連載エッセー「本の楽園」 第12回 ノーブック・ノーライフ(町の本屋篇)

作家
村上 政彦

 このコラムは、本好きによる、本好きのための読み物だ。これまで編集者、出版社について書いてきた。このあたりで書店について触れないわけにはいかない。「町の本屋」のことを語ろう。

 子供の頃、僕が暮らしていた家の近くに、S書房はあった。表に漫画や雑誌を置いて、奥の10坪ほどの狭いフロアに、文学や実用書など活字の本を並べている。レジにいるのは、主だったり、その奥さんだったりする。
 僕はすでに小学校へ入る前から、S書房へ通うようになった。始まりは表にある漫画だった。当時は少年漫画誌の創刊が続いて、僕は新しい雑誌が出るたび、既刊の雑誌と合わせて買っていた。
 僕は近所でも知らないもののいない「漫画持ち」で、子供たちは漫画が読みたくなると、僕の家へやって来た。漫画が置いてある狭い長屋の一室は、いつも数人の子供がいて貸本屋状態だった。そのありさまを見て、やがて僕は本当に貸本屋を開業することとなるのだが、その話はまたの機会に。

 僕の関心は、S書房の表にある漫画から、奥のフロアにある活字本へ向かった。特に、文学が好きだった。日本の近代文学から、欧米の近代文学へ――僕は広い世界に眼を開かれた。
 そのころ僕にとってS書房は、世界に向かって開かれた窓だった。僕は「町の本屋」の棚を通して世界を見ていた。そして、自分もこんな本を書きたいとおもうようになった。小説家を志すようになったのだ。
 高校を中退して、独学で小説家をめざす日々の中、ふと大きな疑問が起きた。僕は、本当に小説家になりたいのか? そうおもったのはずっと本を読んできた惰性の結果で、一種の錯覚ではないのか? 僕は持っていた本をすべて古本屋に売り払った。

 それは精神的な絶食だった。ほぼ5年にわたって、1行の文章も書かず、1冊の本も読まなかった。僕はアルバイトをしながら、自分が本当にやりたいことを探した。本を読む時間が減った分、TVを視た。何を視ていたのかは、よく憶えていない。
 ある日、町を歩いていて、小さな本屋の前を通りかかった。僕の中で何かが動いた。本に呼ばれた気がしたのだ。僕は書店の入り口をくぐると、棚から手当たりしだいに本を抜き出して、レジへ持って行った。
 家へ帰って、冬眠から覚めた熊が喉を鳴らして川の水を飲むように、計量の終わったボクサーが分厚いステーキを口へ詰め込むように、本を貪り読んだ。僕にとって本は必要だ。そして、小説家のほかになりたい職業はない。

 僕のブック・ライフは戻ってきた。かつてよりも読書の時間は増えた。当時、発売されたばかりのポータブルなワープロを買った。その名も「文豪(ミニ)」。このマシンで小説の処女作を書いた。新人賞をもらってデビューを果たしたのは、それから3年後だった。
「町の本屋」がなければ、僕の人生は、いまと違っていたものになっていただろう。少なくとも小説を書いてはいなかったとおもう。

『本屋の雑誌』は、『本の雑誌』の別冊で本屋の特集をしている。僕の本屋の定義は、「本のある空間と、それを編集する人間が融合した何か」である。この雑誌は、本屋の百科全書ともいうべき作りになっていて、本のある空間、そして、それを編集する人間の、さまざまな様態を取り上げている。
「丸善には今もレモンが置かれている?」という記事がおもしろい。梶井基次郎の短篇小説『檸檬』は確か高校の教科書でも取り上げられたので、知っている人も多いとおもうが、鬱屈した心情をかかえた主人公が、八百屋で1個の檸檬を買い求め、書店の丸善へ行って、本を積み重ねた上に置き、それが爆弾であると想像しながら店を出るという話。
 主人公の暮らしていた土地は京都で、この記事が掲載されたときにまだ丸善はあった(ただ、店舗は移動したらしい)。だから、短篇の読者が檸檬を置いていくのか調べた。結果は、月に数個、檸檬が置いてあるという。
 短篇が書かれてから90年近く、丸善の本の上に檸檬を置くというパフォーマンスが継承されている。これは本屋という空間がなければありえないことだ。だから、何なの? といわれるかも知れない。でも、文学を生業にしている僕から見れば、梶井の作品が生きている証しなので、とてもうれしい。

 書店員の力を知るうえで参考になるのは、「書店発、驚異のベストセラー」。『白い犬とワルツを』という作品が文庫になった。しかしほとんど動かない。つまり、売れない。親本を読んで心を動かされたある書店員は、もっと売れる(いや、売りたい)本だとおもい、手書きのポップ広告をつける。

妻を亡くした老人の前に現われた白い犬。この犬の姿は老人にしか見えない。それが、他のひとたちにも見えるようになる場面は鳥肌ものです。何度読んでも肌が粟立ちます。〝感動の1冊〟。プレゼントにもぴったりです!

 すると、ある日、5冊売れた。売れ行きはだんだん加速。そこで大量に仕入れて並べたところ、1ヵ月で187冊売れた。この噂を聞きつけた版元がやって来て、書店員が考案したポップ広告を正式な拡販材料にしてあちこちの本屋に配り、2ヵ月で15万2000部を売った。
 ほかにも、立ち読みの調査や書店に入ると便意をもよおす「青木まりこ」現象の研究や、『本の雑誌』ならではの企画もあって、かなり読み応えがある。
『街を変える小さな店 京都のはしっこ、個人店に学ぶこれからの商いのかたち。』は、本屋の思想書ともいうべき本だ。著者は、書店の聖地となりつつある恵文社一乗寺店の店長・堀部篤史氏。「町の本屋」の未来と可能性を探る。
 この書店は、仕入れる本を取次に任せず、みずから選書し、さらにギャラリーを併設したり、雑貨を売ったり、新しい試みをしている。最近は選書を行い、カフェやバーと融合した本屋が増えているが、その先駆けといえる。
 また、著者は、個性的な居酒屋や喫茶店、リサイクルショップを参考にして、街づくりから本屋の在り方を考えていこうとしている。

僕の仕事は本を中心としたさまざまな文化を、雑誌のように編集することなのだ」「本さえ中心にあれば、どんなことに挑戦しても恵文社らしさは表現できるはずだ。

『本屋の雑誌』には、恵文社一乗寺店ツアーの企画があるので、この2冊を合わせて読むといい。
 さて、S書房のような小さな「町の本屋」は減少しつつある。一部の書店はアマゾンに対抗するように大規模化している。しかし多くは、まだいわゆる「町の本屋」だ。僕は、ある地域の文化的な水準を測るのに、いい本を並べた本屋と、いい映画を上映する映画館の数を参考にしている。
「町の本屋」さんには、がんばってもらいたい。みなさん、仕事を工夫している「町の本屋」を利用しましょう。
 最後に。
 高校を中退した僕が、いちばん最初に働こうとしたのは、ある「町の本屋」だった。本に囲まれて生活するのが憧れだったのだ。残念ながら断られましたけどね。

お勧めの本:
『本屋の雑誌(別冊本の雑誌17)』(本の雑誌編集部編/本の雑誌社)
『街を変える小さな店 京都のはしっこ、個人店に学ぶこれからの商いのかたち。』(堀部篤史/京阪神エルマガジン)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。