死のジレンマとは
著者はなかなかユニークな経歴の持ち主だ。救急車で人命救助の現場に向かう救命救急士だったが、職場の上司の勧めに従って医学大学へ通いER(救急室、救急外来)の医師となった。現在は、ICU(集中治療室)の医師であり、またジャーナリストでもある。
本書は、これまで著者が悩んできた問題を解決するまでの過程を、医学の専門知識のない読者が理解できる文章で綴ったものである。多くの専門家へのインタヴューで構成されている。
死のジレンマとは私たち医者が、いずれは必ず訪れる死を短期的に阻もうとしてテクノロジーを見境なく使った結果であると同時に、医療行為や死のプロセスから人間性を奪ってきたテクノロジーへの依存に対処し損ねたことにも起因している面がある。(本書80ページ)
著者の心を悩ませてきた問題とは、本書で「死のジレンマ」「グレーゾーン」と言われているものだ。
近年、科学技術が急速に発展した。その影響は当然ながら医療の現場にも及んだ。最も大きな変化が訪れたのは、人工呼吸器が開発された1950年代であるという。それ以降、止まった心臓を電気ショックで再び動かすAED(自動体外式除細動機)やコロナ禍の際に話題に上ったECMO(体外式膜型人工肺)の登場などにより、救命救急医療は格段の進歩を遂げた。
そうした進歩は人間の「死の規準」を大きく変化させた。以前は、瞳孔の拡大と呼吸の停止、脈拍の停止が死であるとされてきた。しかし、そうした状態にある人でも蘇生可能になったことから、脳死こそが死であると考えられるようになった。
著者の悩みもここから生まれた。事故や突発的な発作によって病院に運び込まれる人たちの一部は、回復の見込みがないにも拘らず、医療機器に繋がれ、かろうじて生きている状態にある。それこそが「死のジレンマ」「グレーゾーン」と呼ぶ状態である。こうした患者たちは、場合によっては十分なケアを受けることのない劣悪な状態に置かれ、数年を経ず亡くなってしまう。意思表示ができない状態とはいえ、さまざまな医療機器に繋がれることは、患者に大きな苦痛を与える。こうした状態におくことが倫理的に適切なのだろうか。回復の見込みがないのであれば、むしろ苦痛を和らげる緩和療法に切り替えるべきではないのか。著者は深く悩んだ。
死から目を背ける現代人
テクノロジー、蘇生賛美、死の否認が組み合わさると、真実からは程遠いバラ色の評価が生まれる。先が見えないまま苦しみ、続行するデメリットを検討する機会も与えられない、ぬか喜びとなるのだ。(本書164ページ)
問題の原因を探るにあたり、はじめ著者は科学技術の急速な発達に問題があると考えていた。しかし専門家への取材を重ね思索を深めていくうちに、問題はむしろ現代人の死に対する考えにあると気づく。
約200年前まで、多くの人は自宅で死を迎えた。死は日常的な出来事の1つであった。また死を目の当たりにした周囲の人たちは、その姿から「死とは何か」を学んでいた。しかし医療が発達すると大半の人は病院で死を迎えるようになり、死は日常的光景から徐々に遠ざけられ、現代人は、あたかも死という出来事が無いかのように考え、振る舞うようになった。
患者の家族や医師もこうした考え方に深く捉われてしまっているので、蘇生処置さえ成功すれば万事順調に進むと勘違いし、容体や本人の意思を無視して、患者をより苦しい状態に追い込んでしまうのである。
人生の目的を明確にする必要性
必ず死ぬという運命は、人間が持つ最も普遍的な特性と言えるだろうが、私たちはこの運命を認めるだけでなく積極的に受け入れて、なおかつ生かさなければならない。死後の世界に対する信念によってであれ、肉体にある生化学物質が自然に還るという信念によってであれ、死は終わりではなく、必ず通る通過点としてとらえることは可能なのだ。(本書317~318ページ)
著者は、望まない「グレーゾーン」に落ち込まないためにも、私たちが常日頃から死を念頭に置いて生きることの必要性を説く。救命救急に運び込まれる患者の多くは、自分がある日突然、生死の淵に立たされると考えている人は少ない。それだけに日頃から、延命治療を望むか望まないか、臓器移植を希望するかしないか、周囲の人に伝えることが重要であるという。また自分ひとりで考え込まずに、友人や家族との対話を通じて、自分が納得できる答えを見いだしていくことを勧めている
患者の苦痛を軽減する医師の立場から、著者は安楽死に対してどちらかといえば賛成である。また失われていく命を有効に活用するという観点から、脳死患者からの臓器移植にも肯定的だ。この点は読者の意見が分かれるであろう。だが、医療の現場から、現代人の生死観の問題点に迫った議論はじつに有益である。
日々の出来事を追い、気ままな人生を送るなかに楽しい人生はない。生死観を深め、明確な目標を見出したときに、本当の人生の充実も楽しみも生まれてくるのだ。「死を見つめよ」という著者のメッセージは、決して悲壮感に満ちた受動的なものではない。積極的に人生を楽しみ満喫するためのものなのだ。
『中断される死 現代医療はいかに死に方を複雑にしているか』
(ブレア・ビガム著、中川泉訳/青土社/2024年3月7日刊)
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