老舗の出版社の社長が、ある会合で挨拶をした。売れる本を出したい――一言でいうと、そういう話だった。僕は、溜め息が出た。彼を責める気持ちはない。多くの社員の生活を支える立場からすれば、仕方のないことだ。
しかも大手の出版社となると、社員は高給取りである。聞いたところでは、20代の後半で大台(年収1000万)に乗る会社もあるらしい。しかし――。
一般に、本には商品と作品の側面がある。これを商品と割り切ってしまわないところに出版という事業の良心があるのではないか。少なくとも僕が生業としている文学は、そうだ。
いま小説の世界も、売れるエンターテインメントが隆盛を極めている。文学は、息も絶え絶えの様相だ。いくらいい作品を書いても、出版社が刊行してくれなければ、読者の手には届かない。この先、文学が細々とでも命脈を保っていくためには、出版社の力がいる。だから、老舗の出版社の経営者から、そういう話を聴くと、溜め息が出るのだ。
別の出版社の社長が、TVのインタビューに答えていた。この会社は、最近になって不動産業や飲食業などに参入している。もしかすると出版業をやめるのか? 彼の回答は、こうだった。
出版業は斜陽である、やがて利益を得られなくなるときがくるかも知れない、だが、自分は本に救われたので出版業から撤退するつもりはない、本を出し続けるために利益のあがる業種に参入したのだ、と。
僕は感銘を受けた。そういう気持ちで仕事と向き合っている出版人もいるのだと心強かった。ただ、もどかしいことに、この出版社も、エンターテインメントを志向しているのだ。
出版業は、文学は、どうなっていくのか? そんなことを考えているときに、夏葉社のことを知った。社長の島田潤一郎氏は、まだ若くして、独りで出版社を興した。『あしたから出版社』には、そのいきさつが語られている。
著者の島田氏は、もともと小説家をめざしていた。やがて就活に入ったが、やりがいのある仕事が見つからず、いつか31歳になった。彼には兄弟のように仲のいい従兄がいた。その若者が突然、事故で亡くなってしまう。大きな喪失感にとらわれた。しかし、彼の両親はもっと悲しみが深いに違いない。どうにかして励ましたい。
100年前、イギリスで書かれた詩に出会った。自分の気持ちにぴったりだった。これを出版して届けたいと考えた。そこから新しい自分の人生を始めよう。生きるために出版社を営もう。
ここから著者の奮闘が始まる。わずかな預金と父親からの借金で資本金を捻出し、吉祥寺に小さな事務所を構えた。目的は詩の出版なのだが、イメージ通りの本をつくるには時間がかかりそうなので、まずは文芸書の復刊に取り組む。
絶版になっていたバーナッド・マラマッドの『レンブラントの帽子』。通好みの、渋い趣味である。文学好きなら、「分かってるねぇ」といいたくなる。装丁は和田誠で、巻末エッセーが荒川洋治。大手の出版社から刊行される本にも見劣りしない作りだ。
これが実現したのは、ひとえに著者の情熱の賜物といえる。特別な人脈があったわけではない。思いの丈を手紙にしたためて、和田・荒川両氏に訴えたのだ。二人の大人は若者の気持ちを受け止めた――。
一読すると、青春小説のような爽やかな読後感がある。悩みながら手探りで人生を拓いていく態度が心地いい。
夏葉社の最初の出版である『レンブラントの帽子』は、新聞・雑誌などのメディアで話題になった。これは独りで出版社を営むことの珍しさにばかり関心が集まったのではないだろう。どうしても人の手に届けたい本だけを出版したい、という已むに已まれぬ思いに共感した向きが少なくなかったのではないか。
いい暮らしをするために出版業に携わるのと、生きるために出版を志すのは、似ているようで違うことだ。著者は、利益を得るのが目的ではない、と言う。はからずも島田氏は、出版の原点を示して見せたのだ。
『あしたから出版社』は、著者の生き方の表現であり、若者の働き方の提案であり、今後の出版の可能性をも示唆している。ちなみに、従兄の両親のための詩集の出版も実現し、いとおしいものの死を体験した人々に読まれているようだ。
『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』は、同じ「ひとり出版社」の先人の記録。岩田書院の新刊ニュースに連載したエッセーをまとめたものだ。こちらは現場の日報を読んでいるような、小さな出版社を営むことの「経営」の苦心が伝わってくる。
著者の岩田博氏は、中堅出版社での編集者を経て、独立を果たした。夏葉社は、おもに文芸を扱う出版社だが、岩田書院は「歴史・民俗・宗教・国文学関係の専門書」を扱う。著者の経営方針は、少部数の本を高単価で売ること。
具体的には、出版部数1000部以下。1部の定価が8000円ほど。著者印税はなし(印税の代わりに、献本用の本が提供される)。著者のほとんどは、大学の教員などほかに正業を持っているので、それでも文句は出ないらしい。
うーん、商業出版の界隈で生きてきた身の上としては、専門書の出版の世界は、ちょっと驚くことばかりだ。
ある日の著者の1日。
8:30起床。朝食。郵便局へ寄って9:30出社。前日の注文の処理や、電話の対応のほか、9月刊行分のこまごました手配をしていたら、もう昼。カミさんの作ってくれた弁当を食べて、午後の部のスタートです。
10月刊行分の本の校正を点検して著者に発送。小社のPR誌『地方史情報』の見本誌請求者に資料を発送。今日の注文を発送。振替入金をチェック。その他、たいしたことをしていないのに、もう6:00。
事務所と自宅の間は、歩いて20分。いつもは晩飯を食べに帰るのだが、ここのところ仕事がたまっているので、今日はコンビニ弁当を買ってきて、事務所でビールを飲みながら簡単に済ます。ビールを飲んで調子の出てきたところで、手紙の処理などをしたが、途中でエネルギー切れ。8:20から約2時間仮眠。10:30から再スタート。
ここ数日の間に入った原稿に目を通して著者に返事。AM3:30帰宅。
忙しい。それでもどうにか収支が合う程度の利益しかない。だが、著者はあまり不満に感じていない。好きな出版業で暮らしていけるのだから。
著者の仕事振りを見ていると、出版業に携わっているというより、漁師や農家などの暮らしが重なる。出版への態度に、猟師が命を養ってくれる獲物への感謝を忘れないように、生活の糧となっている本への敬いが感じられるのだ。その感情は、本を作品とする態度に近い。
夏葉社と岩田書院――この出版社の在り方は、僕の気持ちをほんの少し明るくしてくれる。どちらも、本を商品としてだけでなく、作品としても扱っている。小さな出版社にこそ、出版業の未来のひとつはあるのかも知れない。
お勧めの本:
『あしたから出版社』(島田潤一郎/晶文社)
『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』(岩田博/無明舎出版)