「人間・池田大作」を見つめてきた目
創価学会の第3代会長であり、創価学会インタナショナル(SGI)会長でもあった池田大作氏が逝去して、この11月15日に一周忌となる。
著者である池田博正氏は、1953年に池田会長の長男として生まれた。慶應義塾大学を卒業後、約10年間の高校教員生活を経て1989年から創価学会本部に勤務。総合未来本部長など、とりわけ創価学会の未来部(小中高校生世代)の育成に取り組んできた。
現在は、創価学会主任副会長、SGI副会長の要職にある。池田会長の子息という立場もあって、会長の生前から〝名代〟として名誉学術称号受章など、諸外国との重要行事に臨むことも多かった。また、会長が大切に友情をはぐくんできた要人たちのなかには、互いの家族ぐるみで親交を深めて相手も多い。
本書は、著者が未来部の機関紙に掲載したエッセーや、未来部向けの教学研修、海外諸行事での講演などをまとめたものとして、2009年10月に刊行された『随筆 正義の道』の新装改訂版である。
なお、著者の著作としては、同様に未来部の機関紙に掲載されたエッセーや、アメリカ創価大学でのスピーチなどを収めた『青春の道』(2003年発刊。08年に新装改訂版)がある。
私は、幼少の頃より、さまざまな父の姿を垣間見てきました。ある時は、大きな団体の最高責任者として、疲れを厭うことなく会員一人ひとりを徹して守り励ます姿であり、ある時は、大学から幼稚園にわたる教育機関の創立者として、慈父の如く生徒・学生を包容する姿であり、またある時は、作家・詩人として、時間を創り出しながら、執筆にいそしむ姿でありました。(本書に収録された「英語版『青春の道』に寄せて」)
創価学会に「世襲」はないし、池田会長も家族だからといって特別扱いさせることを排してきた。著者自身もきわめてフランクで控えめな性格であることは、多くの創価学会員たちが耳目にしているようだ。
一方で、ものごころついたときから「父親」としての池田会長をはじめ、もっとも身近で会長の姿に触れてきた1人であることは、まぎれもない事実である。世間一般でもそうだが、どんな偉人にも、むしろ立場と影響力が大きければ大きいほど、家族の前でしか見せない姿というものはあるだろう。
その意味でも、著者は公人としての池田会長はもとより、〝人間・池田大作〟をもっともよく知る人物である。
また、著者は創価学会員の両親のもとに生まれたという点で、「学会2世」の先駆的世代の1人でもある(母方の祖父母は戦前の入会なので厳密には3世代目になると述べている)。幼い頃に父親が創価学会の第3代会長に就任したとはいえ、そのことと個人の信仰の形成は別であろう。
本書に先んじて編まれた『青春の道』では、小学校5年生の時に初めて未来部の会合に参加した思い出が記されていた。その席で発表された指針に触れ、それが自分の父である池田会長によって示されたものであることすら知らず〈もし同じことを、直接親から言われても真剣に受け止めなかっただろう。しかし、学会の会合で幹部から聞くと、なぜかしっかり実践しなくてはと、決意するものである〉と綴っている。
著者が長年、創価学会の未来部担当の要職にあったのも、現在では「学会3世」「学会4世」が主流の次世代会員の気持ちを、よく実感できる立場にあることが大きいのだと思われる。
創価学会における「信仰の継承」
この数年、旧統一教会の反社会的な問題に社会の関心が集まり、「宗教2世」などという言葉もセンセーショナルに扱われた。
しかし、家族のなかで世代から世代へ信仰が継承されることは、日本の歴史を振り返っても「あたりまえ」として続いてきたことではないのか。むしろ、日本国憲法が誕生して「信教の自由」が認められてなお、何百年も前の感覚のまま、子どもは家の宗旨(親の信仰)を継承するのが当然という空気に、ほとんどの人は今も疑念すら抱いていない。
実際、日本にかぎらず古今東西の宗教は、親から子へと継承されることを主軸として、長い歴史をつないできた。是非はともあれ、その「あたりまえ」の宗教の歴史を等閑視して、特定の教団にのみ信仰の世代間継承が問題であるかのように言い立てるのは、いささか公正さを欠くのではないか。
キリスト教文化を基盤とする欧米でも「教会離れ」が進んでいるという。経済発展と共に世俗化が進み、宗教が深く社会に根差しているように思われてきたインドやタイなどアジア諸国でも、今の若い世代と親世代では信仰への感覚が違ってきている。
いずれにせよ、親から子への信仰の継承で何か問題があるとすれば、恐怖心や暴力によって信仰に縛りつけたり、生命を軽視したり、社会を敵視したりするようなドグマ(独善的な教義)を用いる場合なのだ。
この『随筆 正義の道』で、著者が一貫して重視しているのは、そのようなドグマ性をいささかたりとも容認しないという姿勢であろう。収められた文章は、宗教や社会体制さえ異なる各国の名門大学の首脳たちや、世界的な文化人たちとの交流を踏まえながら、開かれた言葉で、きわめて普遍的なメッセージを綴っている。
