結党50年。綿密な取材が描き出す、その素顔――書評『公明党の深層』

ライター 
青山樹人

赤裸々に描かれた公明党議員たちの〝秘史〟

 この6月に刊行された『公明党の深層』(大下英治/イースト・プレス)は、新書ながら全390ページの大部で、読み応えのある重層的な構成のノンフィクションに仕上がっている。
 公明党は、本年11月には結党50周年の佳節を迎える。日本の政党としては、日本共産党、自由民主党に次ぐ歴史の長さだ。しかも、現在も政権与党の一翼を担い、その自公連立の歴史は1999年の小渕政権から数えれば、共に野党に甘んじた民主党政権時代を含めて15年に及ぶ。
 周知のように公明党は創価学会という民衆に根差した宗教運動を基盤として誕生した、日本では過去に類例のなかった政党である。そのために誤解や批判にもさらされ、問答無用でアレルギー反応を示す有権者も少なくなかった。しかし、幾多の政党が〝ブーム〟に乗って勢いづいては早晩に期待を失って泡のように消えてきた日本政治史の中で、公明党は1世紀の半分という歳月、常に一定の揺るがない支持率と得票数を保ち続けてきた。
 北海道大学大学院の山口二郎教授は

<今日の公明党は非常に幅広い層に広がった支持者に支えられている。労組など特定の集団の利害に拠っているわけでなく、その意味では国民政党である。また政策面で見られる公明党の視線は、まさに「常識」なのだと感じる。なによりも政治全体が液状化してしまっている今日、何があっても微動だにしない唯一の政党となった。喩えていうならば、公明党は「地中深く打ち込んだ杭」といえる。>(『いま、政治に何ができるのか――日本政治と公明党』潮出版社)

と述べている。
 この「地中深く打ち込んだ杭」を象徴するのが、2954名(2014年6月現在)という地方議員の数だ。じつは、これは自民党も共産党も抜いて、日本一の大所帯なのだ。その全国津々浦々に存在する市区町村議員、都道府県議員が、他党のような上下のヒエラルキーではなく同心円のネットワークとして衆参の国会議員と密接に連携しているところに、同党の最大の強みがある。暮らしの現場から寄せられた小さな声が、必要な場合には即座に都道府県レベル、国レベルに届く。事実、そこから幾多の法律や制度も生まれてきた。

 政治と宗教の関わりについて、日本社会には未だに誤解や無認識に基づく偏見が多い。あげくには、〝国家の宗教的中立〟を定めた憲法20条の「政教分離」を〝政治と宗教の分離〟だと思い込んで、宗教者が政治活動をすることを非難めいた目で見る人さえいる。しかしまた一方で、他党にはない〝宗教的な理念や情熱〟に支えられた公明党という政党が、部外者にとってよくわからないものであったことも事実だろう。
『公明党の深層』では、黒柳明、大久保直彦、市川雄一、坂口力、松あきらといった歴代の要職にあった議員をはじめ、現・国交大臣である太田昭宏、党代表の山口那津男、幹事長の井上義久といった面々が、いかなる生い立ちと青春を過ごし、創価学会員となり、やがて公明党の政治家になるに至ったかが、克明に描かれている。
 これまでほとんど公には語られてこなかったであろう〝秘史〟ともいうべき、それらの人々の赤裸々な個人史を積み上げることで、このノンフィクションは公明党という政党が、どのような人々のどのような思いで織り上げられてきたのかを検証することに成功している。これは非常に誠実で鮮やかな手法だと思う。

自公連立を可能にしてきた、人と人との信義

 同時に、本書のもうひとつの見せ場は、自公連立の舞台裏を、やはりそこに交差する人間たちの物語を拾いながら丹念に描いているところだ。
 今般の集団的自衛権を巡る攻防でも明らかなように、自民党と公明党は、ある意味でまったく文化の異なる政党である。しかし週刊誌やタブロイド紙が一知半解におもしろおかしく書くような打算や利害だけで、この2つの政党がこれほど長く連立を組めるわけなどあり得ない。
 本書は、この連立を可能にし、ここまで維持し続けてきた背景に、じつは自民党と公明党それぞれの、具体的に顔の見える人間と人間の腹を割った信義と信頼が積み上がっていることを、やはり綿密な取材を通して描いている。
 互いの主義主張が違ったとしても、それでも互いを理解し合い、信頼関係を築く。公明党にとってそれは、ほかならぬ党の創立者である池田大作創価学会名誉会長が、あの冷戦時代に米中ソの首脳たちと胸襟を開いて何度も語り合い、世界史をも動かした事実に照らせば当然のことだ。
 政党と政党としては時に激しくぶつかり合い譲れない一線があろうとも、人と人との信義は貫き得る。本書の中では、かつて自民党が異常なまでに創価学会攻撃に血道を上げていた1996年の当時、自民党幹事長代理の野中広務と公明(当時)代表の藤井富雄が腹蔵なく話し合い、大局観に立って首長選挙では協力さえし合い、互いを信頼していく経緯が綴られている。
 一方、民主党政権時代、民主党が多数派工作のためになりふり構わず公明党を懐柔しようとしたことや、しかしその手法が常に人間味に欠けるものであったことを、「理が九で情が一という感じだ。その理にも利が混じる」と辛辣に記す。
 公明党が自民党と連立を組んでいることには、世論の一部はもちろん、支持者の中からもしばしば異論が噴出する。とりわけ、今般の集団的自衛権をめぐっては「連立離脱」という4文字をメディアは幾度も煽り立てた。
 だが、仮に公明党が連立を離脱すれば、「維新」や「みんな」といったナショナリズムの強い政党勢力が自民党と連立することは目に見えている。他方で今の野党がそれに対抗できる勢力を結集できるとは誰も信じまい。近隣諸国との関係も含め、日本は一気に危険な方向へ雪崩れ落ちるだろう。公明党に〝オール・オア・ナッシング〟の態度を求める人々が一時の溜飲を下げて喝采を送ったとしても、国民の誰も幸福にはならない話だと筆者は思う。

<一時のイデオロギーだけの特定集団に支えられた政党というものは、大きな時代の流れに流され、いずれ賞味期限を迎えてしまう。しかし、公明党はそんな政党とは別物である。
 日本全国に張り巡らされたネットワーク、「大衆とともに」との立党精神、そして、人材の新陳代謝が備わっていれば、公明党は日本の政治に必要な存在として永続性を保ち、役割を果たしていくことができ続けるはずだ。>(『公明党の深層』)

 理念や言葉だけに走る政党がもはや完全に国民の信頼を失い、偏狭なナショナリズムや排外主義が気勢を上げつつある時代。公明党が現実の泥沼の中で、なお立党精神を貫いて踏みこたえ続けることができるのかどうか。今が正念場である。

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『公明党の深層』
大下英治
 
 
価格 907円(+税)/イースト・プレス/2014年6月13日発刊
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あおやま・しげと●東京都在住。雑誌や新聞紙への寄稿を中心に、ライターとして活動中。著書に『宗教は誰のものか』(鳳書院)など。