連載エッセー「本の楽園」 第10回 ポップでダークな大人の童話 ブコウスキーの小説『パルプ』

作家
村上政彦

 俺はニック・ビレーン。酒に救われ、競馬に慰められている、腹に贅肉のついた55歳の中年男。LA公認の私立探偵だ。ある日、オフィスにとびきりスタイルのいい、セクシーな女性が現われた。「死の貴婦人」(レイデイ・デス)を名乗る彼女は、セリーヌを探して欲しい、と依頼してきた。セリーヌだって? とうに死んだ作家じゃないか。しかし彼女は、セリーヌは生きている、街の書店に姿を見せたという。依頼とあれば仕方がない。1時間6ドルの報酬で請け負った。

 すると、今度はある男から電話があって、「赤い雀」(レッド・スパロー)の捜索を依頼された。手掛かりは、まったくない。だが――OK、引き受けよう。次にオフィスへ現われた依頼人は、若い妻の浮気を疑っていた。これはまともな仕事だ。引き受けない謂れはない。
 その次に現われたのは、身長140センチの風変わりな男。職業は葬儀屋。宇宙人の女につきまとわれているので、何とかして欲しいという。セリーヌ、赤い雀、宇宙人――なんだ、これは? 世の中がおかしくなったのか、それとも俺の頭がおかしくなったのか。しかし俺は、それぞれの調査を進める――。
 作者は、奇想のカードを次々と切りながら、荒唐無稽な物語を進めていく。セリーヌは本物で、彼の捜索を依頼した「死の貴婦人」は、どうやら死に神らしい。ニックが2人を引き合わせた直後、セリーヌは交通事故で死亡し、依頼人は消えてしまう。
 葬儀屋につきまとっている宇宙人の女は、こちらも本物の宇宙人で、種族がザーロス星から地球へ移住するため、先遣隊としてやって来たと打ち明ける。一見、美しい女。だが、本当の姿はグロテスクな宇宙人だ。

 本作は、探偵小説のスタイルを借りているので、この先の謎解きは営業妨害になるから実際に読んで欲しいのだが、そうきたか、とおもわせる進み行きになる。結末は一篇の詩のような印象があって、渋く着地している。
 表題の『パルプ』は、粗悪な紙のことで、かつてアメリカの出版界では、ミステリー、SF、ポルノなど、安手の読物を「パルプ・マガジン」として刊行していた。この作品は、そういうパルプ・フィクションの要素を含んでいる。
 これは作者のたくらみなのだが、ではパロディーかというと、そうではない。パルプ・フィクションへのオマージュであり、正統な文学への反抗である。いかにもブコウスキーらしい試みなのだ。
 また、本作の魅力の一つは、こうした奇想と荒唐無稽な物語を、すんなり受け入れさせてしまう語り口だ。これはブコウスキーの才筆とともに、翻訳の功績が大きい。言葉はこなれていて、文章には流露感がある。
 原文を読んでいないのにいうのだが、恐らく、この翻訳はよくできている。柴田元幸氏というシャーマンが、みずからにブコウスキーの魂を憑依させ、もとから日本語で書いたとしかおもえないのだ。
 本作の魅力のもう一つは、主人公の探偵がときおり内省するくだり。ここでブコウスキーは、きちんと「文学」している。たとえば――

 人生は人間をすり減らす。がりがりにすり減らす。

 人はみな一生を待って過ごす。生きるために待ち、死ぬために待つ。トイレットペーパーを買うために並んで待つ。金をもらうために並んで待つ。金がなけりゃ、並ぶ列はもっと長くなる。眠るために待ち、目ざめるために待つ。結婚するために待ち、離婚するために待つ。雨が降るのを待ち雨が止むのを待つ。食べるために待ち、それからまた、食べるために待つ。

 誰もがいつかはやられちまう。勝者なんていない。勝者みたいに見える奴がいるだけだ。(略)死の貴婦人が待ちかまえていることを思うと、考えるだけで気が狂いそうになってくる。

 いまは帳簿整理の時だ。俺の人生の帳簿整理。全体的にいって、人生でこれをやろうって思ったことはもうだいたいやった。うまい立ちまわりもいくつかやった。夜に通りで寝るような羽目にもなってない。もちろん、善人だって通りで寝てる奴はいっぱいいる。あいつらは馬鹿なんじゃない。時代のメカニズムに噛みあわないだけだ。時代の要請なんてコロコロ変わるし、酷な話だ。夜、自分のベッドで眠れるだけでも、世の力に対する貴重な勝利だ。

 やや厭世的な眼が人生の実相を見つめ、詩的な言い回しで表現している。うーん、うまいなー。
 本作は、パルプ・フィクションのスタイルを援用したポップでダークな大人の童話である。

お勧めの本:
『パルプ』(チャールズ・ブコウスキー/柴田元幸訳/学研/新潮文庫)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「猟師のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。