第九初演200周年 ベートーヴェンと「歓喜の歌」展 《見どころ紹介》

創価大学文学部教授
伊藤貴雄

 本年(2024年)はドイツの作曲家ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」、通称「第九」の初演から200周年に当たる。これを記念して、東京・八王子市の創価大学では「ベートーヴェンと『歓喜の歌』展」が開催されている(同大の中央教育棟1階にて、12月27日まで)。
 展示では、同大が所蔵するベートーヴェン直筆書簡(複製)など、数々の貴重な資料を公開している。
 11月1日に行われた開幕式には、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団元コンサートマスターのライナー・キュッヒル氏、ベートーヴェン研究の大家であるチューリヒ大学教授のハンス=ヨアヒム・ヒンリヒセン氏など、各界から祝辞が寄せられた。
 本展を監修した立場から、見どころをいくつか紹介する。

見どころ① ベートーヴェン直筆書簡

 一番の目玉は、何といってもベートーヴェンの直筆書簡である。
 ベートーヴェンは悪筆で知られるだけあって、たしかに判読困難である。しかし字の勢いは、あふれんばかりの力を湛えている。紙の両面に書かれているので、裏の文字もにじんで見える。展示ケースのうしろに回ると、裏面の文字も見えるように設置されている。全文の日本語訳も付けてある。
 書簡は、1815年9月、ベートーヴェン44歳のときに書かれた。支援者であったエルデッディ伯爵夫人の子どもの家庭教師ブラウフルに宛てたものである。ドイツ語原文はドイツで発刊された『ベートーヴェン書簡全集』第3巻(ヘンレ社、1996年)にも収録されている(書簡番号835)。
 この書簡は3つの点で貴重である。
 第一に、難聴の深刻さが述べられている。ベートーヴェンは当時、それまで抱えていた難聴が本格的に悪化し、日常生活に支障をきたすほどになっていた。書簡では、他人とのコミュニケーションが苦痛であることが赤裸々に告白されている。
 第二に、にもかかわらずベートーヴェンは、書簡の後半で、ユーモアあふれるたくましい精神を見せている。食欲のない友人のチェリストのために、パンケーキをチェロの形で焼いてやるといいと言ったり、駄洒落を飛ばしたりしている。人間ベートーヴェンの意外な一面を教えてくれる。
 第三に、新しい2曲のチェロ・ソナタの完成を報告し、ブラウフルたちに届けたいと述べている。これはベートーヴェン後期の傑作であるチェロ・ソナタ第4番、第5番のことを指す。名曲誕生の背景にある人間関係を示すドキュメントと言える。
 ちなみに、この手紙と同時期、ベートーヴェンはエルデッディ伯爵夫人に宛てて、有名な「苦悩を突き抜けて歓喜へ」(Durch Leiden Freude)という言葉の入った手紙を書いた(1815年9月19日)。交響曲第九番の、今日確認される限り最初の楽想スケッチに着手したのもこの頃である。

見どころ② 「歓喜に寄す」の初出誌『ターリア』

 交響曲第九番で一番有名なのは、第四楽章の「歓喜の歌」だろう。「歓喜よ、神々の美しい火花よ、/楽園の娘よ、/われらは炎の陶酔のなか、/天なるものよ、汝の神殿に踏み入る」(田中亮平・伊藤貴雄共訳)。
 歌詞はドイツの詩人シラーの「歓喜に寄す」(An die Freude)に基づく。この詩は1786年、シラー26歳のとき、彼が編集する季刊誌『ターリア』第2号に発表された。同誌は翌年、第4号までを合本して刊行された。
 展示では、創価大学が所蔵するこの合本初版(ゲオルグ・ゲッシェン社、1787年)を見ることができる。若きベートーヴェンが手にした可能性が高い版である。「歓喜に寄す」全9節108行の日本語訳も付けてある。
 ベートーヴェンが「歓喜に寄す」を知ったのは1790年頃、二十歳前後のことであったと推測される。当時ベートーヴェンは、ボン国民劇場の楽団員として働きながら、ボン大学の聴講もしていた。同大学は高等学校卒ではない市民にも門戸を開くという、先進的な取り組みをしていた。
 ここでベートーヴェンは、シラーを敬愛する教授たちと出会った。そして最先端の啓蒙思想に感化された。ベートーヴェンと親しかったフィッシェニヒ教授の証言によれば、ベートーヴェンは1792~93年(21~22歳)頃、「歓喜に寄す」の全節に作曲することを企てていたという。
 なお、このときベートーヴェンが読んだ「歓喜に寄す」は、今日一般に知られているものとは歌詞が若干異なる。シラーが後年この詩を改訂したからだ。交響曲第九番も基本的に改訂版を用いている。それゆえ、ベートーヴェンが最初にこの詩に触れたときの感激を知るには、初版を読まなければならない。

