子どもの基本的人権を保障するためにつくられた『子どもの権利条約』には、「締約国は、児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する」とある。この条約は1989年に国連総会で採択され、その5年後に日本も批准した。
当時、日本ではバブル経済が崩壊し、長い不況に入りつつあったが、まだ「貧困」という言葉とは無縁だと思われていた。ところが、日本の子どもの貧困率は、1985年の時点で10.9%。実に10人に1人が貧困に陥っていた。以来、子どもの貧困率は上昇を続け、2009年には15.7%となった。
ここでいう貧困とは相対的貧困のことで、標準的な手取り所得の半分に満たない所得しかない状態を指す(2009年では4人世帯で年収約250万円未満)。子どもの貧困率とは、貧困に陥っている親に育てられている子どもの割合と考えればいい。
OECD(経済協力開発機構)は、2006年の『対日経済審査報告書』において、日本の相対的貧困率を、OECD加盟国中で第2位と発表し、人々に少なからぬショックを与えた。報告では、日本の子どもの貧困率が上昇していることにも触れ、注意を促している。
貧困は世代間で引き継がれている
貧困は単に格差の有り様を意昧するのではない。『子どもの貧困――日本の不公平を考える』の著者・阿部彩氏は、貧困とは「社会として許すべきではない」ものという。貧困に陥っている子どもは、成長に不可欠な、教育、医療、栄養などが満足に受けられない。家庭環境も恵まれているとはいえず、虐待を受けたり、非行の罠に落ちたりする危険性もある。彼らは人生のスタートの段階で、ハンディキャップを負っているのだ。
深刻なのは、この貧困が世代間で引き継がれる確率が高いことだ。貧困の家庭で育つ子どもは、不利な条件のもとに生きているので、大人になっても貧困のままということが多い。そして、そこには、また子どもの貧困が生じる。
子どもには、十全に発育する権利がある。社会は、未来への投資として、それを後押ししなければならない。子どもの貧困を放置すると、いずれその社会は衰退していくからだ。
2013年5月、公明党の取り組んできた『子どもの貧困対策推進法』が成立した。国に子どもの貧困対策の責務があることが明記され、教育、経済の支援を軸とし、保護者の就労支援も行なう。そして、政府は毎年、子どもの貧困の状況と、子どもの貧困対策の実施の状況を公表しなければならない。
すべての子どもたちに平等なチャンスを与える――子どもの人権を十全に実現する道は、まだ遠い。しかし、まず1歩を踏み出したことを評価したい。その1歩を積み重ねていくことでしかゴールに到達することはできないからだ。皆で、この試みを支えていきたい。
<月刊誌『灯台』2013年8月号より転載>