池田先生の苦闘時代――嵐の日々と、師弟の「戸田大学」

ライター
青山樹人

次の価値創造の源泉となろう

 1969年5月に毎日新聞社から刊行された『私はこう思う』に、「私はこうして苦闘をのりきった」と題する池田大作先生の随筆がある。もともとはその2年前に雑誌に寄稿したものだ。

 嵐がこようが、怒涛が押し寄せようが、つねに汝自身が、厳然として光り輝いていればそれでよいのだ。私は、現在、幾多の苦難と闘っている若い人々に言いたい。今の苦難は、君たちの態度いかんで、君たちを飾る至宝にさえなるのだ、と。
(『池田大作全集』第18巻所収)

 一度や、二度の失敗でくじけることはまことに愚かだ。人生は、長い長い旅路である。(同)

 そして、その失敗の原因を、冷静に判断していく心のゆとり、それがつぎの価値創造の源泉となろう。(同)

 仏法に巡りあってからの先生にとって最初の「苦闘」。その烈風が吹きつけてきたのは、75年前の秋のことだった。

「若いんだ。青年なのだ」

 池田先生が恩師・戸田城聖先生の経営する出版社・日本正学館で働きはじめたのは、21歳になった翌日の1949年1月3日。5月には少年雑誌『冒険少年』(7月に『少年日本』に改題)の編集長を任される。
 若き編集長の熱意に応じて、山岡荘八、野村胡堂、西条八十らも寄稿してくれた。手塚治虫は上京前に手にしていた『冒険少年』を大切に保管し、後年、「僕はこの『冒険少年』に描いてみたいと思っていた」と語っている。

 だが、同じ1949年2月にGHQによって「ドッジ・ライン」が施行された。財政金融引き締め政策によって経済不況が進み、中小零細を直撃する。
 日本正学館の出版事業もたちまち行き詰まった。改題したばかりの『少年日本』であったが、早くも10月には休刊決定を余儀なくされる。編集長として奮闘していた池田先生は、どれほど無念であったかと思う。
 その最終刊が刷り上がってきたのは10月28日であった。この夜、先生は日記につづった。

『少年日本』最終刊印刷出来上がる。これが当社の最後の雑誌か。大した出来ばえに非ず。実に、残念だ。刷りといい、紙といい、惜しく思うのみ。

 五時半、ソバを食す。社を、やめようとする人のあるを感ずる。已むを得まい。
 私は、また、明日より、強い、明るい力を発揮して、頑張ろう。若いんだ。青年なのだ。
(「若き日の日記」1949年10月28日/『池田大作全集』第36巻)

「10年後、20年後を見よ」

 その後も、戸田先生の事業は社会の激流に翻弄されていく。1950年初頭になると、池田先生は戸田先生の事業を支えるため、通いはじめたばかりの夜学を断念せざるを得なかった。
 8月には、戸田先生の経営する会社が業務停止となる。影響が学会に及ばないよう、戸田先生は学会の理事長も辞任した。
 池田先生は肺結核を抱えた身体で、戸田先生を懸命に支えて東奔西走した。大森の小さなアパートで自活しながらの日々だった。

 秋になると、戸田先生を取り巻く状況はさらに厳しくなる。戸田先生に対する一部の批判の声に便乗し、創価学会の組織を分断して自分の講を結成する反逆者も現れた。
 師も弟子も苦闘の日々が続く。池田先生は日記に記した。

 笑う者よ、笑うがよし。謗る者よ、勝手に、謗るがよい。嘲る人よ、また、自由に嘲るもよかろう。

 仏法真実ならば、因果の理法もまた、厳しきことである。
 十年後の、学会を、吾れを、見よ。
 二十年後の、学会を、吾等を、見よ。
(「若き日の日記」1950年10月27日/同上)

 戸田先生に必ず学会の会長になっていただく――。この一念で、池田先生は孤軍奮闘を続けた。
 一切の難を打ち破って、戸田先生が第2代会長に就任するのは、翌年5月3日。さらに池田先生が第3代会長に就任するのは、この日記から「十年後」の1960年5月3日である。

最後は信心している者が勝つ

 この苦闘が続いた1950年秋から、戸田先生は池田先生を中心とした青年の代表に御書講義を開始した。年が明けると古今東西の名著を教材にするようになる。やがて、始業前の時間や日曜日の朝を使い、経済、法律、化学、天文学、漢文など万般にわたる個人教授は1957年まで続いた。
 その「戸田大学」への尽きせぬ感謝を、池田先生は折々に語ってきた。2007年11月、大阪の地でも、師弟の苦闘の日々に言及している。

 先生の事業が失敗した時には、夜学を断念して働き、負債を返済するために奔走した。
 戸田先生は私に、「君には恩がある」と、何度も言ってくださった。そして、学問を教えるため、特別に個人教授をしてくださった。
 その私が、今、世界中から知性の宝冠を拝受するまでになった。これが、師弟である。
 戸田先生は叫ばれた。
「広宣流布は、一生の戦いである。いな、永遠の戦いである。
 たとえ苦難の嵐があっても、断じて負けるな!
 嵐の中に、剣を高く掲げながら、時の到来とともに、戦いの雄叫びを上げて進むのだ」

(新時代第12回本部幹部会 第12回SGI総会「関西広布55周年記念」広布第2幕・第1回関西総会/2007年11月8日)

 池田先生には生前、世界各国の名門大学・学術機関から409の名誉学術称号が贈られている。
 最後の関西指導となったこの日のスピーチをしめくくり、先生はこう呼びかけた。

 ともあれ、関西の大発展と創価学会の大勝利のために、不滅の人材城を、我々の力で築いてまいりたい。
 仏法という永遠の次元で見るならば、目先のことで、一喜一憂する必要はまったくない。
 最後は信心している者が勝つ。学会が勝つに決まっているのである。
 この大確信で進んでいこう! 胸を張って!(同)

 
 
三代会長が開いた世界宗教への道(全5回):
 第1回 日蓮仏法の精神を受け継ぐ
 第2回 嵐のなかで世界への対話を開始
 第3回 第1次宗門事件の謀略
 第4回 法主が主導した第2次宗門事件
 第5回 世界宗教へと飛翔する創価学会

特集 世界はなぜ「池田大作」を評価するのか:
 第1回 逝去と創価学会の今後
 第2回 世界宗教の要件を整える
 第3回 民主主義に果たした役割
 第4回 「言葉の力」と開かれた精神
 第5回 ヨーロッパ社会からの信頼
 第6回 核廃絶へ世界世論の形成
 第7回 「創価一貫教育」の実現
 第8回 世界市民を育む美術館
 第9回 音楽芸術への比類なき貢献

「池田大作」を知るための書籍・20タイトル:
 20タイトル(上) まずは会長自身の著作から
 20タイトル(下) 対談集・評伝・そのほか

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あおやま・しげと●ライター。著書に『宗教はだれのものか』(2002年/鳳書院)、『新装改訂版 宗教はだれのものか』(2006年/鳳書院)、『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』(2015年/鳳書院)、『新版 宗教はだれのものか 三代会長が開いた世界宗教への道』(2022年/鳳書院)など。WEB第三文明にコラム執筆多数。