「坊やがねちやうと
乳母車、
日かげにそつといれられる。
そしてふんはり
ふんはりと、
もひとつ毛布をのせられる。」
――これは、『ごん狐』の作者として知られる新美南吉の『乳母車』という詩だ。乳母車は母性の象徴のような存在として描かれている。
誰もがかつては赤ん坊だった。誰もが母に守られていた。そして乳母車のお世話になった。
その乳母車は一説によると、1848年に、アメリカ・ニューヨークで生まれたらしい。やがてイギリスで製作されるようになり、ビクトリア女王などが注文したことから、広く一般でも使われ始めた。日本では1879年頃から利用されるようになったという。
いまや乳母車はベビーカーと名を変え、子育てに欠かせないものとなっているが、母たちは困っていた。
十数年前から一部の地域の交通機関では乗車を認められていたが、ときに乗客の迷惑そうな視線に晒され、ひどい場合は「邪魔だ」と怒鳴られることもある。公共施設も利用しにくい。
母たちの声が国政に届いた
ベビーカーをもっと利用しやすくしたい――子育て中の母たちの声を聴き取ったのは公明党だった。2013年5月、参議院の予算委員会で、ベビーカーの利用についてのルールづくりと、利用者への配慮を求める統一マークの作成を提案した。
太田国土交通大臣は「大切なことだ」と回答し、翌6月、国土交通省は、公共の交通機関に関するガイドラインを改定。事業者にベビーカーへの気配りを促した。
駅などのエレベーターを整備するときには、ベビーカーと他の利用者が共存できる環境をつくり、バスや電車にもベビーカーが乗り込めるスペースを確保する――。
また国土交通省は、母たちの集う子育て支援団体と交通事業者らからなる協議会を設置。ベビーカーの利用についてのルールづくりと統一マークの作成を、2013年度のうちに実施することになった。母たちの声は国政に届いたのだ。
ベビーカーの統一マークは、「マタニティマーク」がモデルになっている。これは妊産婦への配慮を促すもので、やはり公明党の提案がきっかけで実現した。
その後の取り組みによって、2011年度には、全国の90%の自治体に普及。駅や電車、高速道路のサービスエリアなどにも表示されるようになっている。
どちらも、ささやかなことかも知れない。しかし、人の生活はささやかなことの集積である。特に子育てはそうだ。母たちは困っていたのだ――そこに眼を向けなくて、なんの政治か。
子を思う母の母性を社会が受け止め、その母性を社会全体へ広げていく。そうすることで社会は豊かになる。母性を守るには強さが必要だ。それこそ政治の役割だろう。母たちがにこやかな社会は、豊かで優しい、そして強い社会だと思う。
<月刊誌『灯台』2013年9月号より転載>