見どころ③ 激動の時代を立体的に再現

 展示品には、ベートーヴェンが生きた時代を立体的に知るための資料も多く含まれている。彼がボン大学で聴講し、シラーに傾倒したのは、ちょうど革命でヨーロッパが揺れた激動の時代だった。
 ベートーヴェンを抜擢してウィーンに留学させたボンの君主マクシミリアン・フランツは、フランス王妃マリー・アントワネットの弟だった。しかし、フランス革命が起きて、マリー・アントワネットとその夫ルイ16世は処刑された。処刑した側の政治家ロベスピエールもやがて失脚して断頭台に送られた。動乱を押さえて最終的にフランスのリーダーとなったのがナポレオンだった。
 ベートーヴェンは君主の支援を受けていたが、革命側の「自由・平等・博愛」という理念にも共感していた。交響曲第三番「英雄」ははじめナポレオンに捧げる予定だったが、その皇帝就任を知って献呈を取り下げたとも伝えられる(この逸話の真偽については諸説あるが)。
 地上の王国よりも精神の王国を尊ぶ点で、ベートーヴェンは啓蒙思想の申し子だった。なかでも時代を代表する哲学者のカントには、深い敬意を抱いていたようである。ベートーヴェンは晩年の筆談帳にこう記している。「我らが内なる道徳法則と我らが上なる星輝く空。カント!!!」。
 展示では、創価大学と東京富士美術館が所蔵するルイ16世、マリー・アントワネット、ロベスピエール、ナポレオンの自筆文書(複製)を公開している。また、「英雄」自筆譜復刻版(民音音楽博物館蔵)からは、表紙のナポレオン宛献辞がかき消された様子をうかがうことができる。カントの初版本や自筆文書も並んでいる。

見どころ④ 池田大作とベートーヴェン

 展示品の多くは、創価大学の創立者池田大作先生(以下、池田)の著作に感銘を受けた海外の方からの寄贈であるという。池田は若き日からレコードが擦り切れるほどベートーヴェンを聴いたと述べている。
 事実、池田19歳のときの個人的な読書ノート(1947年)には、フランスの文豪ロマン・ロランの『ベートオヹン』の冒頭部分が書き写されている。展示ではその筆写ページ(複製)が初公開されている。それは次のような文章である。

大気はわれらの周囲に重苦しい。老いたるヨーロッパは鈍重な汚れた雰囲気の中に麻痺している。〔略〕世界は窒息している。――窓を開け放とう。自由な空気を入らしめようではないか。英雄の息ぶきを呼吸しようではないか

 この言葉が筆写されたのは、日本の敗戦から2年後。池田にとって生涯の師となる戸田城聖(創価学会第二代会長)と出会って、ひと月ほど経った時期である。
 当時池田は、肺を病み、家の生計を支えるために働きながらも、地元・大森の青年読書サークルに入り、知識を旺盛に吸収していた。この抜粋からは、戦後の困難な時代を強く生き抜こうとする決意がうかがえる。
 展示では、池田が読んだのと同じ高田博厚訳『ベートオヹン』(叢文閣)を、筆写ページを開いて併置してある。訳者の高田は、石川県能登半島の七尾出身、フランスで修業した有名な彫刻家である。ロランとも交流し、ロランとガンジーとの対話の場に居合わせたことでも知られる。
 高田訳は、現在刊行されているロランのベートーヴェン伝(片山敏彦訳、岩波文庫)よりも早い時期に訳された。有名な末尾の「Durch Leiden Freude」という言葉は、片山訳では「苦悩を突き抜けて歓喜へ到れ」であるが、高田訳では「悩みを通じての歓喜」となっている。
 文法的にはいずれの訳も可能だが、高田訳では苦悩と歓喜との一体感がより強く出ている。たしかに、ロランがベートーヴェン論で述べている歓びも、悩みが消え去ることではない。悩みによって鍛えられたぶん、歓びもまた大きいということである。苦悩によって歓喜へ。苦悩とともに歓喜へ。高田訳にはそうしたニュアンスが濃い。

