不平等が生み出す社会の分断
本書『平等について、いま話したいこと』は、欧米を代表する2人の知性が「平等」を巡って交わした白熱の議論を編集してまとめたものだ。
一方の著者トマ・ピケティは、フランスの経済学者でパリ経済大学の教授を務める。著書『21世紀の資本』は700ページを超える大著であるにもかかわらず、日本でもベストセラ―となり話題を呼んだ。
もう一方の著者マイケル・サンデルは、アメリカのハーバード大学の教授を務め、対話形式の授業の模様がテレビ番組『ハーバード白熱教室』として放送されたこともあり、日本でもっともよく知られている政治哲学者のひとりである。
出自も思想的立場も異なる二人が行った対話なので、平等な社会の実現に関する議論には対立点がある。しかし、不平等がもつ問題点に関しては驚くほど意見が一致している。
両者によれば現在世界に蔓延する不平等には、3つの側面があるという。機会の不平等、政治的不平等、尊厳の不平等である。
そして、こうした問題の背景には現在の資本主義の在り方と、それを当然のことと思い込ませる能力主義というイデオロギーがあるという。
その危険とはまさに、能力主義によって、われわれの分断を煽るような成功のとらえ方が勝者のあいだだけでなく敗者のあいだにも醸成される危険です。成功者が傲慢になる一方で、取り残された人たちは屈辱感を味わい、失敗も苦労も自業自得と言われて、おそらくそう納得させられる。(本書69ページ)
能力主義の危険性は、社会を勝者と敗者に分断する点にある。人間は自分が生まれる家を選ぶことはできない。裕福な家に生まれれば、良い教育環境を得ることができ社会的に成功する確率は高く、貧しい家に生まれれば教育環境は厳しく、社会的に成功する確率は低い。そうした運による要素をすべて実力に還元するところに、能力主義の恐ろしさがある。
職業による収入の格差も著しい。アメリカではヘッジファンドマネージャーの収入は教師、医師、看護師の収入と比較すると5000倍にもなるという。収入格差があるのは当然としても、ここまでの差があると労働に対して平等に敬意を払われているとは言い難い。市場原理主義がもたらしたグロテスクな現実である。
脱商品の必要性
教育と保健医療で脱商品化のプロセスがそれほどうまくいったのであれば、それこそまさに、教育や保健医療の分野で働く人たちが持つその種の内在的動機が、金銭や利益の追求という動機によって破壊されやすいからにほかなりません。(本書30ページ)
全ての社会活動を市場原理によって計ることに本来無理がある。特に医療や教育の分野では、経済的合理性を持ち込むことは多くの人から機会の平等を奪うことに繋がるだけでなく、サービスの質を損なう可能性がある。
ピケティが紹介している例は興味深い。学生の成績に応じて教師に金銭的報償を与えた実験が過去に数多く行われた。最初は学生のテストの成績が上がる場合もある。しかし6カ月たつと学生は教わった内容を忘れてしまうという。また医療の分野でも保健医療が充実した国の方ほど、費やされるお金は少なく平均寿命が延びている。
市場原理に全てを委ねることは人々の仕事と生活を壊してしまう可能性がある。社会活動の一定の分野に関しては脱商品化する必要がある。その点で両者の意見は一致している。
中道勢力の失敗の本質
この時期、そしておそらくもっと長い期間にわたって市場信仰がこれほどまでに歓迎されてきたのは、財の価値をどう評価するか、人々による経済や共通善へのさまざまな貢献の価値をどう評価するかという、異論や物議をかもす面倒な議論を民主的市民であるわれわれがやらずにすむ術を、市場が与えてくれるように思えるからではないでしょうか。(本書55ページ)
現在、かつて先進国といわれた多くの国々では、中道勢力の退潮がみられ、右派、左派、いずれの陣営でも極端な主張を掲げる政治勢力が台頭している。その原因には、政治家たちの熟議型民主制への恐れがあると指摘する。
ことなる立場や職業、ものの見方を持つ人たちの多様な意見を収斂させ、国の目指すべき方向性を決める点に民主政治の特色がある。そのために政治家は多くの時間と労力をかけなければならない。しかし、そうした合意形成をあきらめた政治家たちは、あたかも市場が中立的指標であるかのようにみせかけ、熟議することを回避した。ここから大きな政治不信が生まれたのではないか。
さらには、これまでの社会民主主義は先進国による途上国への搾取によってなりたってきた。豊かな生活を享受していたうらには、貧しい国の低賃金労働者の酷使と環境破壊があった。そうした偽善的な態度も政治に対する信頼を失墜させてしまった。
現在、世界に蔓延する極端な不平等は社会に大きな分断を生み出した。同じ国に住んでいる人でも経済状況によって住む場所も買い物に行く場所も違い、通うジムも異なる。もはや顔を合わせることすら希薄になっている。そうした状況を改善するためには、さまざまな人たちが顔を合わせることを可能にする公共の場が必要だ。具体的には地域コミュニティや中間団体を活性化し、自分と立場が異なる多くの人びとの意見に耳を傾け、言葉を交わしながら、不平等の是正やより良い政治の在り方を考えていくより他はない。
熟議なくして不平等の克服はあり得ない。ピケティとサンデルが身をもって示しているように、対話の実践こそが不平等を是正し、政治を改善するためにもっとも必要とされているものである。
『平等について、いま話したいこと』
(トマ・ピケティ、マイケル・サンデル著、岡本麻左子訳/早川書房/2025年1月25日刊)
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