連載「広布の未来図」を考える――第1回 AIの発達と信仰

ライター
青山樹人

豊かな思索のヒントをめざして

――本年(2025年)は、創価学会創立95周年の年となります。創立100周年の2030年まであと5年。
 一方で、いわゆる「2025年問題」と呼ばれるように、いよいよ国民の5人に1人が75歳以上の後期高齢者となる時代を迎えます。社会保障制度の不均衡や労働人口の減少など、日本社会はさまざまな問題に直面しています。

 こういった社会構造の変化のなか、創価学会もまたこれまでとは異なる多くの課題に向き合い、新たな発想や取り組みに挑戦しようとしています。
 大事なことは、新しい課題について1人1人が思索を深め、豊かな議論を重ねていくことではないかと思います。ただ、そもそもの〝糸口〟がなかなか見えないという声も聞かれます。

 そこで、読者からの要望もあり、これからの時代に現場の第一線に立つ創価学会員の1人1人が、思索を深めていくヒントになるような記事を不定期で随時連載していけないかと考えました。
 青山樹人さんは四半世紀にわたって、『新版 宗教はだれのものか』(鳳書院)など、主に学会と池田先生のこれまでの歴史を綴ってこられました。同書は青年リーダーたちの研鑽にも活用されているようです。
 この企画でも、編集部と一緒に、できるだけ忌憚のない率直な議論を、読者に提供できればと思っています。

青山樹人 末法は「闘諍言訟(とうじょうごんしょう)」の時代ですね。さまざまな言論が入り乱れて、何が正しくて何が邪説なのかがわからない。
 だからこそ仏法者は、人々に届く新鮮な言葉で、正義の言論をつむいでいかなければならないのだと思います。宗教の生命線は言葉です。言葉が力を失えば、その宗教も衰退していきます。

 聖教新聞社のポッドキャスト「聖教ラボ」で、青年部長や男子部長はじめ国内外の青年リーダーが登場するなど、新しい議論と発信の取り組みが始まっていますね。私も楽しみに聴いています。
 また月刊誌『第三文明』でも、梁島男子部長の連載「RE:THINK~青年たちの仏法探求~」が続いています。率直な内容で、各地の青年リーダーたちからの反響も大きいとうかがいました。

 ただし私の場合は、あくまでも個人の一つの見解として発言することを、最初に申し上げておきます。
 そのうえで、このWEB連載が広宣流布の「未来図」について皆さんと一緒に思考実験をしていくための、何かささやかなヒントになるのであれば、ありがたいかぎりです。

「AIイエス」の意味するもの

――第1回は「AI」について考えたいと思います。2025年1月の本部幹部会で、原田会長から「池田先生のご著作・ご指導を、言語生成AIを用いて検索できるサービス」の開発を推進することが発表されました。
 これはAIが先生の御指導を自動生成するようなものではなく、あくまでも先生のご指導・ご著作から言語生成AIが「検索」するものということです。
 一方で、既にAI技術で著名人などの映像や言葉を生成して、あたかも当人になり代わって話したり歌ったりするものは、各国で次々に作られていますね。

青山 2019年、没後30周年を記念してAI生成された美空ひばりさんの「新曲」が発売され、同年の紅白歌合戦でAIのひばりさんによる歌が披露されるという企画がありましたね。
 そうかと思えば、先日ウクライナのゼレンスキー大統領と米国のトランプ大統領が会談した折には、あっという間にさまざまなフェイク動画が出回りました。

 これらのように、権利当事者たちの合意のもとで制作されるものもあれば、そうではないものもあります。実際の記録映像なのかAIの産物なのか、何らかの意図を持ったプロパガンダなのか、真偽不明のものが今後ますますネット上に溢れてくるでしょうね。

 2024年秋、スイスのルツェルンにある聖ペテロ礼拝堂とルツェルン応用科学芸術大学が共同して、「AIイエス・キリスト」を実験的に制作したという報道がありました。
 信徒は教会の告解室に入り、格子越しに現れるホログラム(立体画像)のAIイエスと対話したそうです。AIイエスはディープラーニングで聖書や宗教文献を読み込んでおり、懺悔や質問をする信徒に対して聖書に基づいたアドバイスをします。
 実験に参加した信徒からは、批判的な意見もあった反面、「スピリチュアルな体験だった」等の肯定的な評価もあったそうです。

