――書評『佐藤優の「公明党」論』

ライター
松田 明

公明党と他党の本質的な違い

 今や日々の新聞、テレビ等の報道で「公明党」の3文字の登場しない日はない。むろん公明党が政権与党の連立パートナーだからではあるが、それでもわずか10年前には考えられなかったことだ。
 国政ならずとも東京都議会を見ていてもわかるように、つまりそれだけ、公明党がどのように判断し、対応するかが、日本社会の動向を決するうえで無視できない影響力を持つようになっているのである。
 その公明党について、インテリジェンス(情報)のプロフェッショナルであり、〝知の巨人〟〝日本最高の論客〟と形容される佐藤優氏が真正面から語った、書名どおりの「公明党論」である。

 今の日本の政治を考え、今後について予測する場合、私が最も強く意識しているのは、公明党と、その支持母体・創価学会の動きだ。むしろ、「公明党と創価学会の動きさえ見ていれば、日本政治の動向はわかる」と言い切ってもよい。(第1章)

 佐藤優氏は、元外務官僚であると同時に、同志社大学大学院神学研究科修了の神学の徒であり、日本基督教団に所属する敬虔なクリスチャンである。
 国際政治と国内政治を内側から見てきた当事者として、さらにキリスト教2000年の実像にも通暁した宗教人として、佐藤氏は公明党と創価学会の本質を独自の視点から捉えてきた。
 公明党が今後の日本の動向に大きな影響を与える理由として佐藤氏は、こう語る。

 公明党以外の政党は、世俗的な力の範囲内での合従連衡、権力の分配を繰り返しているだけだということだ。
 ただ一つ、公明党のみが、世俗を超えた超越的な視点から政治を相対化し、鳥瞰することができる。(第1章)

メインプレーヤーになった公明党

 つまり他の政党が国家、イデオロギー、資本などの枠内に立脚し、政治そのものを目的化しているのに対し、池田大作・創価学会会長(当時)を創立者とする「宗教政党」である公明党は、普遍的な価値である「人間自身の幸福な存在」に目的価値を明確に定めていると、佐藤氏は指摘する。
 実際、それは単なる崇高な言葉としてだけの理念ではなく、地域に根を張って生きる幾百万人の創価学会員の生き方そのものという、微動だにしない〝杭〟に依拠し、支えられている。
 二大政党制をめざしたはずの民進党は、いつまでたっても理念のバラバラな〝風頼み〟の選挙互助会であり、最古の政党である共産党は政権担当能力を全く欠いた〝不満の受け皿〟でしかなく、第三局ともてはやされた維新系も内部抗争と分裂に明け暮れている。
 これらの政党のエネルギー源は、所詮は人々の気分でしかない。
 しかし、公明党はそのようなものを基盤としない。庶民の宗教的信条に支えられ、理念のもとで着実に人材を育て、その結果、与党となってさらに自らの政権担当能力を磨き、今日では税制、外交、安全保障といった国家運営の最重要事項においても、自民党と対等にメインプレーヤーとして存在感を示すに至った。
 佐藤氏はその好例として。たとえば公明党が自民党税調を押し切って「軽減税率」をのませたこと、平和安全法制に「武器使用の新3要件」という歯止めをかけたこと、安倍首相から「ホルムズ海峡への掃海艇派遣は行わない」との答弁を引き出したこと、日中、日韓の首脳会談へ道を開いたことなどを挙げている。

 今の公明党は、もはや自民党にしがみついている「下駄の雪」ではなくなっているのだ。にもかかわらず、いまだに「下駄の雪」的イメージで公明党を見ていたら、日本の政治状況を見誤ることになるだろう。(第3章)

