デザイナーとは、「問題を解決する人」と梅原真はいう。これはソーシャルデザインの考え方に近い。彼はデザインを通じて現実に働きかける。それは顧客に利益を与えるばかりか、社会の在り方を、ほんの少し変える。
『ありえないデザイン』は、梅原自身による梅原デザインの解説書だ。高知県に生まれて11歳で和歌山に移った彼は、地元の高校を経て大阪芸術大学をめざすが、学費が高いという理由で、大阪経済大学に入る。卒業後は高知に戻って、地元新聞社のグループ企業の、あるプロダクションに勤めた。
美術部に配属され、人手が足りなかったので、レタリングからセット作りまで広く手掛けることになった。この経験は、デザイナーとしての成長を促した。29歳のとき、仕事が評価されないことに不満を覚えて退職し、アメリカへの旅に出た。
帰国して、高知に事務所を構えて独立する。それからの梅原は、高知から世界へ向けてデザインを発信する――。
『ニッポンの風景をつくりなおせ 一次産業×デザイン=風景』は、これも梅原自身による、梅原デザインのカタログだ。彼のデザインの基本姿勢は、表題にあるように、おもに農林水産の一次産業にデザインの力を加えることで、風景をつくる。
代表的な仕事のひとつは、「土佐 一本釣り 藁焼き鰹/本場土佐佐賀港」だろう。あるとき、梅原の事務所に1人の漁師が現れた。鰹の一本釣りをしているのだが、収益が落ち込んで商売にならない、何とかできないか、といわれた。
梅原は、『「漁師が釣って、漁師が焼いた」鰹のたたき』というコンセプトで売り出す。経済効率の低い一本釣りのやり方をそのままにして、なおかつ、獲れた鰹を手作業の藁焼きで料理する。
8年後、漁師の営む水産会社の売り上げは20億円になった。デザインの力によって、鰹の一本釣りという高知の「風景」は守られた。
「風景」を守るといえば、「砂浜美術館」もそうだ。1989年、日本中が好景気で沸き立っているころ、海辺に広がる美しい松原で有名な同県大方町(現・黒潮町)から総合振興計画のデザインを依頼された。当時は全国で大規模な開発が盛んに行われていた。
しかし梅原が考えたのは、いわゆるハコモノを作ることでもなければリゾート開発でもなかった。彼は、こんなコピーを書いた。
私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。
砂浜に写真などをプリントしたたくさんのTシャツを晒して、海風にひらひらさせる。やったことは、それだけだった。それだけで、何もない砂浜が作品になった。波音が作品になった。潮風が作品になった。リフレーム(ものの見方の角度を変える)の手法だ。
彼は、いわば「砂浜美術館」という「額縁」をこしらえた。人はその額縁を通して「風景」を見る。額縁の中にあるものは、すべて作品になる。
現代美術の作品にはコンセプチュアルアートがあるが、これはその文脈で見れば一種のアートであり、梅原のデザインがアートと融合した例のひとつだ。もちろん、彼はそれをもくろんでいただろう。
「砂浜美術館」は20年以上続いていて、2010年にはモンゴルで「草原美術館」として催された。この広がりも成功のうちだが、梅原のデザインの真骨頂は、単なるアートとして終わるのではなく、ひらひらさせるTシャツの出品料などで収益を上げていることだろう。あくまでもデザインなのだ。
また、「しまんと新聞バッグ」も興味深い。「じゅうみん株式会社四万十ドラマ」という第3セクターから仕事の依頼があったとき、梅原は、「四万十川流域で販売する商品はすべて古新聞紙で包む」というアイデアを出した。そこから新聞バッグが生まれた。
原料は古新聞。それを巧みに折ることで新聞バッグができる。エコでクールとして話題になり、MoMA(ニューヨーク近代美術館)でも販売された。梅原は世界への展開を夢想している。
梅原の仕事をざっと通観して分かることは、高知というローカルに特化していることだ。最近は、高知以外の仕事も受けているようだが、それでもローカルからは離れない。この姿勢から何が見えてくるか。
『おまんのモノサシ持ちや!』は、第三者の眼から見た梅原デザインの分析だ。梅原の初期の仕事である四万十川流域の旧十和村(とおわそん)・総合振興計画「十和ものさし」から、こんな引用がある。
1、今、時代は日本だけでは生きてゆけない。世界の中の日本である。
2、地方は地方のみで生きてゆけない。日本の中の地方である。
3、ただ、地方には最も日本らしいもの、生活の様式が残された。1990年代の日本は、世界経済の大融合のなかで、より日本らしさを求められる。
日本のなかで1番日本らしいところは、地方にしか残されなかった。
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地域の独自性を守ることこそ、時代の最先端になる道である。
つまり、梅原は、高知というローカルに特化することで、世界のステージへ出て行くことができると考えた。このスタンスは、進行するグローバリゼーションへの、賢明な応答のひとつだろう。
グローバリズムにどう対応するか――世界の主要な文明の周辺に位置する日本は、近代に入って2度悩んできた。1度は幕末から明治にかけてで、このときのグローバリズムの中心にはヨーロッパ文明があった。2度目は20世紀の後半に訪れた。中心にあるのはアメリカ文明だ。
僕の考えでは、グローバリズムへの対応には、3つの選択肢がある。
①グローバリズムの潮流に逆らわず乗る。
②グローバリズムの対極をつくる。
③グローバリズムを利用して、みずからを変える。
このコラムは本好きのための読み物でもあるし、僕は小説家なので、文学に限って考えたい。
①は村上春樹だ。彼の主要な作品のレシピは、アメリカ的生活様式の賛美+都市生活者のダンディズム+文学を少々、である。村上の小説が世界の多くの地域で読まれている現象は、アメリカを中心したグローバリズムの進行と無関係ではない。
②は三島由紀夫だ。彼は、常に欧米を意識した作品を書いた。非常に聡明な作家だったので、早くからアメリカを中心としたグローバリズムへの対応を探り、最終的に武士道という対極を突き出した。
梅原のデザインは②だとおもう。彼が日本全体へ関心を移したとき、どのような日本がデザインされるのかを想像すると、ちょっとわくわくする。
さて、僕は小説家として③をめざしている。アジアの文化を、グローバリズムによって作り変えていきたいとおもう。実は、その試みは、すでに始まっている。読者の皆さん、ご期待を。
お勧めの本:
『ありえないデザイン』(梅原真/六曜社)
『ニッポンの風景をつくりなおせ 一次産業×デザイン=風景』(梅原真/羽鳥書店)
『おまんのモノサシ持ちや! 土佐の反骨デザイナー 梅原真の流儀』(篠原匡/日本経済新聞出版社)