本の楽園 第195回 言葉にできること

作家
村上政彦

 一冊の詩集に出会った。『道』と題された冒頭の詩を引いてみよう。

そこは緑したたる谷間
道はなかば草におおわれ
花をつけはじめた楢の木立ちをぬけて
学校帰りの子供たちが家路をたどる

 穏やかで、健康な光景が見える。この詩は子供の視点から彼らの生活を書いている。『窓からの眺め』を引く。

いくつもの塔がほら 色とりどりの街の上に映え
いくすじもの細い流れが銀色の糸となってからみあい
山の月が鵞鳥の羽根毛のように
あそこもここも 大地を覆っている

 子供たちの暮らしている美しい町が謳われている。

『芍薬畑にて』

白にピンク 芍薬が咲いている
ひとつひとつが香りの壺のよう そのなかで
小さな黄金虫が集まってお喋りしている
だって花は彼らの家なのだから

 こちらは童話でも読んでいるようだ。20篇の詩が収められた詩集『世界』の印象を一変させるのは、結末に置かれたふたつの言葉だ。

ワルシャワ 一九四三年

 これは、この詩集が出版された日をしるしている。ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したのは1938年。詩が書かれた当時、ワルシャワではユダヤ人が拉致され、殺され、絶滅収容所に送られていた。
 ポーランドの詩人たちは、詩の代わりに銃を手にして戦っていた。そのなかで、チェスワフ・ミウォシュは、この詩集『世界』を書いて地下出版した。彼はほかの詩人のように銃を取らなかった。あくまでも言葉で、詩で、戦った。
 その戦いも、侵略者たちの蛮行をじかに告発するのではない。あるべき人間の世界を淡々と書いた。人は殺し合うべきではない。家は破壊の対象ではない。自然を慈しみながら、穏やかに生きるべきなのだ、と。
『世界』を評した四元康祐は述べている。

当時三十二歳のミウォシュは、ドイツ占領下のワルシャワで、ナチスに対する最後の(そして悲劇的な)蜂起に立ち上がったユダヤ人たちの叫び声を聞きながら、この詩集を書いたという。仲間たちが銃を手に「行為」へと赴くとき、自らに書くことだけを強いて

 詩人には、詩人の戦い方がある。言葉と想像力を武器にして、悲惨な世界と異なったあるべき世界を構築する。これは逃避ではなく、まっとうな抵抗だ。ミウォシュは血濡れた現実を眼の前にして、そうではない、と静かにいった。
 世界は美しい。人の生活は、祈りと愛に満ちたものである。
 僕らは、ここに書かれた言葉を眼にし、舌の上にのせ、あらためて人と人が殺し合う愚かさを知る。そして、こういう戦い方もあるのだと詩人の覚悟に驚く。

オススメの本:
『世界 ポエマ・ナイヴネ』(チェスワフ・ミウォシュ著/つかだみちこ・石原耒訳/港の人)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。