世界最高峰の絵本作家であるブライアン・ワイルドスミス氏について綴ったエッセーでは、氏が創価学会沖縄研修道場を訪問した折の話にも触れる。同研修道場は、沖縄が米軍の施政下にあった時代、中国などを射程にした核ミサイル「メースB」が配備されていた基地だった。
平和と芸術は、密接な関係がある。平和を愛する心は、生命を愛する心である。それは、芸術を愛する心に、深く通じているからである。
真の芸術の眼は、あらゆるもの、あらゆる人に美を発見する。皆が生命の美を発見し感動する心を持てば、愚かな戦争はなくなるに違いない。
生命を愛する心を培うことが、平和を培う。芸術は、この教育の大きな力である。
「文化・芸術は平和の武器である」とは、父が、常々、語ってきた信念である。(「絵本作家・ワイルドスミス氏との出会い」)
著者はまた、本書に収録された教学研修のなかで、日蓮大聖人の仏法を受け継いだ弟子の日興上人について言及する。日興上人が日蓮大聖人と出会ったのは13歳のときだった。師である日蓮大聖人が亡くなったとき、日興上人は37歳。そこから50年以上生き抜き、88歳で没している。
大聖人が亡くなられてからが、日興上人の〝本当の弟子の戦い〟でありました。(「君よ師弟不二の大道に生きよ!」)
創価学会における「信仰の継承」とは、単に親の信仰を受け継ぐことではない。創価の三代の師弟、なかんずく池田大作という人が生きた誓願を、1人1人が自ら能動的に分かち持ち、同じ誓願に生き抜くことなのだ。
池田会長が戸田城聖という人物と出会い、創価学会に入会したのは77年前の1947年8月24日のことだった。
今回、新装改訂版に新たな「まえがき」を寄せた著者は、そのことに触れ、77年後が22世紀の開幕を告げる2101年であると記している。
現在の未来部世代は、この21世紀を生き抜き、さらに22世紀初頭まで生きる人々であろう。池田会長が恩師と出会って77年の節目に、本書が新装改訂版として刊行され、ここから77年後が22世紀開幕の年となる。
創価学会の未来部世代向けに綴られた書物ではあるが、世代を問わず、さらにいえば創価学会員であるなしを問わず、創価学会に脈打つ「師弟の精神」に触れる上質な一書であると思う。
『新装改訂版 随筆 正義の道』
池田博正 著定価:1,650円(税込)
2024年9月5日発売
鳳書院(電子版は第三文明社刊)
「本房 歩」関連記事①:
書評『希望の源泉 池田思想⑦』――「政教分離」への誤解を正す好著
書評『ブラボーわが人生4』――心のなかに師匠を抱いて
「池田大作」を知るための書籍・20タイトル(上) まずは会長自身の著作から
「池田大作」を知るための書籍・20タイトル(下) 対談集・評伝・そのほか
書評『希望の源泉・池田思想⑥』――創価学会の支援活動を考える
書評『創学研究Ⅱ――日蓮大聖人論』――創価学会の日蓮本仏論を考える
書評『公明党はおもしろい』――水谷修が公明党を応援する理由
書評『ハピネス 幸せこそ、あなたらしい』――ティナ・ターナー最後の著作
書評『なぎさだより』――アタシは「負けじ組」の組員だよ
書評『完本 若き日の読書』――書を読め、書に読まれるな!
書評『ブラボーわが人生 3』――「老い」を笑い飛ばす人生の達人たち
書評『日蓮の心』――その人間的魅力に迫る
書評『新版 宗教はだれのものか』――「人間のための宗教」の百年史
書評『もうすぐ死に逝く私から いまを生きる君たちへ』――夜回り先生 いのちの講演
書評『今こそ問う公明党の覚悟』――日本政治の安定こそ至上命題
書評『「価値創造」の道』――中国に広がる「池田思想」研究
書評『創学研究Ⅰ』――師の実践を継承しようとする挑戦
書評『法華衆の芸術』――新しい視点で読み解く日本美術
書評『池田大作研究』――世界宗教への道を追う
「本房 歩」関連記事②:
書評『LGBTのコモン・センス』――私たちの性に関する常識を編み直す
書評『現代台湾クロニクル2014-2023』――台湾の現在地を知れる一書
書評『SDGsな仕事』――「THE INOUE BROTHERS…の軌跡」
書評『盧溝橋事件から日中戦争へ』――日中全面戦争までの歩み
書評『北京の歴史』――「中華世界」に選ばれた都城の歩み
書評『訂正可能性の哲学』――硬直化した思考をほぐす眼差し
書評『戦後日中関係と廖承志』――中国の知日派と対日政策
書評『シュリーマンと八王子』――トロイア遺跡発見者が世界に伝えた八王子
書評『科学と宗教の未来』――科学と宗教は「平和と幸福」にどう寄与し得るか
書評『日本共産党の100年』――「なにより、いのち。」の裏側
書評『差別は思いやりでは解決しない』――ジェンダーやLGBTQから考える