芥川賞を読む 第47回 『乙女の密告』赤染晶子

文筆家
水上修一

『アンネの日記』の真実を探す女子大生

赤染晶子(あかぞめ・あきこ)著/第143回芥川賞受賞作(2010年上半期)

白熱したことが窺える選考会

 芥川賞選考委員の各選評は毎回、総合月刊誌『文藝春秋』に掲載される。全ての選考委員の選評を読むと、選考会でどのような議論がなされたのか、わずかに垣間見えることもあるのだが、第143回の受賞作、赤染晶子の「乙女の密告」については、例年にないほど白熱した議論が展開されたことが想像された。
 選考委員の小川洋子は、

議論の場ではかなり熱い言葉が行き交った。話し合いの中で新たな論点が次々と浮かび上がり、それに一生懸命ついてゆくうち、いつしか作品が受賞に相応しいかどうかの議論であるのを忘れた。賞の問題を超えて、もっと深く小説の世界に入り込み…

と述べている。
『文藝春秋』に掲載される「芥川賞選評」の、選考委員一人あたりの掲載ボリュームは約1ページ弱。そこでそれぞれの候補作について触れることが多いのだが、143回は大変な分量が「乙女の密告」にのみ割かれている。特に、小川洋子と池澤夏樹は2ページにも及ぶ選評をこの作品に割いている。それはまるで文芸評論だ。こんな回は珍しい。
 それはなぜか。そこに秘められた才能の大きさに惹きつけられたことはもちろん、もう一つは難解だからだと考えられる。「分からない」などという選評は選考委員には許されないのだろうが、『芥川賞の偏差値』を書いた作家の小谷野敦は(選考委員ではない)、同書で「私にはこの小説が何が言いたいのかさっぱりわからないのである」と告白している。

物語の柱は「アンネの日記」の暗誦

 舞台は京都の外国語大学。奇妙なキャラのドイツ語の教授が、スピーチコンテストを開催する。学生たちが暗唱しなければならない課題テキストは、『アンネの日記』だ。主人公である女学生の《みか子》は、いくら暗記の練習を重ねても、ある箇所で記憶が飛んで次の言葉が出なくなる。必死で思い出そうともがくのだが出てこない苦しみ。
 そのクラスは、ドイツ語教授のどうでもいいような適当な分類法によって「すみれ組」と「黒ばら組」に分けられる。それぞれの組に所属する学生たちは、対抗意識を燃やしながら、「乙女」であり続けることにこだわる。同時に、みか子は、教授との関係をクラスメートから〝誤解〟されて、苦しむ。嘘のデマを流して密告したのは誰なのかは不明。
 みか子は、『アンネの日記』と真正面から格闘する中で、それまでアンネに抱いていたロマンティックなイメージから抜け出して、ユダヤ人である自分と(身の安全のために)オランダ人になりたいという願望の間で格闘するアンネの実像へと、まるでアンネに憑依されたかのように迫っていく。

アイデンティティーについて問いかける

 作品の大きな構成は、大学を舞台とした女子学生同士の絡み合いと、アンネ・フランクという実在女性をリンクさせた形になっている。
 絶妙なのはそのつなぎ方だ。ナチスの目から隠れて暮らしていたアンネを密告した人物の謎と、みか子を嘘のデマで密告した人物の謎というリンク。ユダヤ人とは何なのかという定義と、「乙女」とは何なのかという定義のリンク。ユダヤ人に対する排斥と、「乙女」ではない者に対する排斥というリンク。さらには、アンネが暮らした隠れ家の薄暗さと、みか子が暮らす京都の町屋の薄暗さとのリンク。
 過去の史実と今の現実をつなぎ合わせながら、さまざまな問題を投げかけてくるのである。例えば、人種、肌の色、性的嗜好など大した違いではないにもかかわらず人間を分類し、それはやがて排斥へとつながっていくという問題。そして、生き延びるために本当の自分ではない他者、つまり、オランダ人になりたいと思うしかなかったアンネの精神的格闘から見えてくるアイデンティティーの問題についても最後まで激しく問いかけてくる。
 さまざまな譬喩的な仕掛けが複雑に絡み合っていて、ともすればその骨格部分が見えにくいのだが、その巧みな技工や表現したいことに対する執拗なほどの熱量は、不思議と胸を打つ。
 黒井千次は、

構えの大きさとその中で話を展開しようとする姿勢に好意を抱いた。(中略)『アンネの日記』の芯にあるものを取り出し、日本人の登場人物達の正面に据えるのは容易な仕事ではない。(中略)意図がすべてうまく実現しているとは限らず、不足の部分も残りはするが、しかしこの構築の試みには剛直とでも呼べそうな力がこもっている

と評価。
 池澤夏樹は、

かくも重い主題をかくも軽い枠に盛り込んだ作者の技倆は尋常ではない

と絶賛。
 石原慎太郎は、

所詮ただ技巧的人工的な作品でしかない。こんな作品を読んで一体誰が、己の人生に反映して、いかなる感動を覚えるものだろうか。アクチュアルなものはどこにも無い

と否定。
 宮本輝は、

私は『乙女の密告』を巧みに戯画化されたユーモア小説として読んだが、多分にデフォルメされているのであろう女子大生たちやドイツ人教授が展開する一種のドタバタと、アンネ・フランクという実在した十四歳の少女とをリンクさせる手法を支持できなかった

と述べている。
 赤染晶子は、残念ながら受賞7年後の2017年に急性肺炎で逝去しており、その才能がそれ以降に作品を出すことはなくなった。
 小説の技巧の可能性を知りたい人、難解な作品を分解してみたい人には、ぜひお薦めしたい作品である。

「芥川賞を読む」:
第1回『ネコババのいる町で』 第2回『表層生活』  第3回『村の名前』 第4回『妊娠カレンダー』 第5回『自動起床装置』 第6回『背負い水』 第7回『至高聖所(アバトーン)』 第8回『運転士』 第9回『犬婿入り』 第10回『寂寥郊野』 第11回『石の来歴』 第12回『タイムスリップ・コンビナート』 第13回『おでるでく』 第14回『この人の閾(いき)』 第15回『豚の報い』 第16回 『蛇を踏む』 第17回『家族シネマ』 第18回『海峡の光』 第19回『水滴』 第20回『ゲルマニウムの夜』 第21回『ブエノスアイレス午前零時』 第22回『日蝕』 第23回『蔭の棲みか』 第24回『夏の約束』 第25回『きれぎれ』 第26回『花腐し』 第27回『聖水』 第28回『熊の敷石』 第29回『中陰の花』 第30回『猛スピードで母は』 第31回『パーク・ライフ』 第32回『しょっぱいドライブ』 第33回『ハリガネムシ』 第34回『蛇にピアス』 第35回『蹴りたい背中』 第36回『介護入門』 第37回『グランドフィナーレ』 第38回 『土の中の子供』 第39回『沖で待つ』 第40回『八月の路上に捨てる』 第41回『ひとり日和』 第42回『アサッテの人』 第43回『乳と卵』 第44回『時が滲む朝』 第45回『ポトスライムの舟』 第46回『終の住処』 第47回『乙女の密告』 第48回『苦役列車』


みずかみ・しゅういち●文筆家。別のペンネームで新聞社系の文学賞を受賞(後に単行本化)。現在、ライターとして、月刊誌などにも記事を執筆中。