書評『希望の源泉 池田思想⑦』――「政教分離」への誤解を正す好著

ライター
本房 歩

国家指導者を「悪魔化」する危険

 作家であり日本基督教団に属するプロテスタント信徒である著者が、池田大作・創価学会第3代会長の主著の1つ『法華経の智慧』を読み解くシリーズ。月刊誌『第三文明』に連載中のものを単行本化した第7巻目となる。
 内容的には『法華経の智慧』の「如来神力品」後半部分にあたるのだが、とりわけ本書に収録された連載期間(2022年8月号~2023年7月号、2024年2月号・3月号)にはいくつもの重要な出来事があった。
 まず、新型コロナウイルスによるパンデミックが終息していない時期であり(WHOによる終息宣言は2023年5月5日)、ロシアによるウクライナ侵攻が2022年2月に始まって、まだ半年という時期であった。
 周知のように著者は元・外務省主任分析官であり、在職中はモスクワの日本大使館にも勤務していた。旧ソ連崩壊直前にゴルバチョフ大統領(当時)がクーデター派によって誘拐監禁された際、その生存情報を西側世界で最初にキャッチして東京に伝えたのが著者だった。
 著者は、池田思想から学ぶべき点の第一として「核兵器を絶対悪とする思想」を挙げる。そのうえで、ウクライナ侵攻が始まってからしばらくのあいだ、日本の世論や論壇の動向はそれとは真逆の方向に暴走したと指摘し、その最たる例に一部政治家による「核共有」論を挙げた。

「核兵器を持つことで平和が担保され、核大国を当事国とする戦争は起きなくなる」という「神話」は、他ならぬロシアのウクライナ侵攻で突き崩されたのです。
 にもかかわらず、そのウクライナ侵攻を見て、あわてふためいて核兵器を持とうとするのは愚かしい発想です。(本書18頁)

 かつて池田会長は「そこに人間がいるから」との信念で冷戦下のソ連を訪問し、歴代の首相らと対話を重ねた。著者は、ウクライナをめぐる状況を改善させるためにも、会長と同じ信念を持つことが大事だとし、プーチンをいたずらに「悪魔化」してしまうことは、その対話を最初からあきらめてしまうことになると警告している。

「政治と宗教」の問題ではない

 出来事の2つ目は、2022年7月8日に安倍晋三・元首相が銃撃され死亡するテロ事件が起きたことだ。銃撃犯は母親が旧統一教会へ莫大な献金をしたことで家庭が崩壊し、教団への恨みを募らせていた。旧統一教会と関係が深かったと考えて安倍氏を狙ったことが報じられると、野党やメディアは一斉に旧統一教会による常軌を逸した献金問題に注目する。
 旧統一教会は、「仕事や子育てに悩むのは先祖が苦しんでいるからだ」等の脅迫めいた言葉で信者を畏怖させ、「先祖解怨」という口実で多額の献金をさせてきた。同会の実態は、むしろ宗教の形態を装った反社会的団体というべきだろう。
 リベラルな憲法学者からも、

旧統一教会の問題は政治と宗教の問題というよりは、政治と不法行為を繰り返す団体の問題であると理解すべきだ。「信教の自由」や「政教分離」といった憲法上の一般的な問題と捉えるべきではない。(南野森(みなみの・しげる)九州大学教授/『毎日新聞』2022年8月9日)

といった指摘がなされていた。
 ところが、立憲民主党など野党の一部は政権攻撃の好機と見たのか、ことさら「政治と宗教」の問題として世論を煽り、宗教団体が政治に関与することが違憲であるかのような論調を後押しした。日本維新の会などは宗教法人法の改正案まで国会提出している。
 著者である佐藤優氏は、これらの背景には「政教分離への誤解がある」と指摘する。政教分離原則については2つの考え方があり、1つは旧ソ連や北朝鮮、中国などが採用している「宗教は内面に限定され、政治に関与すべきでない」というもの。もう1つは「国家が特定の宗教を優遇・忌避することを禁じたもので、宗教団体が自らの価値観に基づいて政治活動をおこなうことを認める」という、米国、日本など多くの民主主義国家が採用しているもの。

 ところが、どういうわけか日本では、旧ソ連型の政教分離観を持ってしまっている人が非常に多いですね。それは、「宗教団体は政治に関わるべきではない」という考え方で、旧統一教会と創価学会を一緒くたにする極端な見方も、そこから生まれてくるわけです。(本書58頁)

