『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第76回 正修止観章㊱

[3]「2. 広く解す」㉞

(9)十乗観法を明かす㉓

 ⑥破法遍(4)

 (4)従仮入空の破法遍③

 今回は、十乗観法の第四「破法遍」の続きである。破法遍の段落のうち、これまでに「広く破法遍を明かす」のなかの「竪の破法遍」・「従仮入空の破法遍」・「見仮従り空に入る観」について紹介した。「従仮入空」の「仮」には、見仮と思仮の二種があるので、「従仮入空の破法遍」の段は、「見仮従り空に入る観」、「思仮を体して空に入る」、「四門の料簡」の三段に分かれている。
 「見仮従り空に入る観」の段は、「見仮を明かす」と「空観を明かす」の二段に分かれており、前回までに、「見仮を明かす」段を説明したので、今回は、「空観を明かす」段以下について紹介する。

 ④空観(1)

 空観は、従仮入空観の省略的表現である。「空観を明かす」段は、「仮を破する観」、「得失を料簡す」、「見を破する位を明かす」の三段に分かれる。
 まず、「仮を破する観」では、単の四見(有見・無見・亦有亦無見・非有非無見)、複の四見、具足の四見、無言説(絶言)の四見を破ることが説かれている。『摩訶止観』では、はじめに単の四見のなかの有見を破ることについて詳細に説明している。有見は三仮(因成仮・相続仮・相待仮)を備えており、虛妄で実体がないことを述べたうえで、無明の本(根本)と諸見の末(枝末)がどちらも静寂であり、畢竟清浄であることを「止」といい、無明と法性が相即して虚空のようであると観察して、畢竟清浄であることを「従仮入空観」というと述べている。
 利根の信行・法行の者はすぐに空を理解することができるが、鈍根の信行・法行の者は、ただ聞いたり思索したりして悟らないだけでなく、あらためて多くの過失を増大させるので、単・複・具足・無言説(絶言)の見を詳細に破らなければならない。破るための方法としては、共通に龍樹の『中論』の自生・他生・共生・無因生の四句が成立せず不生であることを指摘することによって、仮を破ってすべて清らかにすると述べられている。
 その後、このような方法を用いて、自生・他生・共生・無因生の四句が不生であることを指摘することについて、かなり詳細な説明があるが、ここでは省略する。さらに、因成仮・相続仮・相待仮のそれぞれについても、自生・他生・共生・無因生の四句が不生であることを述べている。因成仮については、『大品般若経』に出る十八空を示して、十八種の従仮入空観と表現している。
 『摩訶止観』では、単の四見のうち、有見を破った後に、無見、亦有亦無見、非有非無見それぞれの三仮を破ることに説き及ぶが、説明は省略する。
 複の四見、具足の四見の三仮を破ることについてはほぼ省略されており、無言説(絶言)の四見の三仮を破ることについて詳しく説かれている。ここでは、絶言についての論述を紹介する。はじめに、絶言といっても多種あることを、次のように指摘している。

 若し絶言ならば、絶言は甚だ多し。是れ何等の絶言ぞや。単の四句の外なるも亦た絶言と称す。複の外、具の外なるも亦た絶言と称す。婆羅門の唖法(あほう)を受くる者の如きは、亦た是れ絶言なり。又た、長爪(ちょうそう)の一切法不受も亦た是れ絶言なり。犢子(とくし)の云わく、「世諦に我有り。我は不可説蔵の中に在り」と。不可説も亦た是れ絶言なり。三蔵の実に入り真を証するに、亦た不可説なり。故に身子の云わく、「吾れは、解脱の中に言説有ること無しと聞く」と。三蔵の解脱に、凡そ四門の入実有り。即ち四種の不可説有り。通教の三乗の人は、同じく無言説の道を以て、煩悩を断ずるに、亦た四門の不可説有り。別教の人は、常住の理に言無く説無しと観ずるに、亦た四門の不可説有り。円教は宣示す可からず。浄名は口を杜(と)じ、文殊は之れを印す。此れに亦た四門の不可説有り。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、710頁)

と。絶言が多いことの実例として、単の四句の外、複の四句の外、具足の四句の外であるものをすべて絶言と呼ぶと述べている。さらに、婆羅門で唖法(無言を守る修行方法)を受ける者の場合も絶言であり、長爪梵志が一切の法について受けないことも絶言であると指摘している。これは長爪梵志がすべての見解を受けないと主張するが、それが自己矛盾に陥ることを釈尊に批判される故事に基づいている。
 犢子部は、「世諦には我があり、我は不可説蔵のなかにある」と主張するが、この不可説も絶言であるといわれる。犢子部は、紀元前三世紀頃に上座部から分裂した部派で、五蘊(五陰、五衆)と同一でもなく相違するのでもない我(非即非離蘊我。pudgala)を立てたといわれる。
 さらに、三蔵教が実に入り真を証得することも不可説であるといわれ、三蔵の解脱に、全部で四つの門から実に入ることがあるので、四種の不可説があるといわれる。同様に通教の声聞・縁覚・菩薩の三乗の人が、ともに無言説の道によって、煩悩を断ち切る場合も四門の不可説があり、同様に別教の人が常住の理に言もなく説もないと観察する場合も四門の不可説があり、同様に円教は述べ示すことができない場合も四門の不可説があるとされる。
 このように多数の絶言があるので、絶言の見に執著する者は、上に述べたなかの、どの絶言を採用するのかと問い詰め、犢子部の絶言にも及ばないのではないかと批判している。(この項、つづく)

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かんの・ひろし●1952年、福島県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学、東京大学)。創価大学大学院教授、公益財団法人東洋哲学研究所副所長。専門は仏教学、中国仏教思想。主な著書に『中国法華思想の研究』(春秋社)、『法華経入門』(岩波書店)、『南北朝・隋代の中国仏教思想研究』(大蔵出版)、『中国仏教の経典解釈と思想研究』(法藏館)など。