小学生のころだったか、『時には母のない子のように』という歌が流行った。哀愁を帯びたメロディーと歌詞が好きで、よく口ずさんだ覚えがある。作詞をしたのが寺山修司だと知ったのは、小説家としてデビューしてからだった。
僕が小説家の仮免許を取ったのは29歳のときだ。それから四苦八苦しながら小説を書き続けてきたが、無からの創造は大変でしょう、と言われることがある。けれど、それはない。
小説家は誰しも、先行作家の小説を読んで、自分の小説を書き始める。日本でふたりめのノーベル文学賞をもらった大江健三郎はサルトルの影響を受けたといっているし、僕の好きな小説家の中上健次は、大江健三郎の影響から逃れるために苦心をした。
新しいアイデアとは、すでにあるアイデアの新しい組み合わせ、という。新しい小説も同じだ。先行作家の小説を別の先行作家の小説と組み合わせて、よく咀嚼して血肉として、そこに自分らしさを加える。そうすることで新しい小説は誕生する。
永井荷風が、小説家は、思索と読書の二つを実践しなければ、詩嚢がすぐに涸れるといっている。どのような小説を読むか、それをどれだけ深く摂取できるか――これは小説を書き続ける秘訣のひとつだろう。
僕は、自分を更新するために、いつも参考になる詩人や小説家を探している。そのうちのひとりが寺山修司だった。彼が生きているうちは、それほど読まなかった。僕はフランス文学のヌーボーロマンに熱中していたので、日本の現代作家には関心が向かなかった。
けれど、前衛が制度化して、おもしろくなくなってきたとき、日本の作家たちを読むようになった。寺山は刺激的だった。彼も前衛的な演劇や映像作品、ラジオドラマなどをつくっていたが、ヌーボーロマンの無味乾燥な前衛性とは違った味わい深い前衛性があった。
なみだは
にんげんのつくることのできる
一ばん小さな
海です
(「一ばんみじかい抒情詩」)
こういう詩を読んで、僕は、核にある詩情を甘さと通俗さでくるんだ寺山の文学に影響を受けたいと思った。だが、それはなかなか難しかった。
書物のなかに海がある
心はいつも航海をゆるされる書物のなかに草原がある
心はいつも旅情をたしかめる書物のなかに町がある
心はいつも出会いを待っている人生はしばしば
書物の外ですばらしいひびきを
たてて
くずれるだろうだがもう一度
やり直すために
書物のなかの家路を帰る書物は
家なき子の家
(「あなたに」)
いまも僕は、ときどき寺山の詩や短篇小説を読む。なんとか、これを咀嚼して血肉に、と思う。でも、まだ、納得のゆく作品は書いていない。
オススメの本:
『寺山修司少女詩集』(寺山修司著/角川文庫)