20世紀の後半になって、アメリカでヒップホップというストリート文化が誕生した。「DJ、ラップ・ミュージック、グラフィティ・アート、ブレイクダンス」をいう。黒人奴隷たちの労働歌や霊歌がジャズへ進化したように、ヒップホップも貧しい黒人たちのあいだから始まった。
伝説によると、クール・ハークが、1973年8月11日に妹の誕生パーティーで、ターンテーブルを使って、レコードをリミックスし、ブレイクビーツを響かせたのが起源らしい。
もともとジャズと同じようにマイノリティによる、なけなしの自己表現だった。貧しいもの、持たざるもの、社会のなかで阻害されているものたちの表現は、工夫に満ちていて、身ひとつあれば誰もができる。ヒップホップは、いまや世界で広く、共有される文化となった。
小説家の僕からしてみると、言葉を使うラップがいちばん身近だ。ただし、ステージでやったことはない。少年のころは、ロックバンドのボーカルだったり、フォークデュオを組んだりしていて、人前で音楽をやっていたから、もっと若ければラップもありだったかもしれない。
ラップは誕生の在り方からして、反抗の匂いがする。貧しい黒人たちが集まって、どうだとばかりにターンテーブルを回し、貶められた彼らの境遇を巧みなリリックで訴える。かなりまえからこれは新しい抵抗詩だとおもっていた。
すると、『辺境のラッパーたち』という表題の本と出合った。買うしかない。読むしかない。そして、とても刺激的でおもしろかった。
取り上げられるのは、パレスチナ、ウクライナ、チベット、イラン、キューバ、サハ、モンゴルなど、文字通りの、辺境のラッパーたちである。ロシア、中国、インドなど、大国のラッパーたちも登場するが、みな反体制派だから、マイノリティであることに変わりはない。
けっこう大部の本なので、パレスチナのラッパーに注目したい。いまも続いているイスラエル・パレスチナ紛争のさなか、瓦礫を背にして少年のラッパーが歌っている。
パレスチナは占領されてる何十年も
ここは僕らのホームだった何百年も
この土地は世代を超え
僕の家族みんなの記憶
映像はSNSを通じて世界で視聴されている。少年は2008年生まれのMCアブドゥル。9歳でラップを始めた。「パレスチナ」というこの曲は、2021年に投稿されたものだが、いままた注目を集めている。
パレスチナのラップの先駆者は、イスラエルのアラブ人地区に住む若者3人が結成したDAMだ。彼らは2000年にパレスチナでインティファーダが広がったのをきっかけにして、イスラエルの政府を批判するアラビア語ラップを歌うようになる。
誰がテロリストだ? 俺がテロリスト? 自分の国に住んでるだけだぜ
誰がテロリストだ? お前がテロリストだ。俺は自分の国に住んでるだけだぜ
DAMの活動に後押しされて、2002年にガザで初めてラップ・グループPRが結成された。彼らは人気を集めたが、メンバーは世界に散らばってゆき、ガザに残っているオリジナルメンバーはアイマンだけになった。
彼は故郷に残ることが自身のラップを強くすると考えたようだ。ラップの学校をつくったり、ガザと西岸のラッパーを集めてコンテストを開いたり、精力的に活動してガザのヒップホップ界隈を盛り上げている。
ガザだけでなく、アラブ諸国のラッパーたちは、エミネムなど英語のラップの模倣から始まるのだが、やがてアラビア語ラップにゆきつく。そして、地元のアラビア語方言を基調にして、伝統音楽を欧米のヒップホップと融合させる試みも行う。
あくまでも基調には、彼ら自身の文化がある。それがオリジナリティになるのだ。
辺境のラッパーたちは、それぞれが同じような試みをしている。グローバリゼーションという名の米国化に抗いつつ、それを受け入れ、固有の伝統や文化を失わない――これが、現在のラップの立ち位置なのだ。
あー、なんと、刺激的なことだろうか。僕の小説もそうありたい。
おすすめの本:
『辺境のラッパーたち 立ち上がる「声」の民族誌』(島村一平著/青土社)