AI時代を生き抜く創造性

 交響曲第九番は、シラーの詩に曲をつけるという企図を、30年以上かけてベートーヴェンが実現したライフワークである。
 ベートーヴェンはシラー文学やカント哲学を、ボン大学の教員や学友との語らいを通して学習した。働きながらも大学を聴講したいという学びの熱量が、その後のベートーヴェンの人生を支え、ライフワークとして結実した。
 池田も働きながら読書サークルに属し、ロランをはじめとする作家、思想家の文章をノートに書き溜めた。後年、創価大学等の教育機関、民主音楽協会、東京富士美術館等の文化機関を設立したのも、このときの知的土台があってのことである。
 与えられる学びではなく、自らアンテナを張って貪欲に吸収する学び。この点で、時代と場所とを越えて、ベートーヴェンと池田の若き日が重なり合う。
 現在、テクノロジーの進展とは裏腹にフェイクニュースが溢れ、真と偽とを見分けることが困難な時代を迎えている。人の作った情報を受け取るだけではなく、自分で情報網を張り巡らせ、思考の座標軸を引き、自分の価値観を鍛え上げていく。そうしたアクティヴ・ラーナー(能動的学習者)としての生き方が求められている。
 AI時代を生き抜く創造性をどう育むか。ベートーヴェンと池田の生き方は、私たちにそのヒントを与えてくれるはずだ。「ベートーヴェンと『歓喜の歌』展」は、先人のたちの知恵と経験に学ぶ絶好の機会となるだろう。

「ベートーヴェンと『歓喜の歌』展」(創価大学公式ホームページ)

【開催概要】
「第九」初演200周年記念 ベートーヴェンと「歓喜の歌」展


開催期日:
 2024年11月1日(金)
  ~12月27日(金)
開催時間: 9時~18時

 ※11月23日(土)は終日、展示鑑賞ができませんのでご注意ください。

開催場所:
 創価大学(東京都八王子市)
  中央教育棟1階エントランスホール

 ※入場料無料 、どなたでも鑑賞可

・主催:創価大学《制作=池田大作記念創価教育研究所》
・協力:東京富士美術館/民音音楽博物館
・後援:駐日ドイツ大使館、八王子市教育委員会

【主な展示品】
・「ベートーヴェン直筆書簡」 1815年9月(本学貴重資料)
・ベートーヴェン自筆譜復刻版(ピアノ・ソナタ第14番「月光」、交響曲第3番「英雄」、第5番「運命」、第9番「合唱つき」)
・シラー編集誌 『ターリア』 1787-91年 初版本(「歓喜に寄せて」初出誌)
・カント、シラー、ゲーテ、ナポレオン等、楽聖とゆかりの深い人物の直筆書簡
・創立者 若き日の「雑記帳」 1947年頃(ロラン著『ベートーヴェン』への言及)、ロランの署名入り 『ベートーヴェン研究』 など

【展示構成】
・第1楽章 「革命の時代」 ベートーヴェンの生涯①1770-1792
・第2楽章 「巨匠への道」 ベートーヴェンの生涯②1793-1815
・第3楽章 「第九交響曲」 ベートーヴェンの生涯③1816-1827
・第4楽章 「創立者池田大作先生とベートーヴェン」

【問い合わせ先】
池田大作記念創価教育研究所 KIZOU-sokyoken@soka.ac.jp


いとう・たかお●創価大学文学部教授・東洋哲学研究所研究員。創価大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(人文学)。ドイツ・マインツ大学ショーペンハウアー研究所客員研究員などを経て、現職。哲学・思想史専攻。主な著書に『ショーペンハウアー 兵役拒否の哲学』(晃洋書房)、『ヒューマニティーズの復興をめざして』(勁草書房、共著)、『シュリーマンと八王子──「シルクのまち」に魅せられて』(第三文明社)、共訳に『ゲーテ゠シラー往復書簡集』(潮出版社)、『ヘルマン・ヘッセ全集4 車輪の下・物語集Ⅱ』(臨川書店)など。