連載エッセー「本の楽園」 第24回 カルヴィーノの構想する30世紀文学

作家
村上政彦

 僕がイタロ・カルヴィーノを信頼するのは、彼が文学への信頼を手放さないからだ。

 文学の未来に対する私の信頼は、文学だけがその固有の方法で与えることのできるものがあるのだと知っていることによっています。

 カルヴィーノを知ったのは、僕が小説家としてデビューしたすぐのころ、手探りで自分の世界を構築しようとしていた時期だった。『冬の夜ひとりの旅人が』という長篇小説を読んだ。
 いわゆるポスト・モダン文学の一種で、物語が幾層にも複雑に重なりあうその作品を、物珍しい昆虫でも見つけた子供のように読んだ。そして、小説家としての僕の先導者のひとりだとおもった。
 僕はデビューと同時に結婚して上京した。初めての東京暮らしは、木造2階建てのアパートだったが、その一室でページを開いたのだった。実は、そのころすでに彼は亡くなっていて、数年後に、ハーバード大学のノートン詩学講義ノートをまとめた著作が出た。新しい千年紀(西暦3000年まで)を見据えた文学の方向をしめす内容だという。
 すごい。カルヴィーノならではだ。僕は、遺言を読むつもりでそれを読んだ。

 ノートン詩学講義は、これまでT・S・エリオット、ボルヘスなど名だたる文学者が行ってきた。カルヴィーノは、イタリア人の作家としては初めてだった。
 1年間に6回の連続講義をする。「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」までの5つの講義が終わったところで、カルヴィーノが亡くなり、6回目の講義は行われなかった。「一貫性」について語る予定だったといわれる。
 僕は、このうち「速さ」のくだりが印象に残った。それは短篇小説の原理を語っているものにおもわれた。彼は述べる。

 私の文学活動の一時期において、民話とか、妖精譚(たん)に惹かれたことがありましたが、

それはただ、民話が語られる際の倹約や、リズムや、その本質的な論理とかに対する文体的、構造的な関心によるものでした。

 その語り方は、

 極めて寡黙で、その切りつめた簡潔さを尊重しながら、しかもそこから最大限の叙述的な効果と詩的な印象をひき出せるように努めながら、それを語るようにしなければならない。

 例として、『イタリア民話集』から、こんな話が引いてある。

 王さまが病気になった。お医者さまたちがやって来てこう言った。「お聴きください、陛下、ご快癒をおのぞみでございましたら、鬼の羽根を召しあがらなければなりません。それは手に入れるのがむずかしい薬です。と申しますのは、鬼はキリスト教徒を目にすればみな食べてしまうからです」
 王さまはみなに命令したけれど、誰ひとりゆこうとするものがいなかった。そこで、たいそう忠実で勇気のある、一人の家来に言いつけた。そのものは「参りましょう」と答えた。
 彼は道を教わった。「山の上に七つの洞窟がある、その一つに鬼が住んでいる」
 男は出かけてゆき、途中で夜になった。男は宿に泊まった……

 カルヴィーノは解説する。

 王さまがどんな病気にかかったのか、いったいどうして鬼に羽根があるのか、その洞窟というのがどんな具合になっているのか、ということは何も語れません。しかしこうして名ざされたものはみな、物語の筋に必要な機能をもっているのです。民話の第一の特徴は表現の無駄のなさです。実に途方もない波乱万丈の物語がただ要点だけを逸らさないようにして語られるのです。

 カルヴィーノは、文学の最終的な形態は、いわば短篇であると考えた。生前の最後の作品集である『パロマー』を読んでみると、彼が、具体的にどのような文学を構想していたかがうかがえる。

 パロマーは、ひとりの中年男性の名前。知識人らしいのだが、職業は不詳で、家族は妻と娘、そしてパリとローマにアパートを持っている。作品の全体をつらぬく物語はない。
 彼は、浜辺で、家の中庭で、街で、動物園で、さまざまなものを見つめる。そして、哲学的な思索にふける。たとえば、

 いったい言語表現は、存在するものすべてが目指す到達点なのだろうか? それとも、有史以来、存在するものすべてが言語表現だったのだろうか? ここまで考えると、またパロマー氏には悩みの種が生まれる。

 また、

 事物の表面を知った後ではじめて

と結論を下す。

 わたしたちはその下にあるものを求めるところまでは行きつくことができる。だが、事物の表面は無尽蔵なのだ。

「ヤモリの腹」と称された、テラスのヤモリが羽虫を呑み込むのを見る章は、いちばん僕らが知っている短篇小説らしい。あとは、ものを見つめ、そこから触発された思索をしるした断片ばかりが27篇。
カルヴィーノによる『パロマー』の要約。

 ひとりの男が一歩一歩、知恵に到達しようと歩みはじめる。まだたどりついてはいない。

 カルヴィーノは、初期の作品を除いて、小説の概念を広げることに努めてきた。最後の作品も、小説とは何か? という主題をふくんでいる。もう一度、冒頭の引用をくりかえそう。

 文学の未来に対する私の信頼は、文学だけがその固有の方法で与えることのできるものがあるのだと知っていることによっています。

お勧めの本:
『アメリカ講義 新たな千年紀のための六つのメモ』(イタロ・カルヴィーノ/米川良夫・和田忠彦訳/岩波文庫)
『パロマー』(イタロ・カルヴィーノ/和田忠彦訳/岩波文庫)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。