もともと勤勉な性格ではない怠け者なのに、貧乏暇なし、で働き過ぎたので、静養の日をもうけることにした。といっても、プライベートジェットで保養地に出掛けたり、五つ星ホテルで豪華なランチを取ったりはできない。身の丈に合った過ごし方をする。
まず、昼近くまで寝て、たっぷりと睡眠を取る。起きたら、昨夜、妻に頼んでおいたので風呂が沸いている。湯の量は多めにしてある。浴槽につかったとき、溢れるぐらいが気持ちいいのだ。
熱い湯に体を沈める。全身の細胞が歓んで、思わず声が出る。
「あー、もったいない!」
え? いま、なんていった? もったいない?――これじゃ、親父を通り越して爺さんじゃないか。うーむ、俺の内面は老化しつつあるのか、と一瞬、我が身を省みるが、窓から射してくる陽の光を見上げ、あまりにも気持ちいいので、どうでもよくなる。陽の高いうちからの風呂は、最高のご馳走だ。
風呂から出ると、妻が蕎麦を茹でてくれている。薬味には、小葱と大葉と山葵が添えてある。汗が引くのを待って、蕎麦をたぐる。これは某メーカーの乾麺だが、なかなか美味である。
蕎麦を食べ終え、蕎麦猪口に山葵を溶き、小葱を散らし、蕎麦湯を注ぐ。熱いのを啜る。デザートには、大福をひとつ、飲み物はほうじ茶。胃袋を歓ばせたあとは、座椅子へ寝転んで、ちょっと食休みだ。妻が、
「音楽は何がいい?」と訊く。こういうときのBGMは決まっている。パブロ・カザルスの演奏する、バッハの『無伴奏チェロ組曲』か、グレン・グールドの演奏する、やはりバッハの『ゴールドベルク変奏曲』だ。今日はカザルスにしようか。
さて、お待たせしました。ここからが、このコラムの本論。こういうときに手に取るのは、どのような本がいいのか? ヨムリエ・ムラマサのお勧めは、永井荷風の『日和下駄』です。
『日和下駄』は、大正3年(1914年)8月から翌年の6月まで、『三田文学』に連載されたエッセーだ。荷風は、いつ雨が降ってもいいように蝙蝠傘を持ち、泥濘(ぬかるみ)を歩くための下駄を履いて、東京市中を徘徊する。ただ、足が赴くところは、いわゆる現代の観光地ではない。
江戸の古地図を手に、樹木を愛で、水辺に憩い、坂に遊ぶ。好んで往時の名所を訪ねるのは、いかにも風雅な趣味といえる。近年、古地図を持って街歩きをする人が増えたが、彼はそのはしりだろう。
荷風は、単にかつての名所を探索するだけでなく、電車通りの裏手に残る旧道、横町の木立ち、どぶや掘割にかかった小さな橋に眼を止める。さびれた光景に惹かれるというのだ。
「裏町を行こう、横道を歩もう。」
「路地」、「夕陽」の章がいい。さまざまな市井の暮らしが隠れている路地を「趣味と変化に富む長篇の小説」という。路地への偏愛は創作にもおよんで、中篇小説『すみだ川』には、ある路地の光景をそのまま写生したらしい。それがどこか探すのも一興だ。
江戸のむかし、目黒に夕日ヶ岡、大久保に西向天神があって、どちらも夕日が美しいことで知られるようになった。東京市中を散策するようになって、都会の美観と夕陽の深い関係に気づいた。路地と夕陽――当時の荷風の美意識が伝わってくるが、このエッセーは全篇に一種の文明論的な主張が潜んでいる。
荷風は、20代の頃に洋行して、アメリカ、フランスに滞在した。当時としては貴重な経験だ。帰国すると、自国への見方が変わった。実際、欧米の文化に触れた彼の眼に、速成の近代化=西洋化をめざす日本の社会は、底の浅い、稚拙な模倣をしていると映ったのだ。
彼は、そういう日本の姿を嫌悪し、まだ西洋文明に侵されていない、江戸の名残りを探し求めるのだが、近代化=西洋化を蔑視する眼は、紛れもなく、西洋の文化を身に纏った洋行帰りの近代人の眼にほかならない(厳密にいえば、荷風が否定するのは日本的近代だ)。荷風が文学史の中で重んじられるのは、風俗小説の書き手としてよりも、この文明批評の態度からだ。
近代とそれを批判する反近代の態度はコインの裏表である。いまは近代を捉え直して再編集する時期だ。何を残し、何を捨てるか――文明の篩(ふるい)を用意しなければならない。荷風の反近代の眼差しは、この篩をこしらえるのに役立つ気がする。
と、そんな理屈をさておいても、『日和下駄』は休日の読書にふさわしい。たとえば、こんな一文――
柳は桜と共に春来ればこきまぜて都の錦を織成すもの故、市中の樹木を愛するもの決してこれを閑却する訳には行くまい。桜には上野の愁色桜(しゅうしょくざくら)、平川天神の鬱金(うこん)の桜、麻布笄町(こうがいちょう)長谷寺(ちょうこくじ)の右衛門桜、青山梅窓院の拾桜、また今日はありやなしや知らねど名所絵にて名高き渋谷の金王桜(こんのうざくら)、柏木の右衛門桜、あるいは駒込吉祥寺の並木の桜の如く、来歴あるものを捜(もと)むれば数多あろうが、柳に至ってはこれといって名前のあるものは殆どないようである。
隋の煬帝長安に顕仁宮を営むや河南に済渠(さいきょ)を開き堤に柳を植うる事一千三百里という。金殿玉楼その影を緑波に流す処春風に柳絮(りゅうじょ)は雪と飛び黄葉は秋風に菲々(ひひ)として舞うさまを想見れば宛(さなが)ら青貝の屏風七宝の古陶器を見る如き色彩の眩惑を覚ゆる。けだし水の流れに柳の糸のなびきゆらめくほど心地よきものはない。
息の長い、流露感のある文章のリズムは、ゆったりした休日の気分を高めてくれる。荷風の眼には、郷愁のフィルターがかかっているので、ときとして風景は夢のような美しさを見せる。この辺の味わいはまた、休日の気分を贅沢なものにしてくれる。
僕は、いつのまにか、『日和下駄』の文庫を手に、うとうとしていた。
お勧めの本:
『荷風随筆集(上)』(永井荷風著/野口冨士夫編/岩波文庫)
『日和下駄』(永井荷風著/講談社)