近年になって、だんだん街の小さな書店が減ってきている。多くの在庫を誇る大型書店を探索する愉しみも捨てがたいが、散歩がてら立ち寄ることのできる小さな書店が消えてゆくのはさみしい。
この本の著者・長田弘氏も同じ気持ちだったのではないかとおもう。表題を『私の二十世紀書店』(※リンク先は1999年発売の『定本 私の二十世紀書店』)としたのは、
「私がこれらの本に出会った場所が街の書店においてだったからだ。本の自由というのは、自由な開かれた書店が街にあるということである」
という。この本には、街の書店への愛惜がこめられている。
また、
「一冊の本はみずから語るものを語って、みずから負う同時代を語る」
「二十世紀という時代の読みかたを、一人のわたしに親しくおしえてくれた本たちについての本である」
ともいう。
20世紀とは、どのような時代だったのか。取り上げられた本を見てみよう。
クールバン・サイードの『青春を愛に賭けて』。この小説はベルリンの古書店で忘れ去られようとしていたところ、たまたま再発見されて読まれるようになった。アゼルバイジャンの首都・バクーで生まれ育った男女の愛の物語だ。男は回教徒のペルシャ人・アリ、女はキリスト教徒のグルジア人・ニーノ。宗教や生活習慣などは違うが、幼馴染で同じ高校に学び、愛し合っていた。
戦争が起きてトルコ軍が侵攻し、大きな混乱のあと、アゼルバイジャン自由共和国が建てられる。そこへロシアの赤軍が攻め込んで来て、パルチザンの闘士として戦ったアリは銃弾に倒れた。共和国はソヴィエトに吸収される。
長田氏は、この物語を、
「ロシアの十月革命をめぐる愛の物語としては、パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』にも比すべき魅惑をそなえた本」
と評し、
「アリとニーノのつかのまの愛の物語は、そのまま革命のなかにつかのまあらわれて消えたちいさな国、まぼろしのアゼルバイジャン自由共和国の伝説を伝えて、読むものをとらえる」
という。20世紀は革命の世紀だったのだ。
イタロ・カルヴィーノの『蜘蛛の巣の小道』。ナチス・ドイツに占領された北イタリアの小都市。ドイツ兵を客にする娼婦の姉を持つ少年がいた。ある日、彼は姉の客であるドイツ兵から38口径の銃を盗む。そして、山麓の土蜘蛛の巣に隠した。
少年は銃を盗んだ疑いで捕まるが、隠し場所を黙秘し、囚われの身となった。ところがうまく脱出して街を逃れる。夜の山で銃を持ったパルチザンの男と出会った。彼は7年も山々をさすらい、ドイツ兵を倒してきた。
男は、
「寝るときも靴を脱いだことがないね、死ぬときも靴をはいたまま死んでやる」
という。少年は男の生き方に惹かれる。なによりドイツ兵を倒すという任務が気に入った。そのままパルチザンになった。20世紀は戦争の世紀だったのだ。
アガサ・ファセットの『バルトーク晩年の悲劇』。表題がしめすように、音楽家のバルトークについての本だ。1940年、故国のハンガリーへの、ナチス・ドイツの侵攻をきっかけにして、バルトークはアメリカへ亡命する。それから5年後の秋に亡くなった。
バルトークはユダヤ人ではないので、亡命しなくてもよかったのだが、長田氏は、
「バルトークの亡命は、おそらく芸術家の倫理とはおのれの苦痛を活用することだとする、きびしい自律にしたがったものだったろう」
という。
「亡命とは、『渾身の力をこめてそこにいたい土地から、測りもしれぬ絶望的に遠いところにはこばれ、しかもその道すがらふたたび故郷にはかえれぬと知っている』苦痛に、身をさらすことである。バルトークはこの苦痛をみずから択ぶことによって、そこにじぶんの『事実上の力の源泉』をみいだそうとした」
しかし、この試みは成功しなかった。バルトークは故郷の「トランシルヴァニアの森の匂い」を持つヴァーモントの森を歩くことに、わずかな慰めを見い出した。20世紀は亡命の世紀だったのだ。
本の中にソヴィエトの革命が見える。世界大戦が見える。亡命者の姿が見える。コミュニズムの失墜が、スペイン内戦が、ノーマン・メイラーの描くマリリン・モンローが、アフリカ諸国の台頭が、イスラエルとパレスチナの苦しみが見える。読み終えて印象に残るのは、その時代を生きた言葉と人間のありようだ。
この本が書かれたのは1982年。時代は、軽薄で空虚な明るさに覆われていた。やがて日本はバブル経済を迎える。そういうとき、詩人の眼はひとつの世紀の終焉を見ていたのだ。
お勧めの本:
『定本 私の二十世紀書店』(長田弘著/みすず書房/1999年10月発売) ※『私の二十世紀書店』は1982年3月に中央公論新社から発売されている