大竹伸朗(しんろう)の作品と出会ったのは20代になったばかりのころ、確か、『ポパイ』か『ブルータス』で絵を観たのだった。ポップだが、それだけではない、ちょっと不気味な雰囲気もあって、お気に入りのアーティストのリストに登録された。
彼は、絵画やオブジェなどの作品もすぐれているが、文章もいい。テンポがよく、的確で、かなり込み入ったこともすんなり分からせてくれる。『ネオンと絵具箱』、『既にそこにあるもの』では、そのおもしろさを堪能できる。
大竹は、1955年に東京で生まれた。東京芸大を受験して不合格になり、私立の美大も補欠合格というありさまにがっかりし、いきなり北海道へ旅立つ。牧場で働き始めるのだ。牛の糞にまみれた、まったくアートと関わりのない、このあたりの話は、青春ドラマを観ているようで、せつなくも、おかしい。
アーティストとしての生活はロンドンから始まった。
一九七七年春、初めてロンドンに着いて間もない頃、手元に残るバスや地下鉄のチケット、お菓子の包み紙や路上で拾った印刷物を毎日安物ノートに貼り付けることが始まった。
まだ何者でもない。焦る気持ちを抑えようもない日々のなか、「存在証明」として、「自分だけの時間を不規則に刻む時計」としてスクラップブックをつくりつづけた。そして28年目。展覧会にそれらを展示することになった。
総ページ数1万1818ページ。総重量226.6キロ。厚さ649.2センチ。
たとえ世の中的に何の意味もなく役に立たない事柄に過ぎなくとも、楽しいからやり続けることには絶対何かあるという確信が持てたこと、それらの数字は自分の内側にシンプルな乾いた風をサッと呼びこんだ。
「今、記すること」(『ネオンと絵具箱』)は、ブライアン・イーノのアイデアノートから絵画を制作する友人のアーティストの話だ。イーノは、「音楽、絵画、哲学的考察、自然観察、ジョークなどあらゆる分野にまたがる記述、また図形やスケッチ等」思いつくことをすべてノートにしるした。
友人のアーティストは、数十冊のアイデアノートを示して、「……これが一番重要な『仕事』というものだよ」という。
アイデアで埋め尽くされたイーノ帖を至近距離で見ていると、人として生まれ毎日新しいアイデアやら思いつき、スケッチ等を特別な目的などなくとも書きつける行為は、実は至極真っ当かつ自然な人間の姿であるように思えてきて「仕事」本来の意味を改めて考え直した。
大竹のスクラップブックと「イーノ帖」が重なる。これは彼の言い方からすると、「既にそこにあるもの」とのコラボレーションだ。
僕は全く0の地点、何もないところから何かをつくり出すことに昔から興味がなかった。新品の真白い紙を眼の前にすると、自分が生まれる以前のことから責任をとらされているようで居心地が悪くなる。何に衝動的に興味を持つのか、あえて言葉に置きかえるなら、「既にそこにあるもの」との共同作業ということに近く、その結果が自分にとっての作品らしい。
ガストン・バシュラールの想像力の定義。
いまでも人々は想像力とはイメージを形成する能力だとしている。ところが想像力とはむしろ知覚によって提供されたイメージを歪形する能力であり、それはわけても基本的イメージからわれわれを解放し、イメージを変える能力なのだ。
世界を見渡して、「既にそこにあるもの」を見つけて、それを作品に変えていく。これはバシュラールの想像力の定義と重なる。大竹にとって、作品をつくることが生きることである。想像的に生きること――それが大竹の生のありようだ。
アーティストなら当然だろうと思ってはいけない。世の中には想像的でないアーティストもいる。また、大竹の仕事の姿勢には、大いに共感できる。
たとえどんなに他人にそしられようと、どんなに意味がないと言われようと、どんなに認められまいと、一点も売れなかろうと、私は笑顔でどんどんどんどん次の何かをつくる、私の見たいものを私のつくりたいようにつくる、そんな男に私はなりたい。
実は、僕も、そんな小説家になりたい。
お勧めの本:
『ネオンと絵具箱』(大竹伸朗著/ちくま文庫)
『既にそこにあるもの』(大竹伸朗著/ちくま文庫)