――同じく2024年に、ドイツ・バイエルン州の教会ではAI生成された牧師の説教を聞くという試みもあったと、日本経済新聞の記事で読みました。

青山 こうしたものを〝冒涜〟と感じるか〝新たな宗教体験〟と受け止めるか、世代的な違いもあるかもしれません。
 考えてみれば、仏像や神像なども、人々のイマジネーションの産物を形にしたという意味では、バーチャルなものです。釈尊やイエスが実際にどんな顔だったのか確かめる術もないし、ギリシャ神話の神々にしろ阿弥陀如来にしろ、そもそも歴史上に実在したわけでもありません。
 バーチャルな像に人々が宗教的な意味や価値を見出すのは、今に始まったことではないのです。

 ただ、AIにさまざまなデータを学習させて、そこから新たに宗教的なメッセージを受け取るという考え方には、危うい〝落とし穴〟があると私は考えています。
 たとえば先ほどの「AIイエス」のように、聖典や宗教指導者の残した言説をすべてAIにディープラーニングさせれば、今後も将来にわたり、いろんなテーマについて、そのAIから説法や助言を受け続けることができると考える人たちがいるようです。

――すでに逝去した宗教の創始者や宗教指導者が、いわばAIによって〝不死の存在〟になるわけですね。

青山 精度の問題はあるとしても、技術的には可能です。今後そういうことを大まじめに考えて、実装しようとする人が世界にたくさん出てくるのではないかと思います。

「世界宗教」の重要な条件を失う

――「危うい」というのは、どういうことでしょうか。

青山 第一に、「正典」が閉じなくなるということです。作家の佐藤優氏が指摘されてきたように、「世界宗教」の条件の一つは、その教団にとって規範となる「正典」(キャノン)が明確に定まり、それがすでに完結しているということです。
 キリスト教であれば新約と旧約の聖書、イスラムであればコーランです。これらは完結しています。だからこそ、教団の内外を問わず、世界中の人がそれをもとに議論し思索することが可能なのです。

 創価学会においては、『日蓮大聖人御書全集 新版』と小説『人間革命』『新・人間革命』が規範となるテキスト、つまり普遍的な「正典」にあたるでしょう。いずれも池田先生の存命中に完結・刊行されました。
 あるいは、後世に残すべき池田先生の指導についても『池田大作先生の指導選集』の上中下巻として刊行されています。

 このうち御書に関してだけは、文献的研究によって将来、新たに発見される遺文があるかもしれません。このことは池田先生も『日蓮大聖人御書全集 新版』の「序」で言及され、その採否は後継の弟子に委ねるとされています。
 その場合も新たに発見される「遺文」であって、新たに創作されたものではありません。

 ところが、AIで宗教指導者を蘇らせ、新たなメッセージや指導を生成するようなことになると、話が違ってきます。完結したはずの「正典」(キャノン)が、世界中のデバイスのソフトのなかで無尽蔵に増殖していくことになる。
 しかも、それは実際の指導者が発したものとして教団内で合意された言葉ではなく、どこまでいってもAIが与えられた情報のなかから、その場その場で〝創作〟するものです。

 だから原田会長も、

 検索のための技術に言語生成AIを用いるだけであり、したがって検索結果は、AIが独自に生み出した言葉ではなく、先生のご著作・ご指導を、引用というかたちで提示するという、いわば〝使い勝手のよい検索サービス〟といった性格にすべきだと考えております。(第6回本部幹部会/「聖教新聞」2025年1月18日)

と述べているのです。

――たとえば「AIイエス」の語る言葉が、どれほど聖書に近似しているからといっても、それを次々に新たな〝イエスの言葉〟として受容していけば、宗教としての基盤を失い、普遍性がなくなっていくわけですね。

