【コラム】「墓」のウェアラブル(身体装着)化が始まった――遺灰から人造ダイヤモンドを作る人々

ライター
青山樹人

〝墓参り〟が困難になった時代

 昨年(2013年)11月、宮内庁は「今後の陵と葬儀のあり方」を発表し、1680年の後水尾天皇から続いていた天皇・皇后の土葬を、4世紀ぶりに火葬にあらためるとした。歴史的ともいえる変更は天皇・皇后両陛下の意向を受けたもので、日本社会で火葬が一般的になったことと、陵墓を少しでも簡素化するためというのが理由であった。
 葬送や墓の様式形態というものは万古不変なものではなく、時代によって、社会によって、さまざまに異なる。キリスト教やイスラムの社会では「神による審判」を待つという考えから土葬が多いが、とりわけ唯一神アッラー以外のものを認めないイスラムでは、日本式の〝墓参り〟はあり得ない。ヒンドゥーでは火葬が主流で、遺灰を海や川に流すことも多い。
 日本でも今日のような一般庶民の墓が作られるようになったのは江戸時代に入ってからだ。徳川幕府の宗教政策によって、仏教は葬送のための宗教に作り替えられ、「墓」は人々を寺院に従属させ檀家制度を維持するシステムとして用意された。

 だが、日本でもその「墓」事情が大きく変わりはじめている。
 まず、都市部を中心に核家族化がすでに2世代、3世代と進行し、人々の暮らしはかつての檀那寺から遠く離れたものになり、それに伴って葬送や埋葬も一族を挙げての行事からパーソナルなものへと移ってきた。
 都市部の開発や地価の高騰から、「墓」は郊外へ地方へと移転し、しかも1基で数百万円もするようになった。
 加えて、高額な費用をかけて遠い場所に「墓」を作っても、高齢化社会では頻繁に墓所まで足を運んで参拝したり維持管理することが難しくなってきている。少子化で、あとを継ぐ世代の途絶えた家も珍しくない。そうなると、「墓」を建ててはみたものの、ほどなく誰も訪う人のない〝無縁墓〟になってしまうのだ。

愛する者の記憶を身に添わせる

 すでに都市部では旧来の個別単独の「墓」ではなく、永代供養を謳った集合型の「廟(びょう)」が珍しくなくなったが、最近ではカードをかざすと収納室に入っていた骨壺と墓標が礼拝室まで移動してくるようなコンピュータ制御の室内墓苑が登場するようになった。
 日本にかぎらず「墓」の用地取得が困難になっている事情はアジアの国々でも同じであり、こうしたIT化された「墓」は、新しいもの好きのアジア人の中で徐々に広がるのではないだろうか。おそらく、この数世紀続いてきたような「墓」の様式は、21世紀のうちに一気に少なくなっていくのだろうと思う。
 さらに近年では、遺灰そのものを高温高圧の特殊な技術によって人造ダイヤモンドにするというビジネスも誕生している。21世紀のはじめに米国で開発されたもので、亡骸や遺骨を墓地に埋葬するのではなく、遺灰の一部を指輪やピアス、ペンダントといった宝飾品にすることで、常に自分の肌身につけておくことができる。日本でも東京などで、墓所を買う程度の金額でこの加工を受注する会社が生まれているようだ。
 過去の時代のように埋葬や礼拝について特定の宗教に縛られることから人々は自由になり始めた。本来、愛する者(ペットの場合もある)の死をどのように扱い、その記憶とどのように寄り添うかは、きわめてパーソナルなことがらだ。
 できればずっと一緒にいたいと願っていた生命の思い出と、実際にずっと身を添わせていられることで、こうした〝埋葬〟の形を希望する人の数は、日本でもわずかずつながら伸びてきているという。

 たとえば、かつては大きな容積を占めていたコンピュータが、今ではiPhoneのようにポケットに入るサイズになり、さらにこれから腕時計型などウェアラブル(身体装着)が進んで、ごく近い将来にも、肉体そのものにデバイスを埋め込むようにもなるだろうと言われている。
 今はまだ緒に就いたばかりだろうが、どこか特定の場所に「墓」を設けるのではなく、「墓」そのものをかぎりなく自分たちの身体に近づけることも、今後市民権を広げていくだろうと思う。

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あおやま・しげと●東京都在住。雑誌や新聞紙への寄稿を中心に、ライターとして活動中。著書に『宗教は誰のものか』(鳳書院)など。