沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第6回 沖縄空手の名門道場 明武舘(剛柔流)〈上〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

歴史ある剛柔流の常設道場

4階建てビルの最上階が伝統ある明武舘の道場。入り口はビル1階の左にある(那覇市久米)

 沖縄初の空手流派として知られる剛柔流の創始者・宮城長順(みやぎ・ちょうじゅん 1888-1953)の戦前からの古い弟子であった八木明徳(やぎ・めいとく 1912-2003)が開いたのが明武舘(めいぶかん、正式名称・国際明武舘剛柔流空手道連盟総本部)だ。
 戦後、焼け野原から復興がスタートした那覇市久米に、71平米の木造平屋建ての道場が建設された。久米は歴史的には中国の明から派遣された「閩人(びんじん)三十六姓」(久米三十六姓)の居留地となった場所で、後の久米村をつくった。これらの人々は琉球の国づくりに貢献したことで知られる。
 八木明徳の一代記『男・明徳の人生劇場』(2000年)によると、明徳は戦後、コザ警察署などに勤務したあと、那覇に戻ったのは1949年4月のことだった。法務局の登記簿によると、八木道場の土地は1953年1月、建物は1958年3月に八木明徳によって所有権保存がなされている。ふつうに考えて58年以前にも建物があったはずだが、いつ道場が開設されたか、正確に日付を特定することは難しい。戦後、長嶺道場や比嘉道場(究道館)ができたころとさほど変わらない時期と推測される。

1階建て(平屋道場)時代の建物。本土から訪れた山口剛玄(左から3人目)と八木明徳(同2人目)

 この1階建ての道場は、1981年に沖縄空手界が国体参加をめぐって2つの団体に分裂した際、全沖縄空手道連盟会長(当時)だった八木道場が双方関係者の協議の場となったことでも知られる。戦後の沖縄空手界の歴史を刻むこの道場は、1984年に4階建のビルに建て替えられた。現在、1階には焼肉店などの飲食店が入っており、ビル4階の最上階が98平米の板張りの道場となっている。
 広い道場の正面左に流祖・宮城長順の写真、右側に明武舘創始者・八木明徳の晩年の写真が掲げられている。道場の後ろにサンドバッグが7本ほど積んである。カラッとした暑さながら道場内は風が通らないため暑い。
 8月の暑い木曜夕刻、午後6時から始まる「子どもクラス」を見学した。
 6時。準備運動が始まった。指導するのは八木明徳の孫で3代目館長の八木明人(やぎ・あきひと 1977-)だ。

活気ある子どもクラス

 この日集まった子どもは小学校低学年を中心に16人。屈伸から始まった準備運動は四股立ちでの肩入れ、肩回し、首の運動などをへて、剛柔流の基本型である「サンチン」を行った。

サンチンはまず呼吸を大きく、足の指も強く握る

 息を強く、大きく吐くのが剛柔流のサンチンの特徴だ。子どもたちだけでなく、大人の黒帯数名が、インストラクターとして付いている。つづけて足を肩幅に開いて上段突きを行った。

まず大事なのは足の指で(地面を)掴まえて、突きは足の力で突く。ハイ、全力で

 掛け声(数字)は子どもたちが順番で行う。気合の声が小さいと館長はやり直しを命じる。みな精一杯の気合をかける。手抜きや惰性の様子はみじんも感じられない。
 さらに四股立ちでの中段突き、下段払い、上段手刀(しゅとう)打ち、逆手刀(手刀内打ち)、手刀受けと進んで、左右の中段蹴り(前蹴り)と展開した。
 上段蹴り(前蹴り)を左右行ったあと、下段の足刀(そくとう)蹴りに移る。
 途中、遊び感覚も取り入れた動きに。

腕立て伏せ10回用意、はじめ

 館長が叫ぶと、子どもたちが一斉に動きだした。さらにその場で10回ジャンプも。

自分の足で自分のお尻を蹴って!

サンチンを行う「子どもクラス」

 ここまで20分ほど。少し休憩を入れて、遊び感覚の動作をつづける。
 ウサギ飛びで道場内を往復競争した。4つ足になって動物のように進む競争も。子どもの競争心を刺激して、楽しく進めるメニューが並ぶ。
 さらに剛柔流の型である「撃砕1」と「撃砕2」を行う。
 それらが終わると、館長が子どもの名前をすらすらと呼びながら、2人~数人単位の6つのグループに分かれた。小学校低学年でも〇〇さんと館長が名字を「さん」付けで対等に呼ぶ姿は印象的だ。
 各グループに黒帯または茶帯の大人が1人ずつ張り付き、型練習などレベルに応じた個別テーマの練習に移った。これらは合理的な指導法に見え、私の目の前のグループは「サイファ」(型名)の動作を確認していた。
 子どもクラスの稽古は火・木・土の週3回の各1時間。毎回参加する子もいれば、週1回の子どももいるそうだ。この日は夏休み中なので参加者は少ないほうということだった。大人はいつも3人は付くという。
 最後は、試合に出場予定の選手が、それぞれ試合形式で型を演じた。その後、見ていた子どもたちに直したほうがいいと思った動作がないか館長が問いかけた。子どもからはすぐに反応はなかったが、黒帯の大人がいくつか気づいた点を指摘する。
 最初に緊張しているせいか、肩に力が入りすぎて肩が上がっていることなどを説明。さらに別の黒帯が下段払いのとき、夫婦手(めおとで、左右の手を夫婦のように仲睦まじく連動させる動き)で行うように指導した。密度の濃い1時間――。
 道場に活気が感じられたのは子どもが自発的に参加していること、やる気を引き出していること、大人が効果的な指導体制を組んでいることなどだろう。
 道場の前方中央には「奥妙在錬心」の文字。小さな扇風機が3つ、壁際で回っていたが、暑さに変わりはない。子どもたちが元気に稽古に打ち込む姿が心に残る。(文中敬称略)

この日集まった子どもの集合写真。小学校低学年の子が多い(中央は八木明人館長)

※沖縄現地の空手道場を、武術的要素を加味して随時紹介していきます。

シリーズ【沖縄伝統空手のいま 道場拝見】:
①沖縄空手の名門道場 究道館(小林流)〈上〉 〈下〉
②戦い続ける実践者 沖拳会(沖縄拳法)〈上〉 〈中〉  〈下〉
③沖縄空手の名門道場 明武舘(剛柔流)〈上〉 〈下〉

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。