「宗教のための宗教」ではない

青山 「危うさ」の二点目は、人々の能動性や内発性を奪ってしまうということです。
 たとえば法華経にしても御書にしても、それらが成立した時代や社会の制約を免れません。その時代の世界観、知識、民衆の実像に基づいており、それぞれの時代や地域の社会常識や風習のなかで使われている表現があります。
 だからこそ、13世紀の日本に出現された日蓮大聖人も、末法という時代を引き受けて、法華経がめざした「一切衆生の成仏」への具体的な道を開こうとされました。

 創価学会は20世紀の2度の世界大戦の狭間に誕生し、航空機や情報通信で世界が一体化される時代に発展してきました。
 学会の三代の会長もまた、こうした現代において大聖人の遺命である「世界広宣流布」を実現しゆく道を懸命に開いてきたのです。

 とりわけ池田先生は、日蓮大聖人の仏法を世界に流布するとともに、世界の知性と旺盛な対話を重ね、世界の諸大学・学術機関で講演し、師弟不二の生き方を綴り残すため、全12巻の『人間革命』と全30巻の『新・人間革命』を刊行してきました。

 そこには、13世紀の日本に出現された日蓮大聖人の思想と、その基盤である法華経の思想を、第3の千年紀に生きる全人類が理解・共有し、幸福になり社会を変革していくための、自在にして壮絶な知の闘争があったわけです。
 50年以上前の1973年7月、池田先生は創価大学の創立者として、第2回滝山祭で「スコラ哲学と現代文明」と題する講演をしています。

大事なのは、新しい哲学であり、現代の、いい意味でのスコラ哲学の興隆であります。真実の宗教を基盤とし、真実の信仰を核として、そこにあらゆる学問も、理性、感情、欲望、衝動等も統合し、正しく位置づけた、新しい人間復興の哲学が要請される。(『池田大作全集』第1巻)

 この宣言どおり、先生は半世紀にわたって世界との対話を続け、今日の「世界宗教」化への道を開いてこられました。

――異なる宗教土壌や社会体制の国の指導者や知性、異なる宗教を信仰する各国の識者たちが、たとえ仏法の深義はわからずとも「池田思想」という普遍的な哲学に共鳴し、創価学会と手を携えて人類的課題に取り組んでいることは周知の事実です。

青山 法華経にしても御書にしても、ただ安易に教条的に文言だけを切り取り、それを強引に現代社会に当てはめようとすれば、もはや人々の理解など得られません。なにより、仏法の本義そのものをかえって見失わせ破壊してしまいます。
 全人類の幸福をめざした釈尊・日蓮大聖人の誓願をわが誓願とし、「大聖人直結」「御書根本」の信心に立ったうえで、当時とはまったく様相が異なる現代の世界において、どう受け止めて展開するべきか。

 そこには常に、自分が置かれた時代と社会を引き受けていく、弟子の「能動性」と「内発性」が不可欠になります。それを欠いてしまえば、人間が宗教の権威に従属する「宗教のための宗教」になってしまうからです。
 池田先生は、釈尊から大聖人へと連なる仏法の真髄に流れ通う本質を、「人間のための宗教」と見事に洞察されました。

 たとえばスペイン語版の『御書』に寄せた「序文」で池田先生は、学会が創立された頃の日本の宗教界が「国家のための宗教」であったことに触れ、

創価学会は、「人間の幸福のための宗教」という観点から日蓮大聖人の仏法の可能性、および、その基盤である法華経の可能性を再発見し、人間の幸福を実現するための信仰実践を展開した。

と記されています。

時々刻々、軌道修正をなすための信仰

――仮に「AIイエス」のようなかたちで釈尊や大聖人、あるいは三代の会長を再現し、気軽に質問して〝回答〟を得ようとすれば、どういうことになりますか。

青山 AIが発するメッセージは、どこまでいっても新たに生成されたものに過ぎません。なにより、そうやってAIに「正解」を委ねてしまえば、いわゆる〝イタコのお告げ〟と変わらなくなります。

 時代の変化のなかで、個人にあっても社会にあっても人類全体においても、直面する課題は刻々と変化し、新しい問題にも直面します。だからこそ、普遍的な基盤としての〝閉じたキャノン〟を土台に、熟慮し、また議論し合い、なによりも祈り、自分の内発的な智慧を生み出していくしかないのです。

