自公連立25年の節目――「政治改革」もたらした公明党

ライター
松田 明

政権与党になることのリスク

 1999年10月に小渕第2次改造内閣が発足し、自民党・自由党(当時)・公明党の3党連立政権がスタートして、この10月5日で25年を迎えた。
 この間、3年3カ月間の民主党政権時代を除き、公明党は連立政権の一翼を担い続けてきた。日本の政治史を振り返っても、とりわけ公明党のような小さな所帯の政党が20年以上も安定して政権に就いてきたことは前例がない。
 たとえば1955年から39年間も野党第一党の座にあり、ピーク時は衆参で200人を超す大所帯を抱えていた日本社会党でさえ、1994年に連立政権入りすると、首相まで出しながらわずか1年半で政権は崩壊。日本社会党も解党した。
 その後継政党である社民党は、今では衆参合わせても国会議員が3人しかいない。2000年代に勢いを増し、史上最多の308議席を獲得して誕生した民主党政権も、わずか3年余で失敗に終わり、その後はバラバラに解党した。
 野党の立場で政権批判しているうちは楽でも、いざ政権運営に加われば、バラ色の理想論ばかりでは許されなくなる。国際情勢、同盟関係や他党との合意形成のなかで、必ずしも支持者が歓迎しない選択にも迫られるし、国民に負担をお願いする場面も出てくる。
 まして、自民党はその成り立ちからしても公明党とは思想信条も支持層も違う。歴代首相や自民党の要職に就いてきたような大物議員たちは選挙地盤も強く、仮に公明党の支援がなくても自分の選挙に何ら影響はない。
 そうしたことを勘案しても、自公連立政権が足かけ25年も続いているということは、さまざまな意味で特筆すべきことなのだ。

国民から退場を突きつけられた野田政権

 民主党政権時代の2012年9月におこなわれた自民党総裁選挙。第1回目の投票で141票の安倍晋三氏を抑え、199票で1位になっていたのは石破茂氏だった。だが、決選投票で安倍氏が逆転して総裁の座に返り咲く。
 この2012年の秋から冬は、日本にナショナリズムが吹き荒れたピークの時期だった。この年の4月、当時の石原慎太郎・東京都知事が尖閣諸島を都が買い上げる意向を訪問先のアメリカで発表。これに慌てふためいた民主党政権の野田佳彦首相(現・立憲民主党代表)は、9月11日に3つの島を予備費で購入した。
 その2日前に、野田首相はウラジオストクでのAPEC首脳会議で胡錦涛・国家主席(当時)と会ったばかりなのである。メンツを潰された中国側は猛反発し、中国各地では日系企業やデパートへの焼き討ちなど暴動が頻発。日中関係は国交正常化以来で最悪となっていた。
 12月16日の第46回衆議院選挙で、民主党は前回衆院選の308議席から57議席にまで凋落。自民党は単独過半数の294議席で第1党になり、公明党も31議席を獲得した。
 今日、枝野幸男氏や泉健太氏に比べるとさすがに安定感のある野田氏だが、あの民主党政権で内政も外交も行き詰まらせ、国民から退場させられた首相であったことを忘れてはならない。
 じつは、このときの選挙で11議席から54議席へ大躍進し、比例票では民主党の926万8653票を大きく抜いて1226万2228票を獲得していたのが、「憲法改正」を主張する当時の日本維新の会(石原慎太郎代表・橋下徹代表代行)だったのだ。
 イデオロギーや主張の点でも、数の点でも、ふつうに考えて自民党は日本維新の会と連立すれば、圧倒的な巨大与党になれたはずである。選挙前、石原代表は公明党が憲法改正に否定的であることを批判し、「自民党が公明党と連立している限り、自民党には期待できない」(党首討論での発言)と、自民党に公明党外しを迫っていた。

「小さな声」を拾い続ける政党

 しかし、政権を奪還した自民党は日本維新の会ではなく、ふたたび公明党を連立のパートナーに選んだ。
 この事実は、自民党と公明党がお互いに、単に〝数の論理〟だけで相手をパートナーとしていないことを物語っている。
 さる9月27日に自民党総裁選に勝利した石破茂・新総裁は、翌28日、公明党大会に来賓として出席し、次のように挨拶した。