逝去が可視化した「世界宗教化」

 3つ目の出来事は、2023年11月15日の池田大作第3代会長の逝去である。これを受けて著者は通常の連載を2カ月休み、その紙幅で「特別収録 池田先生の逝去に思う」を寄せた。本書には、それが掲載されている。
 著者は同年6月に腎移植手術を受けた際、池田会長夫妻からお見舞いの伝言をもらったことを明かし、訃報を受けて「自分にできる恩返しとして、逝去について〝正視眼〟で受け止める論陣を張ろう」と考えたと述べている。
 逝去を受けた記事のなかでも、逝去を揶揄した週刊誌記事の「底の浅さと代り映えのなさに呆れます」と語り、創価学会批判という分野では過去30年、新たな書き手が育っておらず、古株の書き手たちは情報のアップデートができていないと指摘した。

 一例を挙げれば、新潮社の『週刊新潮』は逝去を報じた記事(2023年11月30日号)のなかで、藤原弘達氏(政治学者)の著書『創価学会を斬る』を蒸し返して使っていました。あの本は今の基準に照らせば明らかに「ヘイト本」です。また、2019年刊の『内閣調査室秘録』(岸俊光編・志垣民郎著/文春新書)のなかで、藤原氏が内調(現・内閣情報調査室)から20年以上にわたって接待を受け続けた協力者だったことが、内調創設メンバーの一人である志垣民郎氏の証言で明かされています。つまり、『創価学会を斬る』はまったく中立的ではなかったわけで、そんなヘイト本をいまだにネタとして用いているあたりに、学会批判記事の質の低さが露呈しています。(本書207~208頁)

 さらに佐藤氏は同じ『週刊新潮』に寄せられた宗教学者・島田裕已氏の「池田氏は最期まで宗教の本質である〝死〟についての解を提示できなかった」等のコメントにも言及し、

宗教学者であり、創価学会についての著作も少なくないにもかかわらず、島田裕已氏は最重要著作の一つである『法華経の智慧』すら読んでいないのでしょう。ひどいレベルです。(本書209頁)

と一刀両断している。
 他方で、逝去をめぐる一連の報道によって、SGIの世界的な広がりが広く認識される契機となったことを評価する。

 特に、新聞報道では池田先生の功績として、創価学会を世界に広めたことがデータとともに紹介されました。しかも、それらの記事では、「世界宗教」という言葉すらしばしば用いられていました。生前にはあまりなかったことでしょう。そうした報道によって、初めて創価学会の世界宗教化を認識した人も多かったと思われます。(本書220頁)

「人間主義の仏法」と政治

 折しも石破茂内閣が誕生し、国民に信を問う総選挙が近くおこなわれる。政策で攻め手を欠く野党は、あるいは性懲りもなく旧統一教会問題を「政治と宗教」の問題に事寄せて騒ぎ立てるかもしれない。
 本書は、それを許してきた日本社会の「政教分離」への誤解を明らかにする、格好のテキストになるのではないか。

人間主義の立場に立つからこそ、創価学会は公明党を通じて活発な政治参加もしている、というのが私の理解です。前回論じたとおり、日本には政教分離原則に対する歪んだ理解が蔓延していますから、政治から距離を置いたほうが、創価学会の一般的イメージはよくなるかもしれません。
 しかし、「人間主義の仏法」である以上、政治から離れることはできないのです。なぜなら、「人間主義の仏法」とは、さまざまな苦悩を抱える人間の海に飛び込んで、彼らを救済していこうとする菩薩行こそ仏の証しと捉えるからです。人間の苦悩を解決し、幸せにするためには、政治という営みから目をそらすわけにはいきません。だからこそ、学会員の皆さんの広範な活動のなかには、必然的に政治活動も含まれる。(本書79頁)

 まもなく池田会長の一周忌を迎える。逝去によって創価学会が衰退するというコメントがメディアにも溢れたなかで、キリスト教2000年の歴史を知悉する著者だけは、それを否定する論陣を張ってきた。

 キリスト教が世界宗教化したのはイエスの死去後でした。同様に、池田先生逝去後のこれからこそ、創価学会の世界宗教化は本格化していくのです。生身の指導者によってではなく、その指導者が世を去ってから、遺された弟子たちが指導者の思想を世界に広めていく――世界宗教とは、本来そういうものなのです。(219頁)

公式ページ:『希望の源泉・池田思想――『法華経の智慧』を読む 7』

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