 AIに質問して、ディープラーニングのなかから最適解を出すというのは、他の事柄であれば賢明かもしれません。しかし、信仰においてそれをやってしまえば、人間の側に何の負荷も生じなくなります。
 効率よく最適解を手に入れているように見えても、それこそ人間が宗教の権威に従属している姿になってしまう。しかも、それはどこまでもAIの生成したものなのです。もはや信仰の敗北ではないでしょうか。
 同じように見える事柄に、先生がまったく異なる角度のご指導をされていることも少なくありません。

時には一つの事象に対して正反対とも思えるご指導があった際、そこにいかなる違いがあり、いかなる共通点があるのか、そのご指導の本質は何かと、祈り、実践するなかで思索し、池田先生のお心に肉薄していくという「精進行」にこそ、信心の真髄があり、師弟の精神の脈動があるのです。(第6回本部幹部会)

と、原田会長が明言されているとおりです。

――御書や先生の指導を根本にするといっても、マニュアル的に「正解」を手に入れて当てはめていくような安易な姿勢ではいけないということですね。

青山 池田先生はハーバード大学での2度目の講演(1993年)で、

はたして宗教をもつことが人間を強くするのか弱くするのか、善くするのか悪くするのか、賢くするのか愚かにするのか、という判断を誤ってはならない(「21世紀文明と大乗仏教」

と指摘されました。
さらに同じ講演で、

 仏法は観念ではなく、時々刻々、人生の軌道修正を為さしむるものであります。〝億劫の辛労を尽くす〟とあるように、あらゆる課題を一身に受け、全意識を目覚めさせていく。そこに、「無作三身」という仏の命が瞬間瞬間、涌き出してきて、人間的営為を正しい方向へ、正しい道へと導き励ましてくれる。(同)

と語られています。
 この「あらゆる課題を一身に受け、全意識を目覚めさせ」「時々刻々、人生の軌道修正を為」していくものが創価学会の信仰です。どこかに解決への「正解」があって、あとは何も考えず苦労せずにおまかせ、というような信仰ではないのです。
 さまざまな技術革新が急速に進む時代だからこそ、とりわけ青年世代の方々は、こうした原点をしっかりと踏まえ、皆が安心して進めるように思索を深め、対話していってほしいと願っています。

特集 世界はなぜ「池田大作」を評価するのか:
 第1回 逝去と創価学会の今後
 第2回 世界宗教の要件を整える
 第3回 民主主義に果たした役割
 第4回 「言葉の力」と開かれた精神
 第5回 ヨーロッパ社会からの信頼
 第6回 核廃絶へ世界世論の形成
 第7回 「創価一貫教育」の実現
 第8回 世界市民を育む美術館
 第9回 音楽芸術への比類なき貢献

「池田大作」を知るための書籍・20タイトル:
 20タイトル(上) まずは会長自身の著作から
 20タイトル(下) 対談集・評伝・そのほか

三代会長が開いた世界宗教への道(全5回):
 第1回 日蓮仏法の精神を受け継ぐ
 第2回 嵐のなかで世界への対話を開始
 第3回 第1次宗門事件の謀略
 第4回 法主が主導した第2次宗門事件
 第5回 世界宗教へと飛翔する創価学会

「フランスのセクト対策とは」:
フランスのセクト対策とは(上)――創価学会をめぐる「報告書」
フランスのセクト対策とは(中)――首相通達で廃止されたリスト
フランスのセクト対策とは(下)――ヨーロッパでの創価学会の評価

仏『ル・モンド』の月刊誌がフランスの創価学会のルポを掲載――その意義と背景

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あおやま・しげと●ライター 著書に『宗教はだれのものか』(2002年/鳳書院)、『新装改訂版 宗教はだれのものか』(2006年/鳳書院)、『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』(2015年/鳳書院)、『新版 宗教はだれのものか 三代会長が開いた世界宗教への道』(2022年/鳳書院)など。WEB第三文明にコラム執筆多数。