嘘を恥じない日本共産党の危険な体質
作家で元・外務省主任分析官の佐藤優氏は、その経歴から怖い印象を持つ人もいるかと思うが、無類の愛猫家という一面をもつ。本書は、月刊誌で連載したコラム「猫はなんでも知っている」を内容別に再編集し加筆したもの。シマ、チビ、タマ、ミケという佐藤氏の飼う4匹の猫たちが国内外のさまざまな出来事や問題を分析していく。あるときは飼い主のいない仕事部屋で、あるときは飼い主も交えて、猫たちは人間社会について喧々諤々(けんけんがくがく)の議論をするのであった。
僕は臆病な一匹の猫に過ぎないが、共産党からの攻撃に対しては、飼い主と連帯して命懸けで戦う決意をここで表明する。(本書155ページ)
明らかに旧ソ連や北朝鮮と同じ政教分離観に立っています。飼い主はプロテスタントのキリスト教徒ですが、共産党が権力を獲ると、宗教を信じる人の政治活動が規制される虞(おそ)れを強く感じています。(本書86~87ページ)
国内政治で猫たちが特に注視するのは日本共産党の動向である。その理由は飼い主が日本共産党に酷い目にあわされことがあるからだ。いわゆる鈴木宗男事件の際には、怪文書をもとに国会で追求し、その質問書を未だにホームページに掲載している。また近年では佐藤氏が寄稿した文章に対して一方的にフェイクニュースのレッテルを貼るという、作家の存在基盤を毀損する悪質な情報操作を行った。
安倍元総理暗殺事件の際、日本共産党は誤った政教分離原則を振りかざし、宗教者の権利を侵害する宣伝活動を行った。この点も真面目なキリスト教徒を飼い主に持つ猫たちの関心を引いたのであろう。
猫たちの分析によれば、政教分離には大きく分けて2つの類型があるという。1つ目は日本やアメリカなどが採っている政教分離。国家が特定の宗教団体を優遇や忌避することは禁じるが、宗教団体が自らの価値観に基づいて政治活動や政党を結成することは禁じていない。2つ目の類型は旧ソ連・北朝鮮型の政教分離観である。こちらは宗教団体の政治活動を認めていない。党の公式ホームページによると、日本共産党は明らかにソ連・北朝鮮型を採っている。こうした政党が政権に参画すれば、宗教者の権利を著しく毀損し、民主主義の基盤を掘り崩すことに繋がる。
表面上はソフト路線を装いながらもその内実は暴力革命を肯定する政党で、党勢を拡大のためなら恥じることなく敵対勢力への攻撃を続ける。猫たちは「共産党の人間法則」という一章で、その危険性に警鐘を鳴らしている。
なぜ創価学会は世界宗教なのか
飼い主によると、池田氏の歴史的業績は日蓮仏法を継承する日本の宗教団体である創価学会を世界宗教に発展させたこと。これは過去に日本の宗教人の誰もできなかったことです。(本書87ページ)
島薗氏は〈池田氏の指導力は、個人的なカリスマに対する崇拝でもあった。それに代わる精神的支柱をどう作っていくかが、創価学会の課題といえる〉と述べるが、この課題に対する答えを創価学会は正典の完結という形で、すでに出している。猫には見えても人間の島薗氏には見えないのだろうか。(本書89ページ)
猫たちは、飼い主による創価学会への評価にも目を向ける。昨年の池田名誉会長(池田氏)の逝去の報に接した際、日本の宗教学者たちの大半は創価学会の今後について否定的なコメントを寄せた。それに対し飼い主は池田名誉会長の歴史的業績を評価しつつ、創価学会の世界宗教としての飛躍を予見した。評価の違いはどこから生まれたのか。
猫たちによると世界宗教の特徴は正典(キャノン)を持つことにある。聖典と正典はことなる概念だ。正典とは宗教団体が公式に認めている教義の規準や信仰生活の規範となるテキストである。いったん確定した後、変更は加えられない。
池田名誉会長は生涯最後の10年間をかけて『人間革命』、『新・人間革命』、自身が監修した『日蓮大聖人御書全集 新版』を完成させ、正典を完成し確定した。このことによって、自身が亡きあと、創価学会が世界宗教として発展する基盤を整えたというのが、佐藤氏の評価である。
多くの宗教学者は、こうした業績に目を向けず、片寄った情報をもとに評価を下した。そのことが意見の相違を生み出したと猫たちは考える。猫でも理解できることを多くの日本の宗教学者たちは理解せず、ピンボケな評価を繰り返す。猫たちは人間の不思議さをつくづく考えているようだ。
フロマートカの対話の神学
フロマートカは、対立する国家間の国民が和解するために対話を推進することがキリスト教徒の責務であると考えた。フロマートカの「対話の神学」は、現在も意義を失っていないと僕は思う。果たして人間たちは理解しているのだろうか。(本書72ページ)
猫たちは飼い主が学生時代に学び、強い影響を受けたチェコのプロテスタント神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカ(1889~1969年)の対話の神学ついても議論している。
1950年代末から60年代にかけて、宗教を否定する社会主義政権下のチェコスロバキア(当時)ではキリスト教徒とマルクス主義者の対話が積極的に行われた。その対話を推進した人物がフロマートカである。彼は「人間とは何か」という切り口なら、無神論を信じる共産主義者たちとでも建設的な対話は可能であると考えた。
フロマートカはまた人類が直面する核戦争の危機を回避するために、キリスト教徒は、資本主義や共産主義という体制の違いを乗り越えて、平和を実現するために協力するべきであるとした。こうした対話を通じて、マルクス主義哲学者の中にもキリスト教を肯定的に評価する人たちも現れ、やがてその影響は当時の共産党政権にも及んでいった。ここから生まれたのが「人間の顔をした社会主義」を掲げる「プラハの春」と呼ばれる運動である。
当時のソ連の首脳はこの運動が共産主義体制の基盤を揺るがすことになると危惧し、戦車を送り叩き潰した。フロマートカはそれに抗議する公開書簡を送り付けるが、その後は沈黙を余儀なくされる。
異なる思想・信条や、国家体制をも乗り越え、対話により橋を架ける。フロマートカの神学は、いまだに飼い主に強い影響を与え続けていると猫たちは語る。
佐藤氏は旺盛な執筆活動だけでなく、時流におもねることのない勇気ある言論を展開することでも知られている。創価学会はもとより、ウクライナ危機後のロシア情勢や今日のイスラエル情勢に関しても独自の視点から分析し発信を続けている。こうした言論の背後には、フロマートカ神学を自身の師表として真剣に実践しようとする姿勢があるのだろう。猫たちの語らいを読み進め、評者はそう考えた。
『猫だけが見える人生法則』
(佐藤優著/飛鳥新社/2024年8月2日刊行)
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