 われわれは3年3カ月の間、野党であった。つらい時、苦しい時に公明党が一緒にいてくれた。私はその時に政調会長、幹事長を務めていたが、同じ政調会長だったのが石井新代表だ。公明党にご指導いただき、自民党の今日があることは片時も忘れてはならない。
 東日本大震災が起きた時も野党だったが、あの時ほど自公が政権を失って申し訳ないと思ったことはない。困っている人、悲しむ人たちのそばにいる自公政権でありたい。
 全国各地で公明党の皆さまが、地域のために一軒一軒歩き、いろんな声を集約し政策に生かしてこられた。農業や漁業など地方の伸びしろを最大限に生かしたい。過密の東京の脆弱性も解消し、地方も都市も幸せになれる政策を公明党の知恵をいただき実行していく。
 大衆の中に生き、大衆の中で死んでいく。自民党はともすれば、そういうことを忘れることがあるかもしれない。この精神に学びながら、自公政権があってよかったと国民に実感していただきたい。(『公明新聞』9月29日

 東日本大震災で被災地の復旧・復興に大きな役割を果たしたのが、3000人近い地方議員と国会議員がフラットに連携する公明党のネットワークだった。これは、その後の熊本地震などでも活きた。このことは、ほかならぬ被災各地の知事や市長らが口々に証言している。
WEB第三文明「『災害対策』に強い公明党――自治体首長らの率直な評価」(2019年7月4日)

 霞が関との意思疎通さえままならず、震災対応が後手後手に回る民主党政権に対し、復興庁の創設をはじめ、具体的な政策を矢継ぎ早に提起し続けたのも野党の公明党だった。現場にネットワークを持ち、自民党では真似ができないレベルで被災者の小さな声を拾い、カタチにし続ける公明党の機動力。自民党の政調会長だった石破氏は、誰よりも驚きの目で見ていただろう。
 あの震災は、苦しんでいる人にしっかり寄り添い手を差しのべるという意味で、宗教的な精神性を基盤にする公明党がもっとも存在価値と能力を見せた出来事でもあった。

あえて公明党を選んだ自民党

 公明党について、「金魚のフン」「踏まれても離れない下駄の雪」などという揶揄や侮蔑の声がある。
 これは民主党政権になる前、自公連立の〝前期〟に、公明党の連立参加を快く思わない一部の政治家らが意図的にメディアに語ったものだ。
 だが、単に政権にしがみつくことが最重要課題であれば、公明党は民主党政権に加わっていたであろう。当時で言えば、少なくとも政策的には自民党より民主党のほうが公明党との距離は近かった。
 しかし、公明党は民主党の再三の誘いを断って野に下っている。そして、2012年末の選挙を経たあと、今度はタカ派と言われた安倍総裁の自民党が、イデオロギーが近く人気のあった日本維新の会ではなく、あえて公明党との連立を選択した。
 安倍首相が当初、フルスペックの集団的自衛権行使をめざした「平和安全法制」も、公明党の緻密な理論武装によって、

① 昭和47年の政府見解で「個別的自衛権」の要件として定めたような、日本国の主権が根底から覆されるような明白な危険がある場合に限定され(新3要件の1)
② しかもそれは他国の防衛のためではなく「我が国の存立を全うし、国民を守るために他に手段がない」という〝自国の防衛〟の措置としてのみ許されるものであり(新3要件の2)
③ この2つの「必要最小限度」を越える武力行使をするためには、あらためて憲法を改正するしかない。つまり解釈の変更など不可(新3要件の3)
(2014年7月1日「閣議決定」の「新3要件」のポイント)

になった。むしろ従来よりも厳格な「新3要件」が定められた。公明党が集団的自衛権の行使を容認したというメディアの論調は、政府の答弁とも矛盾する。
 なお当時、民主党や日本共産党は「戦争法」「戦争が始まる」と騒ぎ立てたが、10年以上経って日本は戦争など起こしていない。
 民主党の中枢にいた立憲民主党の枝野幸男・元代表は、今ごろになって「現状の運用は個別的自衛権で説明される範囲だ。法律は現状では問題ない」と言い始めた。野田氏も代表選では「(立憲が)政権を取って180度、政策転換なんてことをやってしまったら、もう国際社会からは相手にしてもらえない」と、安保政策の継続を主張している。
 国会前で「戦争法」と絶叫していたあの大騒ぎは何だったのか。

