書評『ハヤブサを盗んだ男』――世界的な野鳥の闇市場その実態に迫る

ライター
小林芳雄

鷹狩の歴史と文化

 著者のジョシュア・ハマーは、『アルカイダから古文書を守った図書館員』などで知られるジャーナリストである。本書は、イギリスの野生生物犯罪専門の捜査官アンディ・マクウィリアムと五大陸を股にかけたな猛禽類の密猟者ジェフリー・レンドラムの2人を中心にとりあげ、世界的な野鳥の闇市場の実態に迫ったノンフィクションである。
 2017年のとある日、何気なく目にした「ハヤブサの卵泥棒」の記事に好奇心をいだいたことから、著者は野鳥の闇市場に興味をもち、関係人物に取材を始める。
 取材を通じて明らかになったのは、闇市場の規模は特定の愛好家を対象とした小さなものではなく、巨額の金銭が飛び交う、世界的なネットワークを形成していたということである。

 国境を越えて多額の金銭が飛びかう世界には、当然ながら闇がある。猛禽類のブラックマーケットが膨張することになるのだ。飼育下繁殖の鳥よりも、野生状態で捕獲された鳥のほうが強いと妄信するコレクターと、カネになるなら法を犯すこともいとわない輩が闇市場を支える。(本書57ページ)

 野生生物の闇市場でハヤブサは高い値段で取り引きされており、そのなかでも特にシロハヤブサには27万ドルから40万ドルという高値がつけられるという。そうした闇取引の多くは中東で行われている。
 猛禽類を使う狩猟、鷹狩の起源は人類の歴史とともに古い。かつては日本でも行われており、「三鷹」や「鷹の台」といった鷹狩に由来する地名は数多く存在する。
 だが、近代化が進むにつれて、世界のほとんどの地域で鷹狩は姿を消していった。しかしアラブ諸国では、今日まで王族の娯楽としてこの伝統が継承されてきた。そこで最も珍重される猛禽類がハヤブサだった。
 獲物となる鳥が乱獲で減り始めると、今度は国民的娯楽としてハヤブサのレースが行われるようになった。ドバイには人間の病院をしのぐ設備を備えたハヤブサ専門の病院すらあるという。こうした文化的背景が、ハヤブサを始めとする猛禽類の巨大な闇市場が形成される大きな要因となった。

野生のハヤブサはなぜ希少になったのか

2006年、ウラジオストクの世界自然保護基金の事務所が、ロシアのセーカーハヤブサの個体数が、20年の間に6万組から2000組へと、「壊滅的に減少」したと報告している。(本書185ページ)

 ハヤブサが希少生物になった主な原因は人間にある。
 決定的に個体数が減ったのは、人間が害虫を駆除するために農薬のDDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)を使用したことにある。薬に含まれていた成分が体内に残留し、卵の殻が弱くなってしまい、母鳥が抱卵できず、ひな鳥が育たなくなってしまった。
 また2度の世界大戦中は、現在のように通信技術が発達していなかったので、軍の連絡手段として伝書バトが使われていた。各国はハトの天敵であるハヤブサ駆除に取り組んだ。
 1970年代、環境保護を求める声が高まりをみせると、絶滅の危機にあったハヤブサの取り引きは、厳しく取り締まれるようになる。しかしベルリンの壁が崩壊し、旧ソ連圏の国々が政治的に不安定になると、それらの地域で大規模な密猟が行われるようになった。
 ハヤブサは人間が絶滅寸前まで追いやったことにより希少生物となり、愛好家の間で価値が高まり、密猟の対象になった。こうした悪循環は今日まで続いている。

人間の心の歪みが環境を破壊する

とはいえ、ほとんどのコレクターを駆り立てていたのは、あるヴィクトリア朝の評者の言葉を借りれば、単に「美しいものを求める情熱、珍しいものを求める欲望」だったのだ。(本書123ページ)

 本書は、闇市場にかかわる人物への徹底的な取材だけではなく、過去に活躍した生物学者や博物学者の著作を渉猟し、人間の心の闇に鋭くメスを入れている。
 また、ハヤブサの密猟だけでなく、野鳥の卵を収集し標本にする人や、動物の頭蓋骨を専門のコレクターについても詳しくとりあげている。
 彼らの共通点は、他の人が持っていない希少な生物を手にいれたい、スリルに満ち溢れた冒険を経験したいなど、珍しいものを求める心が強い点にある。
 環境問題というと化石燃料や二酸化炭素など、温暖化問題や社会のあり方に焦点が当てられがちだ。しかし珍しいものを愛好するという個人の心も、暴走すると自然破壊の原因となる。ひとたび失われた生態系は決して元に戻ることはない。
 人間のわずかな心の歪みから環境問題は生まれる。本書はその恐ろしさを克明に描いていている。

『ハヤブサを盗んだ男――野鳥闇取引に隠されたドラマ』
(ジョシュア・ハマー著/屋代通子訳/紀伊国屋書店/2024年7月11日刊)


こばやし・よしお●1975年生まれ、東京都出身。機関紙作成、ポータルサイト等での勤務を経て、現在はライター。趣味はスポーツ観戦。