〝権力と戦う〟ということ

 公明党について、世上にピントの外れた論評が多いのは、〝宗教が政治にかかわるのは憲法違反〟というような「政教分離」に関する初歩的な誤解も含め、創価学会についての認識が足りていないことがある。
 学会の初代会長と2代会長は戦時下に治安維持法で投獄され、初代は獄死している。3代会長である池田氏も、若き日に参議院選挙の支援をめぐる冤罪「大阪事件」で不当逮捕され、国家権力の傲慢さと恐ろしさを味わった。(のちに裁判で無罪が確定)
 佐藤氏は、日本経済新聞に連載されていた池田氏の『私の履歴書』(聖教ワイド文庫)を紐解きながら、創価学会が公明党を生み出した本質的な理由が「権力との戦い」にあることを示している。
 かつて戦争の惨禍で民衆を塗炭の苦しみに追いやり、戦後もなお民衆を恫喝しようとする国家権力に内在する魔性に対し、民衆の側から〝戦う〟ために公明党は誕生したと佐藤氏は見る。
 ただし、ここからが重要な洞察だが、氏はこう続ける。

 そのとき「反権力闘争」の方向に走らなかったことが、池田氏の指導者としての卓越した資質を示している。(第2章)

 創価学会にとって国家権力の暴力性と戦うということは、国家を否定したり、体制打倒を叫ぶような「反権力闘争」ではない。一部の政治勢力のように、人々の不満や怒りに油を注いで「反権力闘争」を演出したところで、結局は社会を分断するだけであるし、むしろ長期的な社会改革には無力である。
 公明党は、その出発点から「既存の社会システムを認めたうえでの〝体制内改革〟」すなわち「与党化」を志向して、着実に訓練を重ね、理解を広げてきたのだ。
 結党50年を経た今、安定した形で日本政治のメインプレーヤーになっていることは、必然の帰結なのである。

学会の世界宗教化と公明党の与党化

 さらに佐藤氏は、

 一宗教者・一神学徒である私の目から見れば、公明党の与党化は必然であり、何ら不思議なことでも意外なことでもない。
 なぜなら、公明党の支持母体・創価学会は、SGIとしての世界宗教化のただ中にあるからだ。(第6章)

と語る。
 創価学会は今や日本だけの宗教ではない。192ヵ国・地域に広がる世界最大規模の仏教団体であり、イタリアでは12宗派にしか与えられていない宗教協約を国家との間に締結するなど、ヨーロッパでも最大の仏教宗派である。イスラム圏の諸国でもキューバのような社会主義国でも、国家と社会から厚い信頼を得て発展を続けている。

 歴史を振り返っても、「世界宗教と結びついた政党は与党であるのが当たり前」であり、野党であるほうがむしろ不自然なのだ。
 たとえばキリスト教は、西暦313年の「ミラノ勅令」によってローマ帝国の公認宗教となり、「与党化」した。(第6章)

 創価学会が民衆を「反権力闘争」に駆り立てるような宗教になってしまえば、永遠に社会体制に異を唱える集団になってしまうし、それは学会員を犠牲にし、社会に亀裂を生む愚かな運動にしかならない。
 しかも、そんな危うい宗教では諸外国の体制や社会から危険視され拒絶されてしまう。
 どこまでも人間自身の改革を基軸に、その国の文化と体制を尊重し、よき市民として漸進的(ゆるやか)に社会の現実を改革していくのが創価学会のめざすものである。

 世界宗教が体制内改革を標榜するものである以上、その改革を進めるためにいちばん力を持った存在である与党と結びつくのは必然なのだ。(第6章)

 野党として単に人々の不満を煽り、政府を批判することはたやすい。だが与党となれば、自分たちと信条信念の相いれない人々も含めた広範な相手と、忍耐強く合意形成を図らなければならない。
 さらに、グローバル化が加速する今日にあっては、日本一国だけを見てことが済むわけではない。

 一部の人ではなく、すべての人のための政治。日本一国のみならず、世界のための政治。そのような「人間主義」、世界市民的な視野を持った政治を、公明党は半世紀余にわたって貫いてきたのだ。(第6章)

 なお、本書は全文英訳付きとなっている。公明党と創価学会について、日本に駐在する海外プレス記者や企業にとっても、かつてなかった的確な解説書となるだろう。
 

satokomei
『佐藤優の「公明党」論』
A Transformative Force:The Emergence of Komeito as a Driver of Japanese Politics

佐藤優著

価格 1,200円+税/ 第三文明社/2017年2月28日発刊
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