支持基盤を持たない政党の限界

 支持政党を持たない無党派層と呼ばれる人たちのなかには、既成政党そのものに不信感を持ち、SNSで有権者と直接つながる小政党や政治家に共感する人々も少なくない。
 なかには、組織票に支えられる政治は悪しきものだと考えている人もいる。だが、政治には常に中長期的な展望が必要だ。国民に負担を求めなければならない場面もある。
 そうした腰を据えた政策を進めるには、政治を支える基盤が不可欠なのだ。政治の安定がなければ、政策を形にしていくことは困難になる。
 支持基盤を持たず、無党派層からの人気だけを追い風にする政治は、結局は「ポピュリズム」に陥らざるを得ない。日本維新の会が「財政ポピュリズム」と呼ばれ、日替わり週替わりで不祥事を起こし、「政治とカネ」をめぐって国会で迷走を重ねた姿は、その典型であろう。
 今では支持率が急降下しているだけでなく、党内から次々に離党者が出て、除名された者まで含めるとこの1年半だけで約40人が消えるという異常事態である。
 現代日本政治論の第一人者である中央大学の中北浩爾教授は、

 一般に組織や固定票は悪いものであり、無党派層こそが望ましい有権者だという見方がありますが、現実には中長期的な観点に立って辛抱強く応援してくれる党員、支持者がいるからこそ安定した政治ができるし、17年衆院選時の「希望の党」騒動のような離合集散が起きないわけです。自公両党が支持基盤を大切にしていることや、それをベースに選挙協力をしてきたことは、肯定的に評価されてもいいのではないでしょうか。むしろ野党がそれを見習うべきです。(『月刊公明』2019年11月号)

と述べている。
 世界各地に連立政権は常に多く見られるが、ふつうは性格や理念が似た政党が連立する。思想的にも支持基盤もまったく異なる自民党と公明党が連立し、結果的にそれが政策の幅を広げ、より多くの国民の声を拾って、しかも政治の安定につながっている例は、世界の政治学の常識を覆すものだという。

「政治改革には宗教的価値観が必要」

 さて、今度の衆議院選挙で有権者がもっとも注視するのは、やはり「政治とカネ」であろう。発端は自民党の旧安倍派が引き起こした政治資金収支報告書の不記載問題だが、立憲民主党は「政治資金パーティーの禁止」を国会で叫びながら、その国会の会期中に幹部らが政治資金パーティーを開催しようとしていた。
 領収書なしで議員に金を渡す政策活動費は、公明党と共産党を除くほぼすべての政党でおこなわれていた。日本維新の会は最後まで政策活動費の存続を主張し、しかも領収書の公開さえ10年後に延ばそうと悪あがきを続けた。使途の大半は飲み食いである。
 日本大学の西田亮介教授は、

 具体的かつ現実味のある提案をしていたのは公明党です。同党が他党に先駆けて「政治改革ビジョン」を発表したのは今年1月。そこから議論をリードし、粘り強く現実的な落としどころを模索していました。最終的に公明党が最初に掲げたビジョンは、概ね具体化したと認識しています。自民党が抵抗するなかでも、与党として責任ある仕事をしたと評価しています。(『第三文明』2024年11月号)

と、「政治改革」に果たした公明党の役割を高く評価している。
 さらに、公明党は「福祉と平和の党」のイメージが強いものの、政治改革にも極めて熱心だという事実が〝政治通〟以外にはあまり知られていないとし、公明党はもっと積極的に発信すべきともクギを刺した。

 自民党には自浄作用がなく、野党も及び腰となれば、連立与党での自浄作用に期待するしかありません。現実問題として、その役割を担えるのは公明党です。
「政治と宗教」という観点から、公明党にネガティブな印象を持っている人が少なくありませんが、私はそうは見ていません。政治改革のような、潔癖さや頑固さが必要な取り組みにおいては、むしろ背景に宗教的な価値観を持った人たちのほうが信頼できるのではないかとさえ考えます。(同)

 自公連立25年という節目を前にした自民党総裁選で、候補者たちは口々に「政治とカネ」への厳しい決意を語ることになり、最終的にタカ派の高市候補をあえて総裁には選ばなかった。
 石破氏は公明党大会のあいさつで、「困っている人、悲しむ人たちのそばにいる自公政権でありたい」と語った。この言葉が自民党総裁の口から出たことは、25年間で自民党が公明党に〝感化〟された、ひとつの結実のようにも思えた。
 この流れを強くし、きちんとカタチにしていくためにも、連立政権のなかでの公明党には、今以上に存在感を持ってもらいたいのだ。

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まつだ・あきら●ライター。都内の編集プロダクションに勤務。2015年から、「WEB第三文明」で政治関係のコラムを不定期に執筆。著書に、『日本の政治、次への課題』(第三文明社)がある。